吉沢氏は1922(大正11)年6月1日、長野県蓼科村に生まれた。41年に農林省入省後兵役につき、復員後、当時の振興局研究部などを経て農林水産技術会議事務局研究調整補佐を務めた。
その後は日本雑草防除研究会(現日本雑草学会)、日本植物調節剤研究協会の創立(64年)・運営に深く関わり、日本における除草剤の開発と実用化を一貫してリードしてきた。08年9月5日逝去。享年87歳。
戒名は「長徳院本覚道範居士」。意味は、「優れた品格を備えた、徳のある人物、悟りの清浄な心を持ち、人として守るべき条理、行うべき正しい道筋を示した人」だという。
「故人の本当の凄さは、単なる協会の運営に留まらず、将に寝ても醒めても、常に雑草防除技術の方向性に思いを馳せられ、かつ新しい考えを次々に提示され、それを実現されたこと」(小川奎日植調会長談話)が吉沢さんの全てを物語っている。
雑草防除における技術開発への思いと世界に揺り動かされる日本農業への憂いの二面性を、吉沢氏は体内の深淵に宿していた。後人たちは、氏の志をきちっと引き継ぎ、将来にわたって生かさなければならない。
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上:故人の志をどう引き継ぎ、生かしていくのか
左下:吉沢さんの思い出を振り返る小川会長
右下:故人の遺影を囲んで