◆土は魚沼の田んぼから
田んぼは港区スポーツセンターのJR側敷地内に町内会がつくった。広さは約40平米で、土は昨年までコシヒカリを作付けていた魚沼の田んぼからダンプ2杯分を運び込んだ。
当日の田植え体験には芝浦1丁目町会の人たち100人ほどが子ども連れで参加。
坂大会長は「田植えをしたあとも苗が大きくなっていくのを見てください。花も咲きますが草も虫も、病気も出てくるかもしれません。米がどうやってできるのかしょっちゅう観察を」と呼びかけた。
苗は北魚沼コシヒカリのほか、酒米(北陸12号)、古代米(紫式部)など5種類。子どもたちに田植えの指導にはJA職員のほか、水稲部会の古田島喜一部会長もかけつけた。地元では17haを栽培、実はこの日から田植えが始まったのだという。「今日の作業はおっかあに任せました(笑)。手植えは30年ぶりでしょうか。でも楽しいね」と都会の子どもたちとの交流を楽しんでいた。
JAはコシヒカリや朝採りの山菜などの即売会も開いて販促活動も。「米のおいしさをぜひ知ってもらいたい」(坂大会長)。
(写真)
上:ビルの間につくった田んぼ。正面には山手線が走る。
中:(写真左から)芝浦1丁目町会 中島恭男会長・JA北魚沼 坂大貞次経営管理委員会会長
下:水稲部会・古田島喜一部会長
◆町内がまとまるスポットに
芝浦1丁目町会では昨年、青年部の発案で発砲スチロール箱で稲づくりを実施。敬老会のメンバーが毎日面倒を見て育てたが、そこは子どもから大人まで町内の人々が集まるスポットになったという。
一方、銀座での米づくりなど都市菜園やマルシェ事業を展開している企業、銀座農園(株)を町内会メンバーが知り、同社に話を持ちかけてJA北魚沼とのつながりができた。それで今年の本格的な田んぼづくりとして実現した。
芝浦1丁目町会の中島恭男会長は田んぼについて「町内の人が顔を合わせる場ができました」と町づくりの力にもなると期待を寄せる。
銀座農園の飯村一樹社長の実家は茨城の米農家。地方商店街の再生などを手がけるなかで、都市と農村の交流事業に力を入れるようになった。「この田んぼはJA北魚沼のアンテナショップでもあると思います」と話す。
(写真)銀座農園(株)・飯村一樹社長
◆「出向く」食育
今年は苗の生育が遅れ奇しくも北魚沼と東京で同時に田植えをすることになった。同JAの森山賢一営農企画課長は「収穫期にどんな違いが出るか、環境がどう影響するのかが分かるのも楽しみ」と話し「じゃあ田舎はいったいどういう所なんだろうと子どもたちに興味を持ってもらえたらいい。私にとっても初めての試みですが、これは出向く食育だと思います」と話す。
JAでは交流活動に力を入れていて、今年は足立区の小学生が5000人も農業体験に訪れるという。一方、この港区の田んぼにはJA職員が北魚沼米の販売促進活動などに上京した際には顔を出し、生育状況をチェックして掲示版に記入、地元の人に管理指導もすることにしている。
「町内のイベントにも参加したい。長い付き合いができれば。秋の収穫祭は花々しくやりましょう」と坂大会長は中島会長と話していた。
(写真)はじめての田植えで土の感触を味わう子どもたち