川野重任先生が22日亡くなられた。99才。農業経済学界の、いや学界を超えた農政界の巨星墜つ、の感が深い。
先生が取り組んでこられたのは、農業の発展過程の理論的解明、農業開発理論の確立だった。それは先生の処女著作「台湾米穀経済論」以来、一貫している。1940年に刊行されたこの著作は、今日でも開発論を学ぶ者の必読文献になっているが、その著作を先生は東京帝国大学卒業後4年で世に問われている。驚くべき早さというべきだが、当時の学会でも衝撃的なことだったであろう。当時すでに農業経済学会の重鎮になっておられた大槻正男先生が、学会誌で異例な書評をされていることがそれを示している。
深い学識に裏づけられた先生の見識は、戦後の激動期には農政面でも活かされ、米価審議会、農政審議会の委員、更には会長として農政の方向づけに寄与されてきた。米価算定の定番になった「生産費・所得補償方式」が、先生が米審専門委員会委員長としてまとめられたものであること、自由化路線を強調した前川レポートの後を受けて出された1986年の農政審報告「21世紀へ向けての農政の基本方向」が、18年に及んだ農政審委員としての最後(当時は会長)のお仕事だったことを記しておくべきだろう。
私ども農業経済学会関係者にとっては、91年8月に東京で開催した国際農業経済学会大会組織委員長として大会を成功させた先生の活躍が、ことのほか印象深い。
この大会は日本農業経済学会としては初めての国際大会であり、何回も計画されたが困難ということで見送られてきた学会多年の懸案だった。その大会を61か国から1600人が参加するというかたちで成功裏に終わらせたのは、なんといっても川野組織委員長の卓越した指導力だった。「シャッポになってください」とお願いしたのは私だが、始まってみればシャッポでのっかっていればすむ仕事ではなかった。それを先生は見事にやってくださったのである。先生、有難うございました。
学会、農政界でのこうした御活躍よりも、農協関係者には、おそらくはどこのJAも備えているであろう「協同組合事典」の編集委員長としての先生の名のほうがよく知られているのではなかろうか。この「事典」の最終章で先生御自身「農業政策と農協」という一節を執筆されている。“農協の解体的改革”を主張している人なども新たに委員に加えた行政刷新会議農業WGが、JAの独禁法適用除外問題や信用・共済分離問題などを対象に論議を始めている時でもある。JA関係者は、先生のこの一節を是非とも読み返し、不当な改革論議に備えてほしい。
先生は本紙での最後の対談(01.7.22)で、農協の“人的信用中心の本来の姿がだんだん崩れてくること”を心配されていた。“新たな協同の創造”に私どもも努めることを先生の御霊前にお誓いしたい。