田んぼの広さは約40平米で土を魚沼から運び込み、苗はJA北魚沼が提供した。田植え後は、地域住民と、都市菜園事業などを展開し今回の交流事業の橋渡し役をした(株)銀座農園が管理してきた。案山子は地域の子どもたちが手作りした。
この事業は港区の「緑をつなぐ交流事業」の一貫でもある。芝浦港南地区総合支所の安田雅俊支所長は「大都会のなかに水田をつくる貴重な事業。JAのみなさんの協力に感謝。来年ももっと充実させましょう」と住民に呼びかけた。
芝浦1丁目町会の中嶋恭男会長によると、田植えをしてから稲の成長を見に来る人が増えた。「都会の人間に米がどうやってできるのか知ってもらうことができたのでは」。
ただ、稔り始めるとスズメが襲来、かなりの被害が出た。この日、稲刈りの指導にかけつけたJA北魚沼の森山賢一営農企画課長は「今年は全国的には平年並みですが、どういうわけか、ここは著しい不良、で……」と参加者を笑わせ「来年はみんなで豊作を喜べるように私たちも勉強したい」などと語った。
来年もまたこの田んぼで米づくりをする予定だ。
(写真)「大都会の田んぼ」の後には新幹線が走る