仲間を増やせば、視野が広がる、知恵が集まる
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平成16年にオープンしたJAにじ「耳納の里」。同敷地内に園芸流通センター、周辺にはふれあい農園があり、生産・流通・販売までを行うJAにじの営農事業総合拠点となっている。
◆女性部ならではの「特権」を活用
うきは市の加工所を訪れたのはもう日も落ちかけた頃合だった。すでに女性部の人たちは今日の作業を終わらせて家路に着いてしまったかも・・・という不安は、扉を開けるとともに感じたトマトの甘い芳醇な香りが打ち消してくれた。奥では目前に迫ったイベントに向けて、熱心にトマトソースを作る女性たちがいた。
自己紹介もままならぬうちから「私たちのグループ活動は販売とか売り上げとかが目標じゃなくて、何より地域貢献なんです」と話し始めたのは、加工品販売や直売などに取り組むワーカーズグループの代表ら7人で作る同専門委員会委員長の足立友美さんだ。
足立さんの所属する「うきはフルーツ愛好会」は果実を使ったドレッシングや焼肉のたれなどを作って販売するグループだ。柿、ナシ、ブドウなど様々な生産者が集まっているのは、農作業の繁忙期が重なってグループ活動が休止しないようにするためだ。
一方、副委員長の臼井美千代さんの「梨加工グループ 梨八花(りやか)」はナシ生産者が集まり、パイやチップスなどをつくっている。それぞれ考え方は違うが、共通の目的を持った女性たちの自主的な集まりだ。
両グループとも規格外品を原材料にしている。値段がつかず廃棄されるだけの農産物を買い取り、加工し、地元の人々に販売する地域貢献だ。足立さんは「わたしたちJA女性部には、いい材料を使える、直売所がある、という特権がある。加工販売で消費者と生産者をつなぐ役割を担っている」と自信を持って話してくれた。
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上:足立友美さん(左)と臼井美千代さん
下:ワーカーズグループでヒット商品・柿チップスをつくる松岡ヨシ子さん
◆世代・地域を超えた仲間づくり
JAにじは平成13年に女性部を改革し、多種多様なグループを活動の中心においた。
JAにじ合併前の平成8年には旧3JAで5000人を超える女性部員がいたが、著しく部員が減り、4年後の12年には3500人を割ってしまった。そこで女性部活動の主体を従来の[1]地区別、[2]世代別グループのほか、[3]趣味や文化活動で集まる目的別、[4]加工・直売などに取り組むワーカーズグループ、[5]食農教育などのアグリグループ、と5つに部門分けして、「星の数ほどグループをつくろう」を合言葉にグループづくりを促進した。これにより女性部は活発化。女性部員の減少にも歯止めがかかり、21年には+12人とわずかだが前年比増に転じた。現在活動しているグループ数は実に413ある(22年10月)。
グループ活動をJAの生活指導員とともに支えるのが20人の「文化協力員」だ。
文化協力員は旧吉井町農協で生まれた。
福岡県では昭和55年に「自給五・五実践運動」を始めた。[1]野菜をつくり、[2]果物を植え、[3]ニワトリを飼い、[4]大豆を植え、[5]加工品をつくる、という5つの取り組みで家庭の食卓自給率を5割にしようという運動だ。
しかしJAには運動推進のための生活指導員が圧倒的に足りない。そこで補佐役として、研修などを担当する地域リーダーを育成した。それが文化協力員である。
現女性部長の山下好美さんも文化協力員に推薦されたことから、JA運動にかかわった。
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上:女性部長の山下好美さん
下:耳納の里に惣菜や農産物を出荷している水城光子さん(左)と家永幸子さん