農政・農協ニュース

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【震災関連】 「コメはあるが、食べられない」 炊飯器、燃料など不足  震災現場の声

 3月11日午後2時46分ごろ、三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震が発生した。
 東北・関東各地で地震、津波、火災による広範囲の被害が伝えられている。農業生産基盤へのダメージは計り知れないが、いまだ救済にすら入れない孤立地域も多く、被害状況の把握にまで手が回らないのが現状だ。今の被災地の状況、JAの活動はどうなっているのか。各県中央会やJAへの電話取材による現場の声をまとめた。
(農業協同組合新聞では、平成23年東北地方太平洋沖地震による震災被害については、「東北関東大震災」で呼称を統一いたします。)

◆近隣JAで助け合い広がる

 津波による壊滅的被害をうけた大船渡市、陸前高田市がある岩手県では、近隣JAの助け合いが広がっている。
 県内8JAで特に被害の大きかった上記二市を管内とするJAおおふなとでは本店1階が水没したため、無事だった支店に本店機能を移すなどして対応しているが、県南のJAが一体となって沿岸部への支援に乗り出した。
 そのほかJA新いわて、JAいわて花巻、JAいわい東などでも大きな被害が伝えられているが、各JAでそれぞれ女性部を中心に炊き出し隊を結成し、花巻空港や被災地などで自衛隊や行政と連携をとりながらおにぎりを支給するなど、地域住民や組合員への支援活動を始めている。
 各JAの支援状況は下表の通りで、そのほか常時生活物資などを集めて提供している。

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◆「温かいものが食べたい」

被災地のようす(防衛省ホームページより) JAいわい東では17日、県をまたいで宮城県気仙沼市に直接おにぎり1100個とリンゴジュース3000本を届けた。翌18日には被害の大きかった大船渡市にも同程度の物資を届けた。
 現在の課題は、集まった物資や食料をどのように被災地へ届けるか、だ。
 支援活動の現場が直面している課題として、「それなりにコメや食料は被災現場に集まってきたのだが、今、一番の問題は炊飯器、ガスコンロなどコメを炊くための道具がないこと」(JA岩手中央会)だ。また、皿・お椀・はしなども含めて、「コメはあっても、それを口に運ぶことができないのがもどかしい」という。
 震災以降、連日真冬並みの寒さが襲い、降雪も確認されている岩手県内。防寒具や毛布などはもちろんだが、温かい食べものを提供するための燃料や器具がほしい、というのが現場の一番の願いだ。

(写真)
被災地のようす(防衛省ホームページより)


◆関東でもハウス損壊や塩害相次ぐ

 東北3県(岩手、宮城、福島)だけでなく、関東地方でも、震災の爪痕は大きい。
 茨城県では、支店の倒壊や厚生連病院、倉庫など施設、機械などの一部損壊が報告されている。
 日立市や北茨城市など甚大な被害が報告されている県北部では、震災のあった3月11日、直ちに市町村から各JAに対して支援の要請があり、女性部による炊き出しなどで対応した。全農茨城県本部も精米7トンを被災地へ提供した。
 千葉県では太平洋岸の九十九里を中心に津波の被害が出ている。
 被害の大きい旭市の特産品は各種園芸品だ。トマト、イチゴ、キュウリ、花きなどのハウスや作業場が損壊したほか、燃料不足や停電による低温障害も大きい。また、キャベツなど露地野菜でも津波による塩害が広がっており、まったく出荷ができなくなった生産者もいるという。


◆田植えができるかわからない

 千葉県内陸部では、地震による水路や水田の損害が多い。県の調べでは17日16時現在で、液状化や農道の崩壊による水田の損壊、用・排水路やパイプラインの亀裂や損傷がすでに496カ所報告されており、被害総数はまだまだ増える見込みだ。
 千葉県では例年4月中旬から下旬にかけて、田植えが最盛期を迎える。それまでに、水田を田植えのできる状態に回復させ、たん水ができるかどうかが不透明の地域もあり、「なんとか5月末までに回復させられれば田植えができるが、それ以降になれば今年はまったく田植えができないおそれもある」(JA千葉中央会)と危機感を募らせている。
 特に被害の大きかった県北では、全農千葉県本部のつくる防災食(水も火も使わずに食べられる非常食)をJAかとりなどを通じて被災地に提供している。

 今回、現場の声を伝えられたのはほんの一部の地域である。福島県では震災後の原発事故の影響もあり、電話回線が混乱し状況を把握できない地域が多い。宮城県の関係機関はほとんど「通信機器が接続されていません」との無機質な応答メッセージが流れるだけで実態がまったくわからなかった。
 しかし震災当日すぐにJAへ支援要請が入り即対応した例や、地域を越えた支援や物資の輸送活動など、まさにJAが地域の核として機能し、それを期待されている現実もわかった。これからも引き続き震災現場の状況を伝えていきたい。

(2011.03.18)