地域資源を生かした町づくりへ
◆過疎化は防げたが……
戦後の日本社会は地方から大都市に人口が流出し農山漁村では過疎化が進んだ。
伊藤さんも出身は新潟県の旧高柳町だ。(現在は柏崎市高柳町)。昭和30年代、農地の平均は3反で、みな出稼ぎをしなければ家族を養っていけなかった。昭和30年時点の人口は約1万人だったが、現在は1800人ほどまで減っているという。
出稼ぎをしなければ食べていけなかったというのは福島県の農村部でも同じだった。そんな状況のなか、双葉町や大熊町などは出稼ぎ依存からの脱却を原発に託したともいえる。
高柳町出身の伊藤さんは、かねてから、このように農村として抱えていた問題が同じだった双葉町などの自治体と自分の故郷とにどんな違いが生まれてきたのかに関心を持ってきた。そのなかで原発立地自治体の人口や財政を分析するようになったのだという。
(写真=伊藤久雄氏(公益社団法人)東京自治研究センター研究員)
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今回の論文では福島県内の原発立地市町村とそれ以外の市町村を比較している。
福島県内には「過疎地域市町村」は23ある。人口の減少率と財政力で指定することが過疎法で定められている。
原発がある双葉町、大熊町、楢葉町、富岡町は、この過疎地域市町村には入っていない。1970年代からの40年間で大熊町の人口は49%も増え1万1000人を超えている。双葉町は6.6%減少したが7000人前後を維持しているという。原発は過疎化を防ぐことに貢献したのである。
一方、今回の事故で計画的避難区域に指定された飯舘村、川俣町(一部地域)は「過疎市町村」である。同じ40年間で両地域とも3割以上の人口減となった。
◆町内GDPの8割が原発
伊藤さんの分析によると原発の立地で明らかに地域内経済は変化した。
双葉町と大熊町の町内GDP(総生産額)に占める第1次産業の割合はわずか0.6%と1.0%。農林水産業が国のGDPに占める割合は、前原前外相がその認識はともかくも言及したように1.5%だから、それよりも少ない・・・。