◆何百人でも受け入れられる、という安心感
「避難者を乗せたバスが今、福島を出てこっちに向かっているそうです。女性部でも受け入れの支援をお願いできませんか」。
震災から約1週間後の3月17日、青木敏子さん(JA埼玉県女性協会長、JAいるま野女性協会長)の元に、JAいるま野からかかって来た電話はあまりにも唐突だった。いったい、何台のバスが、何人の避難者が、いつ来るのか、まったくわからない。何より、避難者が埼玉に来ることすら知らされていなかったところに、突然の要請。しかも、バスはすでに出発し、埼玉へ向かっているという。時間はほとんどない。
「JAグループさいたまとしては、全国でもいち早く被災地に支援物資や食料を送っていた。個人的にも、そして女性部としても、何か活動ができないか、何か役に立ちたい、と思っていた」(青木さん)ところに受け入れの要請。どうしていいかわからなかったが、とにかく何かしたいとの思いから「やります!」と即答し、女性部員に声をかけていった。
青木さん自身も驚いたのは、女性部のチームワークだった。
彼岸前という忙しい時期で、しかもガソリン不足によってどこのガソリンスタンドにも行列ができていたにもかかわらず、女性部員らは自宅の車を女性部の活動用に待機させた。。さらには避難者用の食事や弁当を用意し、即座に1週間分のメニューとレシピも作成。受け入れ先となった入間市の農林総合研究センター茶業研究所に畳を持ち込み敷き詰めるといった作業にも、JA職員もともに取り掛かった。
結局、避難者がやって来たのは翌日。多くはさいたま市のさいたまスーパーアリーナ(アリーナ)へ向かったり、他の市区町村へ分散したため、JAいるま野管内へやって来た避難者は数えるほどだったが、精一杯の対応ができた。
「結果的には数人だったけど、例え何十人、何百人来てたとしても平気だったのではないかと思う。そういう安心感や信頼感を与えてくれるのが協同組合の力なんだと感動した。女性部員だけでなく、JA役職員も含めて、みんなの気持ちが一つになった」と当時の熱い気持ちを思い出して語った。
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避難しているJAふたば女性部とJA埼玉女性協とで、福島の伝統料理を作る(2011.6.9旧騎西高校にて)