協同組合の存在感もっと大きく
思想性磨く教育活動の強化を
◆新しい協同を育んで
鈴木 協同組合の視点から考える東日本大震災からの復興などについて語っていただきますが、まず被災地の現状などについて菅野専務からお願いします。
菅野 JAは支援活動の中で様々な教訓を得ています。震災直後の炊き出しでは女性部の方々が中心となりましたが、ボランティアが不足いたしており、JAと直接関係のない地元団体の女性たちとか休校中の高・中学生などが結構参加してくれて、炊き出しは1か月近く続きました。その中で、私どもは改めて住民組織のあり方を教えられ、得る所が大いにありました。
原発事故のため、農家は米や野菜の作付けを昨年はやめるかどうか悩みましたが、吾妻雄二組合長は「作る」ことを選択しました。その後、県も4月12日に水稲作付けをやるという判断を下しました。それより先、JAは同月5日に組合員集会を開いて胸のうちを語り合いました。
会場は管内20か所、参加者は合計約3200人。こんなに集まったのは初めてでした。参加者は口々に不安を語りました。?集会は不安のはけ口?などというと語弊がありますが、県や市は農家の具体的な不満や不安を受け止めてくれません。応じてくれるのはJAだけです。JAは組合員の声をまとめて県市町村に要望書を出しました。
集会の参加者たちは、同じ不安を持つ仲間たちがたくさんいるんだということを肌身で実感したと思います。また農家の人たちには新しい協同を育む芽があるんだという感じもしました。さらに組合員があって農協があるんだということを改めて実証した集会でもあったと思います。
鈴木 その後も組合員集会は続けていますか。
菅野 5月には放射能被害の損害賠償に係る集会を26か所で開き、約2000人が集まりました。記帳とか記録のとり方、写真を撮っておくことなどについても説明をしました。
鈴木 4月の集会は不安の受け皿ともなりました。素晴らしいことですね。
菅野 集会では組合員から様々な質問や問題提起が出てくるだろうが、行政などと違ってJAとしては回答を持ち合わせているわけではない。このため準備段階では、何を答えられるのか、との心配が常勤役員たちにありました。
そこで”農作物を作るんだ”という思いをきちんと示すことにしました。生産活動をやめてしまえば、ものごとの解決というか先々が見えなくなって不安をいっそう増幅させることになりかねないからです。そして集会でまとめた生産現場の実態を国県市町村にきちんとつなぐことにし、それをすぐに実行しました。
◆感度良好の農協を
菅野 集会参加者の声の中には「仲間たちが心配しながら生産を続けようとしている時に、JAが『作るぞ』という決断を意気高く示す大きな集会を開いてくれた。何よりの励ましになった」という評価もありました。
とにかくJAは、農家の思いを常に感じ取れるような感覚を研ぎ澄ましておかないといけないし、農家が今何をしてほしいかをすぐ感じ取れるような農協でありたいということをみんなで確認し合ったのではないかと思います。