東日本大震災と協同組合の「絆」
◆被災した人のために少しでも役立ちたい
JA共済連の各県本部や全国本部の職員が「広域査定員」として宮城県や福島県を中心とした被災県に派遣されたのは、3月21日からだが、そのピークは4月17日〜23日と5月1日〜7月29日(連続9週)の10週で、1班100名以上(最大163名)が派遣された。
5月に宮城県の沿岸部のJAに派遣された秋田県本部の職員さんは現地に着いたときのことを「その光景は今まで見たことも無い悲惨な状況で、まさに絶句とはこのことを言うのだと感じました。震災より2カ月が経過してもなお続く遺体捜索、避難所暮らし……」と書いている。
滋賀県本部から5月に福島県中通りのJAに派遣された職員さんは「ちょうど花桃やハナミズキの花が満開に咲く、地震・原発被害さえなければ本当に穏やかな春の風景でした。しかし、建物・道路に目をやれば損壊箇所が至る所にあり、屋根の多くにブルーシートで覆われた家屋や、土壁の外壁が大きく崩れた土蔵等」が見られたと春の風景の中に残された傷跡の深さを語っている。
山口県本部から宮城県に派遣された職員さんは「仙台空港に降り立ったとき、そこには震災の爪あとがまざまざと残る現実が待っていた」。それを見たことで「被災された方のために、少しでもお役立ちしたい」という「相互扶助」の気持ちが「心の底から湧き上がってきた」という。そして「入会して10年以上経つが、ここまで強くJA共済の使命を感じたことはなかった」とも。
◆「わざわざ見に来てくれてありがとう」
現地到着後は地元JAの職員やLAと被災者の家へ行き査定をすることになる。
宮城県へ派遣された岐阜県本部の職員さんは「傾いている家もあれば被害の少ない家もある。いろいろな家がありましたが、その時の『わざわざ見に来てくれてありがとう』」という組合員さんの言葉が「心に響いた」。