ほし・たいぞう 昭和22年福島県生まれ。41年県立田島高等学校農業科卒、42年県立農協講習所営農科卒。同年旧田島町農協に入組、平成18年会津みなみ農業協同組合退職、同年代表理事専務、現在に至る。 |
JAを良くしたい、地域・組合員を良くしたい、JA・地域・組合員のため働きたい思いは強く抱いているが、なかなか思うようにいかないのが現実である。今JAは大変な状況に直面している。金融危機と世界的な不況による失業者の増大、地方にあっては雇用と所得の減少、高齢化による農業者の減少、正組合員の脱退など5年後、10年後が大変憂慮されるなか、担い手の育成、介護福祉事業の拡充と地域農業の振興・地域経済の活性化が課題となっている。
新たな山村型農業を模索
福島県南会津地方は積雪寒冷地であり本質的には山村型JAに入り、条件不利地域の典型的山村である。
1960年代以降、この村々にも高度成長の波が襲いかかり、山村と深く結合した自給的な「暮らし」は大きく変容しつつ、平地農村と変わらない生活が強制される過程で、次世代を担うべき世代が都市へと離村の道を選んだのは当然のことだが、そこから村々の新たな山村型農業を求めた模索が続いてきた。
その一つに「薇(ぜんまい)」があり、収穫期に入ると田植えも何もソッチノケで山小屋に寝泊り続け加工して出荷した。関西市場で高値を呼んだことにもよるが、超一級の山菜であったことはたしかだった。「蕨(わらび)」も塩蔵して出荷する有望な産物だった。
ただし菌茸類、肉牛といった営農の試みと農業構造改善事業の一環として始められた、田島・下郷での契約による醸造用葡萄栽培、猿楽団地のりんご栽培等の失敗は様々な要因があったと思うが、責任ある検証もしないで生産者だけへの責任転嫁で終わってしまったことはやるせない気持ちである。
時代・環境に粘り強く対応
藩制期に天領であったこの地方は百姓一揆が頻繁に起き、明治初期の官民有区分のときも地租数年分を一度に支払い要求され、現金を持たない農民が破れ果てた入会地が、官有林に編入されるという異常ともいうべき経緯があった。1900年3月、産業組合法が公布される以前に松下一厘社をはじめ様々な養蚕と結合した組織により、会津と群馬とを結ぶ大峠を越えて上州南三社の思想が入ったのは、福島県では最も早いことはあまり知られていない。
また、生誕120年を迎えた賀川豊彦の「乳と密の流れる里」は会津大塩村若者が、駒止峠を超え桧枝岐村の七入りから尾瀬沼(沼山街道)を経て産組運動の盛んな長野県に向かったときもこの街道であった。
かつての参勤交代による江戸の往来時に大名行列の宿場待街でもあった「大内宿」に多くの観光客が集まり、また、旧舘岩村には、戦前、有名山岳家が宿泊した湯の花温泉や木賊温泉もある。奥会津ではあるが、県境大峠を越えれば3時間足らずで首都圏につくという利便性もあり、また、東北道白河ICから南会津への289甲子道路が最近開通し、農産物の販売・労働力の交流など地域経済の活性化が期待できる。
条件不利地域を逆手にとる
当JAは、1960年代に山梨県塩山市で始めた「夏秋トマト」栽培を参考に旧南郷村を流れる伊南川沿岸の水田にそれを試みて、栽培者の努力・情熱により、成功したのが今日の「南郷トマト」の始まりである。
道路事情の変化を生かし山間豪雪地としての不利条件を逆手に取り、尾瀬の持つ自然環境のすばらしさに生活者の憧れなどへの誘いをもって、直売所や産直事業への取組みを進めている。直売や産直の売上げ目標一人当たり年100万円以上を掲げ、日々生産者にトマト、きゅうり、なす、アスパラ、とうもろこし、カボチャ、エダマメなど他品目高冷地野菜の生産を呼びかけている。
その一環とも言うべき、埼玉県内スーパーとのインショップ事業は6年という歳月を要したが、販売額1億円を突破するまでになり、スーパーとの信頼関係はもちろんのこと、それ以上に利用される消費者の方々からも「あいづみなみのトマト、アスパラない?」などと声をかけていただくようになり、高齢者を含む女性生産者の励みになり年々拡大している。
このような状況にありながらも、組合員の高齢化(高齢化率40%:70歳以上)や離農家の増加、そして組合員の脱退など地域農業の維持、集落の維持が難しい状況にある。農協の基盤でもある組合員の減少は憂慮の念を抱かざるを得ないのが現状だ。
これらの打開策として、担い手の育成を図るには具体的な実践策が必要であり、集落営農推進にも取組んでいるが、新たな育成までにはいたっていないのが現状である。新規就農者にしても、単に自然を満喫できる農業や自給自足への憧れだけでは、持続的な農業経営の展開による担い手としての成長は望むべくもない。
これらを補完するために、JA出資型農業生産法人などを設立し、2年間ほど研修生として農業に従事し、技術の修得や農業経営に関る手法、さらに地域の農家の方々との交流による関係づくりを実践、就農資金を蓄えることが、新たな担い手としての原点ではないかと思う。
この実践は、JAが真の農業者を育てていくためにも、研修者の農業者としての適正をも判断する機能をもたねばならない。いわゆる地域農業の再生と振興の根底には、地域の風土を自らのものとする力を育む人材を育て上げてゆく、人づくりが脈打っているものであり、これらへの対応無しには、地域が抱える問題や課題の解決にはいたらないのではないか。
そこにあえて挑戦してゆくことが、我々の任務と考えている。
地域を支える人材を育成
山間地を主とする我がJA管内においても、次代を担う子供たちの減少は言うに及ばない。子供たちに、地域の持つ特徴や豊かさを伝え、農業に関心を持ってもらうために、女性部・生産部会・農青連などの協力をいただき、「しんごろう」や「ばんでい餅」などの郷土料理に触れて実際に食べてもらうほか農業体験や地元農産物を加工し、家に持ち帰り家族団らんの中でその時々の話に花を咲かせていただくなど多くの機会を設定しており、子供たちの歓声と、頬張る姿に期待を寄せたいものである。
我々は、今こそ農業復権の時と捉え、南会津郡の持つ自然と風土を利として生かす農家・職員・関係する生産者・地域の産物を食する消費者を含め、地域を支える人材の育成に辛抱強く取組んでいかなければならない時と認識している。
組織は人なりと言われるが、JAも人なり、である。良くなるも、悪くなるも人づくりにあると思う。当JAにおいても人づくりを大きな目標に、中央会等が開催する各種教育講座・研修会等には積極的に参加するように努めている。
優秀な職員を採用しても入組後の職場環境・上司・先輩の行動、背中を見て育っていく。職場内の教育が非常に大切であることは言うまでもない。毎年役職員による事業推進大会を開催し、今年一年の事業方針、目標・計画を共有し、意思確認をしているが、この大会で一番訴えたい事は職場内の人づくり、そして職場の活性化だ。日頃の会話の中、励みになる一言が職員のやる気・勇気の賜である。
合併JAでは、県内一小さなJAだが何か特徴があって、何か輝くものがあるJAを目指して役職員一堂がんばっていきたい。