提言

農協時論

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自給率向上を政策の正面に

武蔵大学経済学部教授 後藤光蔵

今ほど、食料自給率の向上が重要だと国民が考えている時期はないだろう。
 穀物がバイオ燃料の原料や投機資本の投機対象になることによって国際価格が急騰している。地球温暖化が世界の農業生産に与える深刻な影響も指摘されている。カネさえあれば必要な量の食料を自由に輸入できる状況は大きく変化しつつある。他方で輸入冷凍餃子等からの農薬の検出は、輸入食料における食の安全確保の難しさを改めて知らされることになった。つまり食料自給率39%の下での我が国の食料供給が、量的にも質的にも如何に心もとないか、強く認識させられているのである。

◆構造政策重視からの転換を

後藤光蔵
ごとう・みつぞう
昭和20年富山県生まれ。東京大学農学部卒業。(財)農政調査委員会専門調査委員、武蔵大学経済学部助教授を経て、昭和57年より武蔵大学経済学部教授。主な著書は「戦後農業技術の展開と農業構造の変化」(山崎俊雄等編『技術の社会史-技術革新と現代社会』有斐閣)、「都市農地の市民的利用-成熟社会の「農」を探る」(日本経済評論社)など。

今ほど、食料自給率の向上が重要だと国民が考えている時期はないだろう。
穀物がバイオ燃料の原料や投機資本の投機対象になることによって国際価格が急騰している。地球温暖化が世界の農業生産に与える深刻な影響も指摘されている。カネさえあれば必要な量の食料を自由に輸入できる状況は大きく変化しつつある。他方で輸入冷凍餃子等からの農薬の検出は、輸入食料における食の安全確保の難しさを改めて知らされることになった。つまり食料自給率39%の下での我が国の食料供給が、量的にも質的にも如何に心もとないか、強く認識させられているのである。
そういう状況にあるにもかかわらず米価の下落に歯止めがかからず、日本農業が危機的状況に立ち至っていることもテレビや新聞で大きく報道され人々の関心を引いている。稲作だけではなく飼料穀物価格の高騰によって畜産経営が、また品目横断経営対策への転換によって畑作経営が所得の低下に悩まされている。地方の労働市場の縮小・不安定化は農外収入の減少・不安定化をもたらし兼業農家もまた生活に困難をきたしている。食料供給を支えるべき日本農業の危機、農村の崩壊が現実のものとなってきているのである。
つまり人々の安心・安全な暮しにとって食料自給率の向上、それを支える自給力の強化が重要かつ緊急な課題となった。それゆえ農業政策は自給率の向上の実現という観点から見直されるべきである。これまでの政府・与党の政策は担い手の育成という構造政策に重点が置かれすぎていた。しっかりとした担い手を育てることは自給率の向上に繋がると言うことはできるが現実にはそうはならなかった。
もっと自給率の向上を正面に据えて、政策展開をすべき事態なのである。つまり日本農業の土台である稲作経営の安定化と自給率向上のための麦、大豆、飼料作物等の生産拡大を支える農業政策の展開である。
政府・与党の米政策・品目横断的経営安定対策等の見直しと民主党の農業者戸別所得補償法案はどうであろうか。

◆稲作経営の安定化が課題

政府・自民党による今回の政策見直しでは、米価の下落等の要因は生産調整の未達成によるとし、生産調整・転作の確実な実施に力点がおかれている。そのために08年度から主食用米生産数量目標の都道府県調整の導入や新たな転作作物としての飼料米、バイオエタノール米等の導入、生産調整の実施主体への行政の事実上の返り咲きなどが行われる。インセンティブとしての目玉は新たな転作実施面積に対する一時金支払いである。しかし産地づくり交付金は3年間固定されているので生産調整面積が拡大すると薄まってしまう。一時金支払いが生産調整面積の拡大にどれほど効果をあげることができるか問題であろう。
米価の大幅な下落を受け品目横断的経営安定対策の「ナラシ」対策が拡充されることになったが、最も必要と考えられる下支え施策は導入されていない。米政策等には大きな転換は見られず、生産調整の実施に力点をおいた今回の見直しで稲作経営の安定化や自給率の向上に寄与する転作の拡大が実現するか、厳しいように思われる。
品目横断的経営安定対策に関しては加入要件が大幅に緩和されることになった。具体的には市町村特認制度によって面積条件は緩和される。同時に認定農業者の年齢制限の廃止や運用の弾力化も行われる。集落営農に対する5年以内の法人化等の画一的な指導も廃止される。この見直しは新政策を出発点に品目横断的経営安定対策が具体化されるまでの過程を考えると理念的な転換とも評価できよう。ただし今回、品目横断的経営安定対策の導入が畑作経営の所得の減少に繋がったことを踏まえてゲタ対策の制度の欠陥が補正されなければ見なおしの成果は上がらないだろう。

◆民主党案で自給率は上がるか?

民主党は発表してきたこれまでの農業政策をもとに「農業者戸別所得補償法」案をまとめ参院に提出し参院を通過させた。
戸別所得補償法案の柱は食料の安定供給、農業経営の安定、自給率の向上、多面的機能の維持を目的に、すべての販売農業者を対象とする販売農業者交付金と現行の中山間地域等直接支払いを恒久化した生産条件是正交付金である。
前記の目的のために国、都道府県、市町村は米、麦、大豆等の生産数量目標を設定することになっている。背後にある自給率の目標は10年後50%、将来は60%以上とされている。現状に対して10%の自給率アップは小麦、大豆、飼料作物、菜種等を過去の最大の生産量にすることで実現できると試算している。生産目標達成のための支援策が、目標生産数量に従って生産した販売農家を対象にした前記の交付金である。
稲作について見ると、行政が主導する生産目標に基づく生産(言い換えれば強制を伴わない生産調整)および300万トン水準の棚上げ備蓄による需給調整と、経営を支える所得補償交付金という施策である。稲作の所得補償交付金は実際に支払った経営費(物財費、雇用労賃、支払い地代)、家族労働費の一定割合(例えば8割)の合計額と標準的な販売価格の差額に基づいて決められる重量あたり交付金単価を、地域の単収に基づいて面積単価に換算し、販売農業者の毎年の生産面積に応じて支払うものである。
自給率向上のポイントである麦、大豆、飼料作物等の生産にも米で説明したのと同じ考え方によって算定される所得補償金が交付される。それらの作物が転作として行なわれた場合には米と同等の所得が確保できるように転作導入交付金が支払われる。
この販売農業者交付金は稲作では下支え機能、小麦等では生産奨励機能を果たすことが期待されている。大きな枠組としては整合的に組み立てられた制度の提案になっている。
具体的にどのような役割を果たし得るかは生産目標数量や補償交付金水準などによって異なるだろう。また支払い対象者をどのように確定するか、過剰な米と不足する小麦や大豆等では生産数量目標の役割も異なりそれらが実際の生産指標として実効性を持つか等々詰めるべき点も多い。

◆期待される国会の論議

冒頭に記したように、日本農業最大の課題が自給率向上にあることはすべての政党の共通認識になってきているといって良いだろう。そのことを前提に国会の論戦を通して望ましい施策の転換、具体化を早急に期待したい。その際に以下のような点を踏まえた議論が必要であろう。(1)農業経営に展開を下支えする制度=セーフティネットの構築、(2)農業者の自由な取り組みを阻害せず助長する制度、(3)多数の農業者によって農業生産が支えられている日本の農業生産構造の特徴、(4)過剰の米と不足している麦、大豆、飼料作物等が併存していること、(5)農業者がプライドを持って農業生産に取り組める、逆に消費者はその施策の展開が食料の安全保障、多面的機能の維持という国民にとって重要な課題のために行われていることが明確になる制度や制度の名称、(6)WTO・FTA/EPA交渉の理念・姿勢等々である。

(2008.03.04)