JAグループは、2009年10月の第25回JA全国大会で、「大転換期における新たな協同の創造」を決議した。農産物の供給だけでなく、高齢者福祉や子育て支援などの地域課題の解決のためには、「地域で仕事をし、そこで暮らす人々の相互扶助の精神に基づく新たな協同が不可欠である」とも述べている。
◆JAは地域のため「仕事」をしてきたか?
しかし、荒っぽい言い方になることを敢えて承知で書かせていただけば、近年のJAが、本当に「地域で仕事をし」てきたのか、「そこで暮らす人々の相互扶助の精神に基づく」活動を展開してきたのか、改めて足元を見つめ直すことが、第一に必要ではないかと感じている。
農家が大半を占め、地域住民が均質だったかつての農村とはちがい、今は消費者だけでなく農業者も、自給・兼業・専業・定年専業と実に多様化し、農業に対する姿勢もちがう。信用事業では、非農家を含めた準組合員の確保を積極的に進めてきたJAも多いが、ことJA組織の運営という点では、この地域の多様性への対応が不十分なままではないかと強く感じている。
JAは、農業協同組合である。協同組合には、事業性と運動性の両立が求められる。信用事業での非農家取り込みが、事業性の面では大きなメリットを生んできたのはまちがいない。しかし、はたして、協同組合としての運動性という視点から、非農家を含めた「地域に立脚した仕事」を、今の全JA、単協がしているとは、控えめに見ても思えない。
1年の3分の1以上は地方を歩き、農業者と話す機会の多い筆者の耳には、専業農業経営者から「JAは、すでに農業者のための協同組合ではない」という批判が聞こえ、一方の兼業の農業者からも、「JAは地域から離れてしまった」という批判が聞こえてくる。もちろん、地域差はあり、単なる愚痴として聞き流していい批判もあるが、根底には、運動性という側面で、JAが今も均質性を求める体質を抜け出せず、地域住民の多様性に対応できていないことに大きな要因があるのではないかと感じている。
この「地域住民の多様性」に対応できない限り、「地域の再生」を前提とした「新たな協同」を、JAが主体となって構築することは難しいのではないかとも思う。
◆「地域」を軸にした「たべもの協同組合」
90年代、生協もJAも経営が低迷する中で、「協同組合というパラダイム自体が、時代に適応できなくなった」と指摘する声が少なからずあった。
しかし、新自由主義を標榜する小泉政権下で、地方の疲弊が進み、20代の2人に1人が派遣労働者となり、先進国の中でも貧困率の高い国となった近年、「公共(官主導)」でも「市場原理(企業主導)」でもなく、事業を通じて社会貢献の役割を果たす第三極としての「社会的企業」の存在価値が、改めて注目されている。
その意味で、協同組合という組織形態の存在価値は、改めて評価されていいと私は思っている。ただし、そのためには、農協、生協、漁協、森林組合という業種別の縦割りと、それぞれの業界関係者の利益だけを考える組織としての殻から脱皮し、「地域」に立脚した社会的企業としての存在が求められるのではなかろうか。
社会的企業の難しさは、運動性と事業性のバランスをとらなければならないところにある。90年代は、経営不振に陥った生協も農協も、事業性としての健全化を志向せざるをえなかった。広域合併や事業統合、連合事業化が進み、そのなかで、運動体としての色彩が薄れた印象は否定できない。
地域でJA支所や出張所が閉鎖された地域では、新たに地域主体の協同組合的組織が誕生するケースも登場した。一方で、日本プロ農業総合支援機構の設立や地方銀行による農業法人の経営支援など、専業の農業経営者を対象にしたネットワーク形成の動きも目立ち始めた。その中で、JAの存在価値はどこにあるのか。広域合併は、事業体としてのJAにとってはメリットがあるが、運動体としての存在価値を考えれば、今後は、支店単位での地域戦略が大きな意味を持つはずだ。そのためにも、もう一度、協同組合の原点に立ち返って、各地域のJA単協職員たちの間で議論すべきではなかろうか。
地域に立脚した新たな協同組合に脱却する突破口のひとつが、地域の「食」と「農」に係わる組織をつなぐ「たべもの協同組合」的なネットワークの構築ではないかと筆者は思っている。
◆生産現場での連携づくりに期待
「たべもの協同組合」とは、JA兵庫六甲の元職員・本野一郎氏が提唱した言葉だが、他にも「農生協」「産消混合型協同組合」など、さまざまな表現で、同様の組織再編は提唱されてきた。食料は、国内・国外にかかわらず、農地と水(川・海)という有限の自然資源を基盤に生産されている。逆に言えば、生命系を支える森・土・水を守らなければ、食料の生産継続は望めない。
農協・漁協・森林組合という第一次産業だけでなく、消費者という“食べ手”も含め、「食」と「環境」をキーワードにした協同組合があっていい。
産直などの形で、生協と連携しているケースは多々あるが、同じ組織下で生産と消費の双方を考えるケースは、全国でもまだ少ない。協同組合間連携も、情報交換レベルでの連携は継続されているが、食を通じた事業レベルでの本格的な連携は、今も少ない。
しかし、山形県長井市の「レインボープラン」や、JA秋田やまもとが設立した「生活推進創造会議」など、地域を軸にした生産者・消費者の連携は存在する。愛媛県有機農産生協のように、生産者・消費者の双方が構成員となっている協同組合も、現実にあるし、パルシステム生協とJAささかみのように、両者でNPOを設立しているケースもある。本来、消費者との連携は、安定生産の保証という事業面だけでなく、食べる側の目線での商品開発や、地域の環境保全をともに支える上でも、大きな武器になるはずだ。
農地法改正後、生協陣営は、農業生産への参入に動き始めている。すでに、生協ひろしまなど、遊休地を基盤に農業法人を立ち上げたケースもある。生活クラブ生協連合会(本部・東京)も、かつての提携産地での援農(同生協では、「計画的労働参加」と名付けている)から一歩進め、提携産地への援農と農業研修希望者を募る「夢都里路くらぶ」を発足させている。
生産現場に近づこうとする生協と、今後、各JAがどのような関係を構築するのかは、大きな課題になるのではないか。
◆女性たちの声を経営に生かす
JAが消費者とも連携し、「農」から「食」へとアプローチする上で、声を大にして言いたいのは、女性の力をもっと生かすべきということだ。JA女性部を中心に、生活文化活動として実践してきた直売や加工は、考えてみれば、今注目されている「農の6次産業化」の草分けである。
実際、この10年で売上高を倍増させた広島県の「世羅高原6次産業化ネットワーク」も、山間部の地域活性化に成功した高知県の「十和おかみさん市」も、基盤となったのは、女性たちが蓄積してきた料理・加工技術だ。
ただし、多くの活動は、ビジネスとしての体裁をなしていない。その女性たちの潜在能力をうまくビジネスにつなげ、地域の活力に生かす青写真を描く人材が、上記の2事例には存在した。
高齢者福祉事業でも同様のことが言えるが、日常の食卓を担っているのも、介護を担っているのも、ほとんどの場合、女性たちだ。彼女たちのリアルなニーズは、農業者・非農業者の枠を超えた、地域の女性たちのニーズといってもいい。そこに、JAが地域で展開できる社会的企業のアイデアも多く潜んでいるはずである。
JA役員の口からは、「女性たちに期待している」という声を聞くことが少なくない。しかし、男社会のJAでは、食も介護も、現場の人間としての実感のない男たちが企画・経営を担い、女性たちは、単なる“手足”として“動員”されているにすぎないケースが、あまりにも多すぎる。“手足”ではなく、企画という“頭脳”部分に女性たちの声をフィードバックすれば、より地域に求められる事業展開が可能だと思うのだが、どうだろうか。
【略歴】
さかきだ・みどり
昭和35年秋田県生まれ。東大仏文科卒業。昭和59年生活クラブ生協連合会に就職。平成2年退職後、農業・環境問題・食育等をテーマに農業誌、一般誌などで執筆活動。主な著書に、『雪印100株運動から起業の原点・企業の責任』(共著・創森社)など。