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2012年国際協同組合年に向けて 協同組合が創る社会を

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「働く場」の協同で日本社会の再生を 笹森清・元連合会長、労働者福祉中央協議会会長

・【戦後と協同組合】働く人々の結集が日本の原動力
・【バブル崩壊】国民の富が失われた20年
・【高度経済成長】日本型経営とは何だったのか?
・【新しい公共】協同組合どうしでブリッジをかける

 「自分たちで出資して経営にも主体的に参加し、人と地域に役立つ仕事を起こして働く場を創り出そう」という動きは約30年前からワーカーズ・コープなどを皮切りに広がり、今では農村女性企業、介護・子育て、障害者の自立支援組織などで10万人が働いているという。
 こうした「協同労働の協同組合」も協同組合運動のひとつであり、最近では関係者が法整備を求める運動にも力を入れ、先の通常国会では超党派議員により法案骨子までは作成された。
 今回はこの協同労働の協同組合の価値と可能性、さらに農協などとの連携の意義について、「協同労働の協同組合の法制化をめざす市民会議」会長で国際協同組合年全国実行委員でもある元連合会長の笹森清・労働者福祉中央協議会会長に聞いた。

「協同労働の協同組合」はどんな可能性を持っているのか?

【戦後と協同組合】
働く人々の結集が日本の原動力

ささもり・きよし 昭和15年東京生まれ。埼玉県立川越高校卒。35年東京電力(株)入社。平成3年東京電力労組委員長、5年電力労連会長、13年?17年日本労働組合総連合会(連合)会長(第4代)。労働者福祉中央協議会会長。 まず戦後日本の復興と労働組合、協同組合の位置づけを振り返りましょう。
 終戦後の日本に乗り込んできたGHQは、この国を自力再生させるための国家改造計画を終戦から2か月も経たない10月上旬に発令します。
 柱の1つが天皇制は残すが象徴天皇とすること、2つめが国民の力を活用するための主権在民、基本的人権、そして恒久平和をうたう新憲法の制定です。3つめは農地解放、4つめが財閥解体でした。
 それを受けた具体的な政策が5つの民主化政策です。
 [1]経営の民主化、[2]学校教育の自由化、[3]人権抑圧をしていた条例をすべて撤廃し人権を回復させる、[4]女性の権利拡大とその象徴としての選挙権の付与、そして、[5]世界で一番と言われる勤勉な労働力の活用、です。
 そのために必要とされたのが、労働者よ団結せよ。これはソビエト共産党の思想ではなく働く人の力を活用するために労働組合を結成しなさいという奨励策でした。
 この民主化政策についてはもちろん評価も分かれるし功罪もありますが、これを受けて当時の幣原内閣は法律を作り始める。そしていちばん最初に作られたのが実は労働組合法なんですね。1945年12月施行です。翌年には労働関係調整法、さらに罰則付きの労働基準法が47年3月にできる。新憲法は47年5月3日施行ですから、労働3法のほうが先に生まれたわけです。
 しかも合わせて同じ労働者でも業種別にカバーしなければならないということから協同組合法ができていく。そのいちばん最初が農協法であり生協、森林組合、漁協と続き最終的には零細企業も含めそこで働く人と経営者をカバーするための中小企業等協同組合法がつくられた。
 振り返ると戦後5年間に制定された法律のなかにこれらすべてが入っている。ということは何を意味するのか? 働く現場を大切にしながら日本を作り変えたいということではなかったか。GHQの指示ではあったけれどもこれは日本政府が力を入れたことであり、戦後日本の原型ともいえるわけです。
 もともと戦前には賀川豊彦らが生みだした協同組合運動のなかに、業種を問わず全部含まれていたわけですが、戦後の実態のなかでは雇用労働者を対象にした労働組合と、同じ労働者ではあるが業種・ジャンルを限定した協同組合という2つをつくった。これが日本の高度経済成長をもたらした力になった。実際、60年代からの約30年間、農協も生協も、労働組合もみんな役割を果たしたと思います。


【バブル崩壊】
国民の富が失われた20年

 ところがバブルが弾けた90年以降、この全部が急速に力を失っていく。高度経済成長にあぐらをかきすぎてそのつけが回ってきた。われわれも創業の原点を忘れてしまったということもあります。
 そこで何が起きたのか。労働現場の破壊です。雇用労働者でいえば雇用労働の世界が壊された。農業でいえば、農業で働き国家を支える役割をしてきた人たちを本当にカバーする政策となっているか、それが問われた。
 同時に90年代には世界のパラダイム(枠組み)転換も始まりました。
 このパラダイム転換とは1989年のベルリンの壁崩壊から91年のソ連解体へ続く東西冷戦構造の終わりです。しかし、残った資本主義陣営はどうなったか。わが世の春を謳歌したがあれから20年、サブプライムローンの破綻やリーマンショックで、結局、米国型金融資本主義、市場経済万能主義も間違いだったことが突き付けられています。
 このなかでどうパラダイムを作り直していくかが現在の課題になっているわけですが、この間、日本は失われた10年の1990年代を経て2000年代に入ってからは、壊された10年が続いた。私は「失われた壊された20年」と言っています。
 失われたのは何かといえばそれは国家の富です。その富はだれが作ったのか? それはまさにすべての働く人々がつくってきたものです。


【高度経済成長】
日本型経営とは何だったのか?

 1955年は国民春闘とともに生産性向上運動が始まった年です。
 国民経済を豊かにするには輸出だということから、いい製品を安く売る、そのためには生産性を上げなくてはいけない、と提起された。労働組合側は会社が儲かるために協力するのか、というのがほとんどでしたが、鉄鋼、自動車、造船、電気などでは4年越しで協定を結んで生産性向上運動に入る。
 これが世界のソニー、技術の東芝、ジャパン・アズ・ナンバーワンのトヨタをもたらした。世界を席巻し国際競争に勝つことで、すさまじい高度経済成長を達成していく。
 ただし、経済成長ばかりに目を奪われるのではなく、そのとき確認された生産性3原則を改めて振り返る必要があります。その1つは喧嘩ばかりしている労使関係はやめて、とことん話し合おうという労使協議の充実・強化です。2つめはそれが保証できる労使関係ならば経営側は従業員のクビは切らないと約束する、つまり、雇用の維持・拡大です。
 そして3つめが収益・成果については公正な成果配分をしようということだった。では、誰と公正な成果配分をするのか? ステークホルダーもそのとき確認するんですが、経営者と労働者と消費者で配分、でした。
 気がつきますでしょう? ここには株主は入ってないんです。これが日本型資本主義、日本型経営、日本独特の労使関係であり、これが高度経済成長をもたらした。働く人の力で日本を再建したい、という点で一致していたわけです。
 その後、第1次オイルショックによる狂乱物価の際の賃上げ要求も労使協議で乗り越えますが、1975年にひとつの節目を迎える。家庭の主婦がパート労働に出るようになって雇用転換が生まれた。すなわち、それまでは法律で禁じていた派遣労働について、パートだけではなく、専門能力を持った女性もたくさん出てきたのだからそれを活かす派遣労働法制をつくれ、という話になりました。
 この雇用転換がその後、企業側の都合がいいように使われるようになります。
 1985年のプラザ合意もその節目で、円高が誘導されるなかで国際競争に勝つためという名目でこれを乗り切ることに使われた。
 バブル崩壊後はさらに危機が訪れ日本ではコストカットをどうするかという課題に迫られる。
 1995年、経団連は「新時代の日本的経営」ビジョンを出しますが、ここで終身雇用はやめ正規雇用から非正規雇用に転換するということを明確にうたう。大義名分は国際競争に勝つため、です。こうして働く人々が築いてきたこの国の富が失われていく。


【協同労働】
家族と地域の危機救う

 しかし、あれから15年、20年と経つうちに経営側も日本的経営という最大の武器を捨ててしまったと思いはじめている。
 そして一方では労働側も働く人たちを括っているそれぞれ専門業種的な協同組合が、お互いにどう協力するのかという時代になってきているのではないか、ということです。
 そのときに私が着目したのが、約30年前から自分たちで出資し自分たちで働く場をつくってきたという人たちです。ただ根拠法がないものだからNPO法など目的の違う法律を準用し、法人格を持たないと信用されないからと活動してきた。しかし、自発的に働く場をつくるための協同組合を支える法律がないのは世界で日本だけなんです。
 私はこの運動に連合の立場から関わったわけですが、毎年、この法律が必要だという思いを強く感じるようになりました。なぜか? 失われた10年、壊された10年のなかで、いちばん壊されたのが雇用労働の現場だから。それによって生活破壊が起きた。
 失われたのは富だけではありません。私は2つの絆と言っています。家族の絆と地域社会の絆が失われました。そして壊されたものが雇用と生活です。
 これをどう取り戻すか。そのなかで雇用が壊されたというのであれば、今後は自営的な働き方でもいいではないかというのが協同労働の協同組合です。自立・自営でやれる働き方が、これからの時代の「働く」ことに対するものすごく大きな支え役になれる。


【新しい公共】
協同組合どうしでブリッジをかける

 今、壊された日本社会のなかで、官から民へ、と言葉ではいう。しかし、官が担ってきた公益の部分、これからは民が担うべきだという公益の部分、これを新しい公共といっていますが、その担い手が本当にいるのかという問題があります。収益主義の人たちがほとんどではないか。NPOやボランティアの人たちもいますが、地域限定型で必ず資本の力で潰されていくんです。
 そこに協同労働の協同組合が出てきてそれをコアにすれば、失われた地域社会の絆の取り戻し役、そのいちばんの受け皿になれるんじゃないかと思います。
 もちろん雇用労働の世界はなくならないし圧倒的多数であることも事実です。しかし、経営者の都合でというより、今度は自分たちが仕事をつくるという働き方が拡大をしていったときには、すごく安定した職場をつくれる。そこにうまく仕事を配分できればいい。たとえば協同労働の協同組合が農協と連携して地域の農業を担う存在にもなる。
 こういう状況のなかで国連決議がされた2012年国際協同組合年が出てきた。そこに向けて協同組合と名のつくところがお互いにブリッジをかけて、それぞれの役割を相談しながら足らざるところを補っていこうという取り組みをすべきではないか。そういう時代が来たということだと思います。


【最大の武器は絆】
「糸」の「半」分を持ち合う

 やはり日本の最大の武器は絆だと思いますね。この字は糸の半分を持ち合うということかな? 片方がしっかり持たなければ糸はたるむし、強く引っ張れば切れてしまう。この持ち方が日本社会の原点。それを持ち合う両方にどういう人たちがいたのか。
 日本はやはり農から生まれた国です。安全保障でいえば外交防衛は政治の世界ですが、食料の安全保障は人々の手でできることじゃないですか。「大地がくれる絆」(編集部:JA全国連統一広報のキャッチフレーズ)とはぴったりだと思います。
 ただ、今までもいろいろな農業振興策を打ってきましたが、それが自立につながったのだろうか。きちんと自分たちの力で再生させることはできるはずです。今、渋谷の若い女性が田んぼで農作業することが話題になっていますが、そうしたことを含めて多くの人々の力で自立する農業を考える。そのために必要なことは農業の魅力を伝えるということ、同時に苦労も伝える。そのことによって農業の必要性を理解させるということです。これは日本というものに対する信頼を武器にすることだと思います。その努力をしていますか、ということも問われる。
 菅政権は「強い経済、強い財政、強い社会保障」を打ち出し、今度の党代表選では雇用、雇用と言いましたね。雇用とは、つまり働くということです。雇用労働のことだけを言っているわけではなくて、働く場をつくり出すということでもある。
 今はそれこそワーキングプアを含めて税金や社会保険を払えないという人がたくさんいる。当然、食費を削るということになるでしょうが、それもできないとなれば、今度は売る側がものすごく安くして売る。この悪循環をどう断ち切るか。やはり収入をどう上げるかということが第一です。そう考えると国家を支えている基本はやはり食です。食の安全保障をきちんと全面に出す。そこに向けて協同組合もタイアップしていく。
 私が連合の会長だったとき、当時の宮田全中会長と奥田経団連会長との初の3者会談が実現しました。経営、労働、そして日本を支えている基盤の農業、農協、この3つが組んだら怖いものはない、という話になった。すべてが生産にタッチしているからです。
 世界のパラダイムが転換するなかでこれからの21世紀の日本型社会の再構築に向けて、それぞれの協同組合が互いに壁を取り払い、垣根を開放し協力し合うことだと思います。

 

【略歴】
ささもり・きよし 昭和15年東京生まれ。埼玉県立川越高校卒。35年東京電力(株)入社。平成3年東京電力労組委員長、5年電力労連会長、13年〜17年日本労働組合総連合会(連合)会長(第4代)。労働者福祉中央協議会会長。

【著者】第10回

(2010.09.22)