◆実験段階に突入した民主党農政
2010年度予算はやっと年度内成立が確定したが、戸別所得補償モデル対策はすでに実質的な実施段階に入っている。全面的な実施は11年度からで、10年度は米に限定したモデル対策という条件付だが、いよいよ民主党農政が「プラン」から実験段階に突入した。 このモデル対策については政策体系の全体像が明らかではないという大局的な観点から、交付金の単価が現実的ではないといった細かな点に至るまで、すでにあちこちで論評が行われ始めており、百家争鳴状態である。
しかし、大切なのは、一方で今回の対策が当初の戸別所得補償政策そのものではないモデル対策に止まることであり(限定性)、他方ではそれにもかかわらず、従来の農水省の路線とは大きく異なる農政思想における四重の転換がみられることである(前進性)。
◆戸別所得補償政策の原案からモデル対策へ
昨年12月22日に確定したモデル対策は、戸別所得補償制度が目指す方向としては、(1)食料自給率向上がわが国の主要課題であり、(2)自給率向上のためには水田の利活用が重要であるが、(3)米需要減少の中で自給率を向上させるには、米以外の作物生産を増大させることが必要である。したがって、(4)その前提として水田農業経営を安定させ、自給率向上に取り組む環境を作ることが不可欠であるとし、(3)のために「水田利活用自給力向上事業」、(4)のために「米戸別所得補償モデル事業」を配置した。
表は2007年11月に参議院で可決された「農業者戸別所得補償法」に付帯して示された実施案と今回のモデル対策を予算について整理したものである。
これによれば第1に、水田作と畑作での同時実施案は水田作のみでの先行実施となった。第2に、原案では食用米以外の戦略作物・畑作物重視であったが、モデル対策では食用米が重視されている。作物への支払いのうち食用米は前者が37.7%だったのに対し、後者は61.4%に達している。第3に、原案では規模・品質・環境保全加算の同時実施が提起されているが、モデル対策では先送りされた。
◆転換1=自給率向上への強い意志
第1に注目されるのは、戸別所得補償モデル対策の包括的な位置づけが改めて食料自給率の向上にあると明記された点である。2007年の「農業者戸別所得補償法」は第1条で、「食料自給率の向上並びに地域社会の維持及び活性化その他の農業の有する多面的機能の確保に資することを目的と」していたが、2009年10月15日に農水省が財務省に提出した概算要求におけるモデル対策は担い手政策の色彩が強い米戸別所得補償モデル事業が前面に出ており、水田利活用自給力向上事業による自給率向上は後景に退いていた。
12月22日の決定はこうした農水省案を民主党の主張に引き戻す形で実現された。この点は高く評価されるべきであろう。
◆転換2=米政策から水田農業政策へ
たしかに、畑作物がモデル対策からはずされた結果、数字上では食用米重視型の予算構成となったが、位置づけとしては水田転作を通じた自給率向上が優先性をもつとされ、食用米生産の安定は水田転作を進める上での前提条件にまで地位を低めたことを見逃してはならない。つまり、水田農業政策を従来の食用米政策の枠内から解放することが目指されているのである。
それだけに麦・大豆・飼料作物などの戦略作物の目標所得水準が食用米の所得水準を超えるように設計されてはいるものの、多くの地域での産地確立交付金の現実水準を下回ったことは看過できない弱点だった。
◆転換3=飼料用米の本格的導入へ
しかも、原案にはなかった新規需要米の本格的な導入が提起されたことは一面では旧政権末期からの政策的継続性の側面もあるが、水田農業の可能性を大きく拡大するものとして高く評価したい。だが、問題もある。それは米粉用米=食用、飼料用米=飼料穀物、WCS用稲=飼料作物、バイオ燃料用米といったカテゴリーや重視すべき用途序列も異なるものを新規需要米の下に一括し、粗雑にも同一の交付金水準にしてしまったことだ。きめ細かな交付金水準への改正が望まれるところである。
◆転換4=増産インセンティブ重視へ
今回のモデル対策で最も注目すべき転換は、(1)食用米についても生産目標数量に即した生産者に対するメリットを定額部分・変動部分の直接支払によって与えるほか、(2)水田利活用自給力向上事業では米の生産調整への参加・達成を要件とせずに、戦略作物等の生産に参加する者に直接助成するとしたことである。すなわち、ペナルティからインセンティブへの政策思想の転換である。人事考課に即して例えれば、業務で失敗しない人材を求めるべく減点主義の評価方法を採用するか、多少の失敗よりも結果として業績が上がる人材を求める加点主義を採用するかの差である。どちらが優れているかが重要なのではなく、いかなる政策目標に対してどちらが有効なのかが問われるべきであろう。食料自給率の向上、そこに政策目標が設定されるならば疑いもなく後者に優位性があるといってよい。
今回のモデル対策の評価はまずもって以上のような農政転換の意義をリトマス試験紙として行われねばならない。その上で初めて予算制約の枠内での政策の相対的有効性が問われるべきであろう。
【著者】谷口信和
東京大学大学院農学生命科学研究科教授