◆米政策の当面の視点
去る8月31日に提出された農水省の2011年度予算概算要求で戸別所得補償制度の本格実施案が提示された。これは民主党の09年衆議院選挙マニフェストに沿った工程ではあるが、口蹄疫発生の影響もあってモデル対策の最終結果も集計されておらず、その総括もなされていない中での公表となった。
これに対して全中は10月8日にJAグループとして3つの政策の柱と5つの提案からなる政策提案を提示して政策変更を要求している。そして、当面の最大の政策課題として米価下落抑制を指摘し、政府が11年度から導入をめざしている100万トンの棚上げ備蓄政策を前倒し実施し、過剰米処理対策を行うことを求めている。中期的な政策検討のたたき台としては首肯しうる内容を多く含んだ提案だということができるが、来年度からの実施をめざす当面の政策を考える上では現実的な着地点を探ることが必要になるだろう。
◆棚上げ備蓄政府案
新たな備蓄制度は国内産米の5年間棚上げ備蓄で、備蓄水準は100万トン。毎年20万トンの買入・販売を行い、約520億円/年の財政負担を予定する。重要なのは民主党・農水省は食糧法の趣旨通り、備蓄を食料安全保障に資するものに限定し、需給調整や価格維持の機能を持たせないとしている点である。
これに対し、全中は09年産米での30万トンの在庫持ち越し+10年産米の26万トンの過剰米発生(4.1万haの過剰作付と需要減からの政府見通し)=50〜60万トンの過剰が10年産米からの継続的な米価低落を招きかねないことを指摘して、主食用米の需給と価格安定(出口対策)に資する棚上げ備蓄への変更とその前倒し実施を要求している。
戸別所得補償制度の全面実施の前提としても米価の安定は不可欠の課題である。しかし、変動部分で米価低落への対策を措置してある米戸別所得補償の根幹を変更するような備蓄政策への転換を直ちに実施することは余り現実的ではない。
だとすれば、現在進行形の米過剰と米価低落の責任の所在を明らかにし、当面の対策と来年度以降の対策を適切に組み合わせた対応を考えることが必要になるだろう。
◆米価下落、新旧政権の責任
表は2004年産米からの過剰作付の推移を示したものである。これからも明らかなように、過剰作付による過剰米の発生は旧自民党政権下で解決できなかったばかりか、民主党政権下の米戸別所得補償モデル事業でも抜本的には解消されていない。
それゆえ、旧政権の責任に属する在庫持ち越し分に関しては第2次補正予算で過剰米緊急処理特別対策(飼料用米処理)を実施する一方、新政権の責任に属する10年産米の過剰については需給調整ではなく、来年度の棚上げ備蓄による通常の買入で対応するとともに、戸別所得補償の変動部分の効果を点検しながら、11年度実施の制度の改善を図ることが求められるのではないか。
◆生産調整政策としての米戸別所得補償
そこで改めて米モデル事業で過剰作付が効果的に解消できなかった背景を検討しておこう。
10年産の過剰作付県数は筆者の推定では09年産とほぼ同じ18府県になるが(作付統計だけでは県間の出入り作による調整面積が不明であり、農水省の発表が待たれる)、この点ではモデル事業の生産調整促進効果は余り大きくはなかったようにみえる。しかし、小池恒男氏も指摘するように(注)、福島・千葉・茨城・新潟の3〜4県の過剰作付面積の全国シェアが極めて大きい上に、09〜10年産にかけて大きく高まったことに注目すべきである。すなわち、09年産の63.5%(4県では72.0%)から10年産では70.2%(同81.0%)へと集中傾向が強まったからである。
換言すれば、これらの3〜4県が生産調整を100%達成すれば、全国的に需給調整が達成できることを示している。さらに、上位3県では過剰面積自体が縮小する一方、新潟県では増大するという対照的な傾向がみられたことにも注意が必要である。
他方で、大潟村を含む秋田県が過剰作付面積を3957haから1690haへと最も大きく減少させたほか、30県で過剰面積が縮小した反面、面積は最大でも374haに止まるが(新潟県)、15県では作付面積拡大に向かった点を看過することはできないであろう。
以上の事実から読み解くべき論点は、本来の戸別所得補償がもっぱら定額部分だけで構想されていたにも関わらず、変動部分をともなってモデル事業化された結果、定額部分の単価が1万5000円/10aと予想よりはかなり低まったことである。この低い単価水準が新潟のような高価格米生産県での過剰作付の拡大をもたらすとともに(選択制の負の効果)、福島・千葉・茨城といった周知の生産調整未達県での過剰作付の大幅縮小を実現できず、全体としての過剰作付解消が達成できなかった背景にあるのではないかと判断される。
では、定額部分の単価はどのような論理で導き出されたのだっただろうか。
◆定額部分の単価設定の問題点
第1に指摘しておかねばならないのは、多くの論者も指摘するように家族労働費を8割に割り引いたことである。事業決定当初の説明文書では、(1)水田農業の経営を安定させることが、米以外の作物を水田で生産拡大する前提であり、(2)コストのうち家族労働費の2割分は農家の自助努力を期待する(モラルハザードを回避する)とされていたが、11年度からの「米の所得補償交付金」の予算説明では「米については、生産を抑制し、麦、大豆等への転作を進める観点から、標準的な生産費を『経営費+家族労働費の8割』として計算した単価」を用いるとされ、生産を抑制するために、家族労働費を10割に評価しない根拠にしている。
第2の問題点は、標準的な生産に要する費用を算出する基礎としての経営費に副産物価額を加えたことである。米生産費調査では生産費であれ、全算入生産費であれ、副産物価額を差し引いたものを用いているが、定額部分の単価設定にあたってはなぜか副産物価額が算入されている。
第3の重要な問題点は、経営費・家族労働費は2002年産から08年産のうち7年中庸5年の平均がとられるとされているが、経営費は02、04、06、07、08年産、家族労働費は02、04、05、06、07年産が独立に採用されて平均がとられ、それらが合計された生産費が用いられていることである。経営費と労働費を合計した生産費の7年中庸5年平均には意味があるが、異なる年の経営費と労働費の平均をとり、それを合計して生産費を求めることには全く意味がないといわざるをえない。
以上の事実は1万5000円という定額部分を算出する基礎としての標準的な生産費用には客観的な根拠がないということを示している。換言すれば、こうした複雑な計算方法をとったのは始めに1万5000円という単価が決まっていて、それに都合のよい数字を集めてきたからにすぎない。こうした点からすれば、改めて合理的な基準を設定しなおして、定額部分の単価を高めることが求められる。その具体的な水準については次回に示すことにしたい。
(注)小池恒男「「モデル対策」はどう設計され どう実施されようとしているか」『農業と経済』2010年11月号は米モデル対策の実施状況に関する初めての本格的な分析であり、単価設定の詳細を検討している。本稿はこれを参考にして単価設定の問題点を指摘した。
なお、本稿執筆(10月26日)と校正の間にモデル対策の加入申請状況・平成22年産の水稲作付面積等が公表されたが、論旨に大局的な変更はないため、数値は従前のままとした。
東京大学大学院農学生命科学研究科教授