自分たちの手で地域を支え、医療人を育てよう
◆治せない病気の人はどうするか?
今村 超高齢化時代に突入しようというこの時代に、佐久総合病院のような病院を全国に広げるにはどうしたらいいか。色平さんは医者である前に「私は農協の職員です」と仰っている通り、佐久総合病院のオーナーは農民です。わが村の医者を育てることが生命線、即ちJAの役割となるのではないでしょうか。今の農村医療の基本問題はどこにあるのでしょうか。
色平 現在、「世界一の高齢国」は日本ですから、他国の例を参考にはできません。「21世紀日本の医療」については、住まいと医療ケアとの連携こそが焦点となるのではないでしょうか。例えば福岡市で医者が「楽居」(らっきょ)というケアつき住宅をつくりました。5階建てで1階が診療所、2階がデイケアセンター、3階がグループホーム、4、5階が個室で、施設理念はなんと「穏やかな死の援助」なのだそうです。東京の品川区でも2011年に同様の複合施設を開設するそうですが、こういった「ケアつき住宅」あるいは「ケアつきコミュニティー」への要望は今後益々高まることでしょう。しかし今の国では、住宅は国交省、福祉政策は厚労省、農村政策は農水省、人材育成は文科省などと各省庁がタテ割りで別々にやっています。高齢化とケアの問題は日本が世界最先端なのですから、政治がもっと主導権を発揮し、省庁が一体となった枠組みで取り組まないと変革は難しい。そして要望実現ができないというのなら、国民やJA組合員が声をあげて「すきなひととすきなところで暮らしつづけたい」「ケアつき住宅政策を推進してほしい」と発信して「声なき声」を言葉にして伝え広げていくべきでしょう。人材育成についても、地域のみなさんが主体的に厚生病院で働く医療人を育成する、という覚悟が農村の今後の課題でしょう。
今村 先生の活動のテーマは「治す医療から支える医療へ」です。地域全体を支える医療に転換するために大事なことはなんでしょう。
色平 日本の農村には伝統的に「おたがいさまで、おかげさまで」の精神で支えあって生き抜いてきました。老後の不安感について、自分たちのケアにあたる介護士や医師を自ら育てていくという、今こそそんな自前の活動をはじめるべき刻ではないでしょうか。例えば、農山村の医師不足をどうするのか? アメリカでは看護士にさまざまな権限を与え解消に努めています。ヨーロッパでは後期高齢者、これについて私は“後期”ではなくて“高貴”と表現するべきだと感じていますが、“高貴”高齢者に「過剰な医療」は必要ではない、という考え方が広まっています。適正な医療とはなんでしょうか。スパゲッティのような管だらけになってしまった祖父母を見て、孫たちはそんな姿になりたくないと感じることでしょう。もちろん治せる病気は治すべきです。しかしいよいよ治らない、となった事態にどうするのか? そんな時こそ“寄り添う医療”“支える医療”が必要です。われわれはJA職員として、そんな組合員の想いを多少なりとも聴き取ろうと努力し続けていきたいと思います。
◆高齢技能者に尊敬を抱く学生を
今村 医師不足の問題は厚生連も声を上げていますが、次代を担う医者、特に農村の医者をどう育てたらいいでしょうか。
色平 21世紀の課題はなにか、を敏感に感じとれる学生を育てたいものです。今村先生はかねてより「高齢者じゃない、高齢技能者だ」と仰っておいでですが、まさにその通り! 高齢の方はたくさんの知恵や技をお持ちです。若い世代の方には、現役の高齢技能者にお世話になる形で学んでもらいたい。そしてやがて貴重な技が弱っていく過程を目の前にした時、自ら技芸を受け継ぎたいと名乗り出る意欲を期待します。身近な人が認知症になってしまった際のもどかしさを支えていくためには、日本古来の「おたがいさまで、おかげさまで」という農村の伝統精神を受け継いでいく必要があるでしょう。だから毎年100数十人の医学生が来村し、いわば“悪”の道に誘い込んでいるわけです。
今村 いやいや、“悪”ではなくて“正義”の道でしょう(笑)
色平 優秀な人材を農村に引っ張ってくることはなかなか理解されませんよ(笑)これまでの10年間で1500人以上を“悪”の道に誘い込んでしまいました。やって来る学生は何を考えてきているのか。アジアの農村を回った学生がいますが、電気も水道もないところにも医療はある。では、日本にしかできない医療ってなんだろう、と彼は考えはじめたようです。佐久病院はいい病院だからいい研修ができて多くのことを学べそうだ、といういいとこどりの学生ばかりでは困るんです。それより山の中で、損でもいいから何か成し遂げてみようという若者がほしい。これは佐久病院を創った若月俊一博士も同じ想いだったことでしょう。我々も含め、今の学生は農山村のよさを知らないから、人が人を支えあう姿に触れて「案外、楽しそうだ」と面白みを感じます。ある学生は人と人とのつながりが見えるから「まるで自分が映画の中にいるようだ」と感動していました。ぶつかりの体験を通じて、高齢技能者への尊敬の気持ちが内面に湧いてくるような、大事にしたいという気持ちが育まれるような環境で医師を育てたいものです。
昭和45(1970)年の農協大会では、100億円をかけて「農村医科大学」を設立しようという決議がなされたと伺っています。政治の問題で実現はしませんでしたが、もしも農村医科大学が実現していれば全都道府県に厚生連病院群が存続し、「金持ちより心持ち」の精神で厚生連が全国で農村医師が大活躍したことでしょう。
◆協同組合精神をもつ医療調整員が必要
今村 私はずっと前から、全国にある農業高校を生命総合産業高校に改名した方がいい、と提言しています。食料の生産と確保だけでなく、人びとをケアして、生物を守って・・・と、農業ができることはいっぱいある。田植えとか、農機の扱いとか、そういう狭い技術ばかり教えるのでなくてね。生命産業ということになれば入って来る学生も目の輝きを変えるでしょう。
色平 医療は技術だけでは視野が狭くなります。農業も一緒かもしれませんね。“農”はすでに農業の枠組みを越えて地域とふるさとを支える生業(なりわい)として別枠で位置づける必要があります。“農”を単なる産業で考えるのではなく、地域コミュニティー、食文化、健康、自然、景観などと結びついたトータルな“業”して拡げて捉えて表現する必要があります。
今の医科大学は数学と物理と英語ができないと入れない。これでは、日本語の会話はおぼつかないのでは? お笑い専門の「吉本」枠をつくって学生を入れてもいいと思う。何より大事なのは命について考えることです。われわれ医師は医療技術を持っていますが、それを切り売りするのではなく、活用して地域のために役立てたいという志を期待します。農業高校でも、医療サービスの間を調整できる人材を養成してほしいですね。農村でどういう医療やケアが必要なのか、ということをJAの協同組合精神をもとに考えて、専門家を使いこなせるような事務職や「翻訳者」がこれからの時代に必要な人材だと思います。
総務省は自治医科大を創設しましたが、やはり農村医科大学をつくることで、自治医大と互いにライバル関係になれば、いい地域医療の形ができるでしょう。今からでも遅くありません。地域を自分たちの手で支え、医療者を自ら育てていこうという声をみんなであげて、「農村医科大学をつくろう」という機運が高まってほしいですね。
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【略歴】
(いろひら・てつろう) 1960年生まれ。東京大学中退後、90年京都大学医学部卒。長野県厚生連佐久総合病院、京都大学付属病院などを経て、98年〜08年南相木村診療所長。NPO「佐久地域国際連帯市民の会(アイザック)」事務局長。