地震
◆地震で灌漑用ダムが決壊
発生の早い順番に被害の実態を見てみよう。3月11日14時46分三陸沖深さ24kmを震源とする「東北地方太平洋沖地震」の本震が発生する。震度は7。
この地震直後に須賀川市江花にある灌漑用ダム「藤沼ダム」の堤の最初の決壊が起こる。「どーんと大きな音がして」水が押し寄せてきて、それが止まったなと思ったら2回目の地震(15時08分に宮古沖で余震)のあと再び大きな音がして、約150万tの「真っ黒な水が山の木を巻きこみながら」簀の子川沿に濁流となって流れ落ち、死者7名、行方不明1名、流失もしくわ全壊家屋19棟、床上床下浸水55棟という被害をもたらした。被害地域の惨状は津波と同じように水の力の凄さ恐ろしさを見せ付ける。
藤沼ダムは昭和24年に竣工した灌漑用ダムで、江花川の支流・簀の子川から取水し江花川流域約837haの水田(江花川沿岸土地改良区)を潤してきた。だが被災した滝集落は簀の子川流域にあるがダムの裏側にあり改良区が異なるのでダムの恩恵は受けていない。
ダムの水はほぼすべて流出し、湖底には雑草が生え始めている。
(写真)すべての水が流れ去り湖底に雑草が生えている藤沼ダム。決壊したのはこの奥
◆完成間近の農業用水が損壊し作付できず
同じころ、須賀川からすこし南の矢吹町を中心とする地域では、3月末に完成予定だった羽鳥湖から取水する「隈戸川農業水利事業」の幹線用水路(地中埋蔵パイプ)が10数カ所で損壊した。
かつて矢吹が原といわれていたこの地域は、宮内省の猟場はあったがやせた荒野だった。しかし、昭和16年からの国営白河矢吹土地改良事業の羽鳥湖から取水する用水施設などが整備され、県内でも有数の水田地帯に生まれ変わった。隈戸川農業水利事業はその用水施設が老朽化したことと、農業生産性を向上させるための「若返り」を図る事業として進められてきていたが、この損壊で約1600haの水田で今年の作付けができなくなった。
江花川流域では今年、地域で作付けする水田を決めたり、残された溜池(溜池も5カ所で決壊)を利用したりして546haに作付けした(不作付は340ha)。心配なのは、来年「今年様子をみて作付けしなかった人が、作付けしたときに水が足りるのか」と須賀川市役所長沼支所の小林弘一主幹は心配する。なぜなら藤沼ダムの再建計画がないからだ。
一方、隈戸川用水では、改良区を中心に国や県と修復についての折衝が行われている。分厚い書類の作成と審査で時間がかかるが、支線を含め82kmにおよぶ用水路を修復し、来春には「田植えができるようにしたい」と改良区の鈴木禎一主幹。
火山灰地で地力がない矢吹が原に入植し、ほぼ3代にわたって苦労して県内有数の水田地帯に育ててきた生産者にとって「米が作れないことは、経済的なこともあるが、精神的なダメージが大きいから何としても米が作れるようにしたい」と思うからだ。
(写真)用水用パイプ(直径2m半)を埋め込んだ用地が陥没。1600haで作付けができなかった
津波と原発
◆瓦礫が除去されても作業できない田んぼ
浜通りのJAそうま管内は、地震・津波そして原発被害のすべてを負った東日本大震災の縮図ともいえる地だ。沿岸地域は10mを超える津波で全てが流され壊された。3代にわたって開拓してきた寺島英雄さんの地域は地震で30cmほど地盤沈下し「昔に戻ってしまった」。いまだに海水が引かず海なのか池なのか分からないありさまで復旧するにも「手でできる現場ではない」。
がれきが除去された地域でも「重機がガラスなどを踏みつけ、その破片が田んぼの土に入りこみ、トラクターを入れるとタイヤがパンクして、作業ができる状態ではない」という。だから「農業を続けるのかどうか、悩んでいる」人も多い。
避難区域外だった飯館村も「計画的避難区域」に指定され、6月末にはほぼ無人の村となる。6月11日に訪れた飯館村の水田は乾ききっていたが既に雑草が生え、畦畔には人の腰より高い雑草がびっしりと繁っていた。
JAそうま管内には1万2060haの水田があるが、津波冠水が3637ha、原発被害で作付けできない水田が6123haもあり、転作面積872haを除いた作付可能面積はわずか1428haだ。地震や津波から逃れられた地域では、作っても「福島ということだけで売れない」と放射能による「風評」被害を訴える声も多い。
一時相馬地区は道路はつながっているのに「陸の孤島になった」。原発から30km圏外でも輸送関係者が放射能を恐れ救援物資さえ届かなかったり、ガソリンが届かず車が動かせないので「避難することさえできない」状態になったからだ。こうしたいわれなき、許しがたい「差別」が公然と行われたということも、同じ日本人として忘れてはならないだろう。
(写真)まるで「農機の墓場」だ。JAグループ福島では各JAから職員を出し、除去作業することを決めた(南そうま市で)
◆弱いものを救わない政治に怒り
JAそうまの鈴木良英組合長は「田んぼを耕し生産した“果実”で暮らしてきた1万5000名の農家が路頭に迷っている」。「弱いものを助けるのが政治だと思ってきたが、3カ月経っても救済しない」と何ら具体的な方策をとらない「政治」に怒りをあらわにする。
そして「3年後5年後にはきれいな相馬に戻し、相馬の米はやっぱり美味しいといわれるようにしたい」。そのために「汚された土地をきれいにするためにどうするかという研究機関を福島に設置し全国にも発信」できるようにして欲しいと希望している。
(写真)JAそうま・鈴木良英組合長
原発避難区域
◆農業ができるきれいな土地にして返せ!
JAふたばの志賀秀榮組合長は、津波の難は避けられたが、自宅が原発から3km以内の大熊町だったので、11日の夕方には「家族がそれぞれ防寒を兼ねた毛布を1枚ずつ持って」田村市の小学校に避難した。その後、15日に篠木弘専務と連絡が取れるまで携帯電話もつながらない状態が続いたという。
JAふたばは8町村を管内とする広域JAでそのほとんどが原発から30km圏内にある。
同JA管内の浪江町で仲間7人と生産組合を作りブロッコリーを生産している若月芳則さん(JAの理事で町会議員)も12日早朝から「原発が爆発する」といわれ南相馬に避難。その後、群馬県吾妻町へ移動、現在は福島県白河市で避難生活を余儀なくされている。
JAふたば管内の8町村の避難先はさまざまで、行政も県内だけではなく双葉町役場は埼玉県加須市にある。浪江町は2万人の町民のうち県内に1万1000人、県外は北海道から沖縄までに9000人が避難している。
若月さんのように団塊世代から上の世代は「帰りたい」と切実に思っているが、子どものいる若い世代は「いつ帰れる」という見通しもないことから、必ずしも帰ることに固執していないという。
志賀組合長は「農業ができるきれいな土地にして返して欲しい。農業ができるかどうか、JAの存在とは何かが問われる」と考えている。そして「原発が終息してはじめてそのスタートラインにつくことができる」とも。
(写真)JAふたば・志賀秀榮組合長
放射能
◆原発が豊かな「福島の価値」を奪った
原発が垂れ流している放射線物質で悩まされているのは原発周辺の人たちだけではない。3月下旬に出荷直前のキャベツを出荷停止され、風評被害でキュウリの価格が大暴落したと嘆いていた福島市の佐藤貴之さんを再び訪ねた。
ハウスのキュウリは他産地が品薄になったこともあって市場が福島産を扱うようになり価格も戻ったが、「再び競争になると(福島産は)弱いのではないか」と考えている。原発問題で正確な情報を発信してこなかった国が安全といっても「その情報を客は信じるのだろうか」という疑問を持っているからだ。だから自分たち生産者が地道な努力をして、検査もして「間違いのない情報を添付して、安全性を保障」して販売していくことだと考えている。
そして自然が豊かでおいしい農産物の産地だという「福島県の価値が原発で失われた」。「失われた価値が回復するまで耐えられるかどうか」今年1年が正念場ではないかとも。
(写真)爆発した福島第一原発1号機。「人災」が人びとの暮らしと仕事を奪った(BBCのHPより)
◆原発被害農家の会を設立し国に直訴も
佐藤さんは4人の仲間と「東京電力福島原子力発電所被害農家の会」を4月10日に設立し、27日には東電の地元責任者らによる「説明会」を開催。120名を超える生産者が参加した。6月17日には300余名の署名を集めた「嘆願書」を民主党の協力も得て田名部農水省大臣政務官に提出するなどの活動を行っている。
発起人の一人である齋藤保行さんは「人任せにせず、自分たちの意見をまとめ、話し合いの場をつくる」ことが目的だと話してくれた。佐藤さんも賠償などの交渉は「JAに委任するが、農家の気持ちを伝え行方を見つめていく」ためだという。
福島だけのことではなく今後のことを考えれば、東電や国に責任を全うしてもらい「厳しい前例つくらないといけない」と佐藤さんはいう。同時に「誰かの責任だけをいっているうちは、農家として前にいけない」から、「二極化」して責任追求と同時に「農家として次のステップに進みたい」と思っている。しかし「このまま続けられるのか」という思いもある。なぜなら「いつここ(福島市)が避難区域になるのか分からない」から「設備投資することもできない」からだ。
(図)原発事故から1年、来年3月11日までの積算線量推定マップ。浪江町では200mSvに。中通りでも5〜10mSvと推定されている(文科省6月11日)
◆激減した観光客と贈答品
果樹の樅山和一郎さんの作業場ではいまが旬のサクランボの選果作業が行われていた。果樹は「毎年の管理が大事」で、1年手を抜くと回復することは難しいから「本気になって生産しろ」と仲間にいい続けている。
サクランボの今年の収穫は天候にも恵まれよい。だが、量販店や百貨店などの贈答品カタログに掲載される福島産果樹は減っている。さらに修学旅行など観光客が減っているので、JAへ出荷が集中しそうだという。同じサクランボ産地の山形県寒河江でもこの時期多い観光客が、「山形へ行くには『福島を通る』から」という理由で例年の1〜2割にまで減っているという。
だから「県や行政がしっかり対応してくれないと困る。福島県の果樹は曲がり角」にきていると樅山さんは感じている。
(写真)雑草が生えはじめた水田(飯舘村で)
◆安全なものをつくる産地をアピール
JA新ふくしまの吾妻雄二組合長は、放射能の放出が「終息することが一番」だが、それがいつなのか分からないいまは「さまざまな除染方法を検討・開発して、安全なものをつくる産地だということを消費者に認めてもらう」ようにJAが先頭にたって努力する。そして「一段と気合を入れて生産者と一緒になって計画的に販売していく」そのことで「JA新ふくしまのサポーターを全国に増やしていく」と決意を語ってくれた。
(写真)JA新ふくしま・吾妻雄二組合長
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短い期間だったが、多くの人に会いさまざまな話を聞かせていただいた。そして福島の人にとっては、「人類が経験をしたことがない」ほど長期にわたる放射性物質の「垂れ流し」が本当に終息したときに、はじめて「復旧」「復興」のスタートラインに立つことができるのだということを痛感した。だがその日がいつなのか、いまだに分からない。
そんななかある人がそっとつぶやいた次の一言が忘れられない。
「ありふれた日常を戻して欲しいだけです」。
その日が一日も早く訪れることを願ってやまない。
(写真)出荷停止され、すき込むこともできなかったキャベツと表土を端(右側)に寄せ枝豆を植えた佐藤さんの畑(3月30日号参照)