◆大震災がもたらしたもの
過日、東京のNPOの呼びかけで福島県三春町の被災地激励花見会に行ってきました。その際、偶然福島第一原発の20キロ圏内にある富岡町の皆さんの避難所の食堂に入りその雰囲気を知ることが出来ました。町民の皆さんの表情は一様に暗く、この度の震災の傷の深さを思い知らされました。
また、5月2日には新世紀JA研究会で福島県相馬地区の津波被害の実情をつぶさに視察させて頂きました。テレビや報道写真で見るようにその被害は無残なものでした。家屋はもとより大型漁船が陸に残され、道路や集落そのものが押し流されていました。
最初に見た光景で海岸線に向けて津波の被害が段階的に及んでいる状況がはっきり見て取れました。農地は最初に水を被った状況から次第に悲惨なものになり、海岸近くでは畦などの境はなくなり、そこが以前に農地であったかどうかさえ不明な泥沼の状態でした。
以前は松林のある豊かな田園風景が広がっていたそうですが、その面影はどこにもありません。あるのは一切のものを押し流した後の泥地と一面の瓦礫の山でした。また、地上十数メートルある道路標識の鉄板プレートに流された電線が食い込んでいる状況は、津波の高さが優に10メートルを超える巨大なものであったことを実感させました。こうした災害からの復興は、個人の力をはるかに超えています。
◆復興への政府・企業・助けあいの力
政府の有識者会議などで、震災からの復旧ではなく復興と言うのはたやすいものの、再建はそう簡単ではありません。災害を契機に農業経営の大規模化を進めTPP推進に備えるべきだなどとする意見は、被災地の農家の感情を無視した無慈悲な机上論と言うべきです。
東大の鈴木宣弘教授が指摘されるように、この考えは震災を契機に被災地の農家を地域から追い出すものであると同時に、他の地域では大震災でも起こらない限り農業経営の規模拡大が難しいことを裏付ける何とも身勝手な議論です。
震災復興には政府の力、企業の力、協同組合など助けあいの力が必要です。個人や非営利団体など民間の助けあいの力は、震災直後から義援金やボランティア活動でいかんなく発揮されていますが、これに対して政府や大企業の力は良く見えません。
大震災を一層の市場原理・競争原理の導入の契機にしようとするあくなき資本の論理は依然として健在です。巨大企業はこれを契機に一層の市場原理の導入をはかるべきだとしていますが、その前に、230兆円を超える内部留保の5【?】10%でも震災復興に役立てることを考えたらどうでしょうか。これで10〜20兆円の復興資金は賄えるはずです。復興債の引き受けや支援金との引きかえに企業が復興事業を引き受けることで、地域再建の相乗効果を狙うべきではないでしょうか。
政府も便乗的な消費税などの引き上げを考えることより、その前に肥大化した国会議員や歳費の大幅削減、国家公務員の総人件費の更なる削減など、志を持った、自らやるべきことを実行すべきでしょう。そうしなければ、大衆はついて行きません。
JAグループでは、JA共済が建物更生共済6500億円、生命総合共済800億円の共済金の支払いを行うほか、農林中金が総額1兆円(実質負担は、利子補給、農漁協の設備費用・資本増強など300億円)の復興支援プログラムを打ち出しました。全農・経済事業を含め、今まさにJAの助けあいと総合力の発揮が求められています。