◆都市農業の9代目周囲は住宅ばかり
東京の山手線・日暮里駅から新交通システムの日暮里・舎人ライナーに乗って終点の見沼代親水公園に着くまで約26分。すべて高架なので眼下にはたくさんの住宅が軒をよせあうように建つ都会の風景が広がる。その向こうに最近の東京観光の目玉・東京スカイツリーの姿がくっきりと見える。
初めて訪ねる土地なので、本当に畑があるのだろうか、とちょっと心配になる。
そんな住宅街のど真ん中に大熊貴司さんのハウスはあった。少し離れた場所には、父君がアサツキを生産しているハウスもある。文字通り「都市農業」そのものという感じだ。周辺の住宅地ももともとは畑だったが、相続の時期が来るたびに宅地化されてきたのだという。
大熊家は代々足立区舎人のこの地で農業を営んできた。貴司さんはその9代目だ。
貴司さんは結婚してから食べるようになったが小さいころから「野菜類は嫌い」で「農業や野菜に特別の思いはなかった」。大学を卒業後は父君の勧めもあって民間企業に就職。簿記や宅建、損害保険などの資格を取得、これは現在も農業経営に役立っているという。
◆農業への関心ではなく農地を守るために
30歳を迎えるころに「そろそろかな」と感じ就農することにした。「それは江戸時代から続いてきている農地をなくすわけにはいかない」との思いがずっと心の中にあったからだ。
足立区は「農協はあっても共選はなく」、一匹狼のようにそれぞれが自分の作りたいものを作って売る「個選」が、農業の特徴だという。そして自分の作りたい作物に「金に糸目をつけずに肥料や生産資材を購入する」というやり方を多くの農家がしていた。
もともと農業に特別の思い入れもなく、民間企業でビジネスのノウハウを学んできた貴司さんにとって、こうしたやり方は「非効率極まりない」ものだ。そして「父親はアサツキづくりで表彰されたほど“アサツキ一筋”の人だ」が、限られたほ場で収益の向上を図るにはムリがある。
◆68万人の区民を相手に多彩な売場を
住宅地に密接した都市農業にとっては、消費者の顔が見え、そのニーズを捉えやすいことが最大のメリットであり、それを活かすのは直売だと考えた。
当初は自宅前のスペースで無人販売をしていたが、それでは“顔も見える”関係にならないと、食品スーパーの近くにあるほ場の一角で、貴司さんが自ら売り子となって直売を始めると売上が急増。
さらに自分の直売所だけではなく、JAの直売会や足立区などが開催するイベントにも出店。近隣の食品スーパーでの直売も曜日を決めて行っている。
「足立区には68万人住んでいます。その人たちと触れ合う機会をできるだけつくりウチの野菜の良さを知ってもらえれば、また次の機会に買ってもらえる」。だから「多彩な売場を持つ」のだ。
JA青年部の仲間同士でも自分のところで足りない品揃えを協力してもらったり、仲間の直売所に置いて売ってもらったり「直売所同士の連携」にも力を入れている。
◆年間40品目を栽培、年収の7割を占める
直売所を運営するためには、豊富な品揃えが客を呼ぶ力になる。“アサツキ一筋”だった大熊家のほ場では、いまトマト・枝豆・大根・小松菜・ホウレンソウをはじめとして、年間約40品目を超える野菜類が栽培され、出荷されている。
そして農業収入の7割が直売によるまでになった。当初は「私のやり方に批判的だった父も、ようやく認めてくれるように」なった。
いままで栽培の経験がないような新しい作物に挑戦するときには、JA青年部の仲間や普及所に聞いたり、WEBで調べたりする。病害虫の発生などもそうやって調べ、虫が発生すればいなくなるまで、「教えられたとおり素直に徹底してやる」のが貴司さん流のやり方だ。
貴司さんは「農業をビジネス」と捉え、一つひとつの品目ごとにパソコンにもろもろのデータを入れ管理している。そのデータには、農薬の散布や肥培管理のデータまでが記録されている。1日の仕事の「締めはPCへのデータ入力」だという。
好きで始めた農業ではないが、PCに蓄積したデータを活かし、「失敗しても工夫してマイナスを小さく」する努力をするのがビジネスだと考えている。
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「今日の大根は……」と顔なじみのお客と言葉を交わしながら
◆次の一手の基本は20%アップを考えること
「仕事としてはいいものをつくりたい」し、そのための「次の一手」を常に考えているという。
その「次の一手」を考える基本は「前回の20%アップを考える」ことだという。それでやっと「前回と同じか2〜3%アップの結果」が得られる。もし前回と同じでいいと考えると「心のたるみがでてマイナスになる」というのが、ビジネスの世界で学んだ貴司さんの考えだ。
ビジネスとしてクールに農業を考える貴司さんだが、「いいものをつくりたい」から毎日ほとんどほ場ですごしているという。そして「いいものができる」と「やはり嬉しいですね」と語る笑顔は輝いていた。