◆何でもつくれる土地柄を活かして
千葉県柏市、ここは東京への通勤客で駅前が賑わう住宅地というイメージがすっかり定着した街だ。だが、JR駅前からバスに乗り、手賀沼方面へ20分くらい走ると、景色が一変する。柏市内でも旧沼南町一帯はいまでも畑作を中心とした農業地帯なのだ。江口金男さんのお宅もバスを降り畑のなかを進んで行くとある。
JA東葛ふたば・手賀青果物出荷連合会・未来農業研究会・会長。こう江口さんの名刺には記されている。この会は、江口さんの住む布瀬地域を中心とした生産者の集団だが、単に出荷するだけではなく品種や栽培技術についても研究していこうという気概をもった生産者の集団だ。
江口さんの話だと、もともとこの地域は気候も温暖で「何でもつくれる」から「個人のわがままがきく」地区だという。だから、この会のメンバーにはそれぞれ得意分野があり複数の生産物があって季節ごとに「バランスよく出荷することができる」。個人ではその効果は薄いが、集団ならロットをまとめることで、得意先との交渉もしやすい。
◆優良苗を得るために捨てた効率化
江口さんが生産しているのは、ホウレンソウなどの葉物野菜もあるが、中心はこの地域で昔から栽培されている「坊主不知」(ぼうずしらず)と称される「株ネギ」だ。
株ネギとは、一本の苗から分けつして増殖できるネギのこと。しかも通常の分けつしない「一本ネギ」のような花(ネギ坊主)は付きにくい。「坊主不知」といわれる特長で、これの維持に江口さんは心血を注いでいる。
江口さんは病気などに強く品質の良い優良な苗をつくるために、独自の方法を20年前からとっている。株ネギは、一本の優良な苗から分けつによって増殖していくのだが、苗をとるために「ほ場のなかの8割を収穫用、2割を育苗用」に区切って栽培する方法が一般的だった。これだと作業効率は良いが、育苗用スペースに必ずしも優良な苗が育つとは限らない。
優良な苗を得るために20年くらい前から江口さんは、ほ場全体のなかから優良な苗を選抜することにした。5月の仮定植時と9月の定植時の年2回、手間はかかるけれどほ場全体をチェックして優良な苗を選抜する。
出荷用のほ場とは別の場所にある育苗用ほ場を見せてもらった。すでに3〜4本に分けつした苗が植えられた畝が3畝ある。5本に分けつした苗を分けて植えれば15畝になり、さらにそれが5本に分けつしてから植えれば75畝となるわけだ。
(写真)
選抜された元気な苗
◆他のほ場の土は持ち込まない
江口さんのネギは、他の畑に比べて葉がピンと真っ直ぐに上を向いて、見た目にも「元気だ」ということが分かる。
株ネギの大敵は、ウィルスによる病気だ。病気が一度入ってしまえば、収穫して出荷はできても、次作以降で使う苗はとれない。
そうならないための予防対策の一つとして江口さんは、他のほ場で使った農機具や農業機械は「徹底的に洗って土を落としてからでなければ持ち込まない」ことを徹底している。そして「マメにほ場を見て回って万が一のときは速やかに殺菌することにしている」
◆「ピカイチ」をつくらなくてもいい
江口さんは高校を卒業して数年、民間会社に勤めていたが、22歳のときに農業を継ぐことにし、61歳の現在まで40年農業を営んできた。後悔はないのだろうかと聞いてみた。
「野菜は手をかければかけただけ良くなり、答えが出る。だから工夫する面白さがある」との答えが返ってきた。まして株ネギは、F1種の一本ネギにはない「甘味があり食味がいいだけではなく、分けつするから収量もいい」ので楽しいという。
江口さんが築き上げてきた栽培技術は、平成20年に「地域の特産の坊主不知ねぎの優良系統の維持・選抜技術を開発するとともに、系統の特性を活かした肥培管理方法、ウィルス再汚染防止方法、土づくりの励行等安定的に生産、出荷できる栽培方法を確立」したとして、農水省が選定する「農業技術の匠」に選ばれた。
いま江口さんが力を入れているのは、「自分だけ良くなっても単価はとれない」のだから、仲間と「技術を共有し、全体の水準を高めていくこと」だ。
「ピカイチをつくらなくてもいい」みんなの水準が高まれば、例えば、用事ができて出荷できなくても、仲間がいれば「自分で出荷できない分を補ってもらうことができ、得意先との信頼関係も維持できる」。そのことが大事だと江口さんはいう。
そして「一人の力は知れているからね」と結んだ言葉に40年余農業を続けてきた江口さんの思いが込められていた。
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地域特産の「坊主不知」ネギの畑