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日本農業の未来を拓くために―元気な生産者から学ぶ

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【現地ルポ】住民自らの「地域経営」で農業復権を  広島県安芸高田市・川根振興協議会

・自治組織も協同組合
・農地は地域の財産
・全員参加の農業生産
・自分たちで生活サービス
・地域づくりはどこまでも

 「自分らにできることは自分らの手で」―。これを目標に農業と地域の担い手づくりを実践してきた広島県安芸高田市の川根地域(旧川根村)の振興協議会が発足して今年で40年になる。
 大水害をきっかけに自らの力で地域を守ろうと全戸加入の自治組織を立ち上げ、その後、過疎化が進むなか農地保全と担い手づくりを地域ぐるみで進めてきたばかりか撤退したJAの店舗を引き継いで購買店舗とガソリンスタンドの経営を始めたり、さらに地域でバスを運行させるなど、山村の農業と暮らしを守ってきた。思わぬ大雪に見舞われた1月、「地域づくりは死ぬまで終わりません」と語る同会の辻駒健二会長を訪ねた。

振興協議会40年の実践から見えてきた中山間地域の未来

◆自治組織も協同組合


広島県安芸高田市・川根振興協議会 川根地域は、広島県安芸高田市のもっとも北の地域で山を越えれば島根県である。地域内には19の集落。現在は約230戸、570人ほどの人口だ。
 昭和23〜24年ごろは戸数410戸、人口は2000人を超えていた。その後、他地域と同じように若者は都市部へ転出、過疎化が進行するが、そんななか地域の課題を解決するには住民が一丸となる必要があると住民組織づくりが始まった。それが40年前の1972年のはじめ。そしてその年の夏には、集中豪雨で江の川が氾濫、地域が陸の孤島と化したという。
 行政の支援の手が届かないなか、住民自身が被災家屋の片づけや消毒など復旧活動に活躍したことなどから、奇しくもこの水害が「これからの地域づくりには全住民参加の組織がなければ」との気運を高め、全戸加入の振興協議会が結成されたのだという。当時の年会費は500円だった。
 辻駒健二さん(写真)は1992年に会長に就任。20年前のその年、廃校となった中学校の跡地活用について振興協議会が企画段階から関わり、交流拠点施設・エコミュージアム川根として整備し、郷土料理を提供する食堂や宿泊施設を自分たちで運営することを始める。利用者は今も年間4000人いる。地域のイベントなど、核となる場でもあり住民の働く場ともなった。
辻駒健二さん 行政に要望や不満をぶつけるだけでなく、やれることは住民の手で、というのが協議会のめざすものなのだが、この拠点施設の運営にみるように、自ら「地域経営」に取り組むというのがこの会の特筆すべき点だ。 「会費を出し、自分らでやれること、やらなければいけないことはやる、というのは考えてみれば協同組合をつくることだったわけです。それで、できないことは行政や農協と協同する。これが自分たちの協議会だと改めて思います」。だから辻駒会長は、いわゆる自治会の会長ではなく「経営者」でなければならないという。では何のための経営か? それは「自分たちの幸せを自分たちで決めるため」である。


◆農地は地域の財産

 地域でみんながともに暮らしていくため、協議会では1993年から「1人1日1円募金」という福祉活動を始め現在まで続いている。竹の筒を各戸に配りそれに募金。集まった資金で75歳以上の1人暮らし高齢者への給食サービスやデイサービスを行っている。
 伝統文化を継承していこうと毎年2月に開く「せいりゅうまつり」も始めた。学校での学芸会がなくなったこともあって大人から子どもまで一堂に会しての文化活動の場となっている。
 こうした活動と同時に地域の基盤でもある農地の保全と担い手育成にも力を入れてきた。
 川根地域は稲作が中心で水田面積はかつては100haほどあった。旧高宮町の1戸あたり平均農地面積は70〜80aだが、川根地域は40a弱。しかしそれも人口の流出と米の生産調整で山際の水田から原野化が進み、現在では全体で80ha弱になったという。
 危機感のなか、協議会として「川根農地を守る会」を1998年に立ち上げ、基盤整備事業を地域全体で進めようとした。しかし、どの地域でも事情は同じだろうが、跡継ぎが地域を出て高齢者だけの家では、今さら負担金を支払ってまで…と同意が得られないこともあった。さらに基盤整備の条件としての50a区画整備も壁となった。1戸の平均面積が40aなのだから、50a区画となれば1枚の田んぼに複数の地権者、ということになる。これで自分の子どもや孫にきちんと農地が引き継がれていくのか、という不安が出た。
 こうした問題にぶつかるなか、このままでは地域が動かないと辻駒さんは「農地は個人の資産ではあるが地域の財産。団結しないと」と地域農業存続のための必要性を訴えた。そうして2003年から工事が着工し、会の設立から約6年後に地域全体の農地が整備された。
 その背景には平坦部では基盤整備事業が進んだが、条件不利地の川根では自分たちが声を上げなければ行政が積極的に推進しようとはしてくれないという危機感もあったからだ。農地が荒れれば生産できなくなるだけでなく暮らしもできないし、そんなところには子どもたちも戻ってこない。「基盤整備は地域再生事業でもあった」という。


◆全員参加の農業生産

 基盤整備が終了したのち、08年には「農事組合法人かわね」を設立。辻駒さんは法人の代表になる。
 組合員には178戸が参加し60haの農地を集積した。狙いはこの農地集積にあった。大規模経営や法人には政策支援があるが「じいちゃん、ばあちゃんの農業にはなにもないじゃないか」という思いからだった。
 農地を集積すれば生産調整面積も町平均の34%が15%になる。この転作面積を法人が引き受け、後は各農家に再配分。転作は大豆栽培を行うことにして農地集積で得られた補助金で播種機などを購入した。
 法人が中心となって少数で地域農業を行うのではなく、「生きがい農業をやりたい人はそれで米づくりをすればいい」との考えで立ち上げた。全員で農地を管理するのがいちばんいいという考え方だ。
 高齢者のなかには、耕作ができず委託したいと考える人も出てくる。その場合は集落ごとにつくった営農利用改善組合で話し合い、そこで農地の引き受け手が見いだせない場合は法人が仲介役となって地域にある営農集団や大型農家にあっせんする。法人は農地管理とともに、担い手育成の機能も持っている。もちろんあくまで地域内で担い手をつくりだすことが基本だ。
 生産された米は昨年から法人が経営をするライスセンターで集荷。全量をJAに出荷している。農家が個人で販売する部分もあるが、法人の構成員である以上、販売は法人名で行い、品質に応じて米の代金を支払う仕組みも導入している。
 一方、法人として転作に取り組む大豆は、今年からそれを原料にした味噌づくりに取り組もうと計画している。販路は「まず地域内」。かつてはどの家も自家製味噌をつくっていたが今はそんな家も少なくなりつつある。それを地域の人々に思い起こしてもらい「川根での暮らしとは、農村で暮らすとはどういうことか、を考えてもらいたい」との思いもある。その先にあるのは、この地域から離れて暮らす若い世代にも理解が広がり、それが販路拡大につながればという願いだ。いわば6次産業化であるが、「それは地域の文化、生き方を復権させること」だと辻駒さんは捉えている。


◆自分たちで生活サービス

 2000年には当時の高田郡農協が川根から店舗の撤退を決める。「組合員の生活を守るのが農協ではないのか?」と詰め寄ったというが、最終的に選択したのは「ならば自分たちで購買店舗とガソリンスタンドを経営しよう」ということだった。
 一戸1000円を出資。Aコープ店は「万屋(よろずや)」、JA―SSは「油屋(あぶらや)」と名前を変え、経営を引き継ぐ。「当時は町長からも農協からもそこまでやるのかと驚かれたが、地域を見つめだせば知恵も出るし、情熱も出るということです」。仕入れはJAから。ガソリンや灯油の仕入れ値はJAと協議しJA段階の仕入れとしている。高齢者宅には個別配達も欠かせない仕事だ。
 一方、店舗を撤退させたからといってJAがその姿を見せないわけではない。かえって金融渉外担当者はこまめに高齢者宅を巡回しているし、米づくりの営農指導員もひんぱんに回ってくるという。農家が野菜などを出荷すれば、JA担当者が毎朝、安芸高田市内の直売所に配送する集荷業務も行っている。JAに対する評価は高まったという。
利用者のニーズにあった運行が期待される「もやい便」 さらにここの住民はバス便の廃止にともなって、3年前からなんと自分たちでマイクロバスなどを運行する事業まで始めた。
 川根地域で助け合い、分かち合いを意味する「もやい」という言葉を使ったこの「もやい便」は今、マイクロバス、障害者用自動車など3台で運行。取材時には中国自動車道の高宮バスセンターで下車することを予定時間とともに電話で申し込んだのだが、そこにマイクロバスが待っていてくれた。中学生の下校時で、地域内をまわり順次送り届けていた。おそらくタクシーならば5000円はかかっただろう。それがもやい便では300円だった。地域住民の希望者が運転手となって運行をしている。

(写真)利用者のニーズにあった運行が期待される「もやい便」


◆地域づくりはどこまでも

 その地域の担い手を確保するため若い世代を対象に、20年間家賃を払えば持ち家となり、設計にも参加できる「お好み住宅」を町に対して働きかけ実現した。UターンだけでなくIターンも含めて入居している。これも行政への要望ではなく提案である。
 ここで紹介したように、川根振興協議会は農業だけでなく農村での暮らしそのものをどう支えるかを大きな目標としており、多彩な活動がそれを物語っている。というよりもこの40年間に「蓄積された物語がある農村」になった、ともいえるだろう。
 辻駒さんは、今後の目標に「生涯現役で働ける地域」を掲げる。そのための受け皿としての地域住民の自治組織が川根振興協議会だと改めて感じた。
 農業の担い手といえば規模拡大、経営の高度化が叫ばれるが、当たり前のことだが農業の担い手にも家族があり、その土地での暮らしがある。つまり、地域の支えがなくして農業の担い手の経営も成り立たないはずだ。その意味で川根地域の実践は日本の農村の底力を示すと同時に、「農業復権」には「地域づくり」が不可欠なことも教えていると思う。

 

川根振興協議会の取り組み


1972年 川根振興協議会 設立
1989年 川根地域総合開発構想策定
1991年 川根将来構想図「川根夢ろまん宣言」作成
1992年 交流拠点施設「エコミュージアム川根」完成
1993年 地域福祉活動「一人一日一円募金」開始
1993年 自然環境保護・地域活性化事業「ホタルまつり in 川根」開始
1994年 文化伝承・異世代交流事業「せいりゅうまつり」開始
1998年 川根全域の農地保全のため「川根農地を守る会」設置
1999年 地域提案による「お好み住宅」入居開始
2000年 農協撤退後を受け、「万屋(よろずや)」、「油屋(あぶらや)」運営開始
2003年 サテライト・デイサービス開始
2003年 川根土地改良区設立、基盤整備着工
2004年 支えあう地域福祉活動「おたがいさまネットワーク」設立
2005年 小学生と一人暮らし高齢者との交流「まごころメール」開始
2006年 放課後児童教室開始
2007年 高齢者ふれあいサロン開始
2008年 「農事組合法人かわね」設立
2009年 市町村運営有償運送事業「かわねもやい便」運行開始
2010年 農林水産大臣「食と地域の『絆』づくり」優良事例選定

           第4回

(2012.03.06)