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世界の穀物戦略

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ひっ迫する世界の穀物

問われるニッポンの自給率

 世界的なバイオ燃料の導入の動きによってトウモロコシの需要構造が今までにない変化を示し価格が高騰するなど、穀物をめぐる国際動向は大きく揺れ動いている。人口増加、経済発展による食生活の変化も含め、今後の国際的な穀物動向と各国の農業、エネルギー戦略への注視が一層求められる時代になった。本紙ではこの問題に定期的に焦点を当て世界の動向とわが国が考えるべき課題などについて探っていく。第1回は東京大学の鈴木宣弘教授に国際的な食料需給を見通すうえでのいくつかの要因、視点を最新の研究成果を交えて提起してもらった。

◆ナショナル・セキュリティに直結する食料自給

鈴木宣弘教授
すずき・のぶひろ
1958年三重県生まれ。東京大学農学部卒業後、農林水産省、九州大学教授を経て現職。日本学術会議連携会員。

 日豪EPA(経済連携協定)で例外なしの関税撤廃が行われた場合には、すでに40%しかない我が国のカロリーベースの食料自給率が30%程度までくらいに下がるとの試算もあり、先般の経済財政諮問会議のワーキング・グループ会合では、農林水産省から世界に対する全面的な国境措置の撤廃により自給率は12%になるとの試算が出され、現在、議論が進行中の案件の事の重大性がクローズアップされた。
 某省は、北海道の農業者に、「7年後には関税が撤廃される約束になっている」といったたぐいの、農家を意気消沈させ、離農を促進するようなうわさを流す情報操作を行っているとも聞く。
 このような中、いまこそ、自給率が30%や12%まで下がってもよいのかということを、産業界や消費者も含めて、国民全体で議論しなくてはならないと思う。ブッシュ大統領は、「食料自給できない国を想像できるか、それは国際的圧力と危険にさらされている国だ」「食料自給は国家安全保障の問題であり、アメリカ国民の健康を確保するために輸入食肉に頼らなくてよいのは何と有り難いことか」と、まるで日本を皮肉っているかのように、しばしば、食料自給はナショナル・セキュリティと直結することを力説している。
 さらには、米国をはじめ各国が、エネルギー自給率の向上がナショナル・セキュリティに不可欠だとの認識を強めているという現実は、「いわんや食料自給率においてをや」(まして食料自給率については言うまでもない)といえるであろう。我が国は、エネルギー自給率、食料自給率の両面で、すでに各国に大きく離された低水準にあることを、改めて認識する必要があろう。
 国家安全保障上からも自給率が1割近くまで下がってもよいのかということを議論する材料の一つとして国際需給の動向分析は重要である。

◆穀物への第三の需要の登場

 オーストラリアの干ばつ等に加えて、バイオエタノール、バイオディーゼルへの需要の増加により、国際穀物市況が高騰している。
 バイオ燃料は、原油価格の高騰の下で、カーボン・ニュートラル(植物が大気中から取り込んだ二酸化炭素をまた戻すだけ)で地球温暖化抑止に貢献し、リニューアブル(再生可能)という特質から、各国が、大幅な増産により石油への代替を進める方針を打ち出した。なお、ブラジルのように、さとうきびからエタノールを生産するのにバガス(さとうきび搾りカス)を燃料として使う場合は問題ないが、米国のとうもろこしからのエタノール生産のように、生産過程で化石燃料を使用する場合は、厳密に言うと、カーボン・ニュートラルかどうかは問題になる。
 その点はともかく、穀物に対して、食料、飼料という従来の需要に加えて、燃料という第三の需要が大きく加わったということは間違いなく、今後の国際穀物価格の上昇要因となっている。

◆大義名分の高い新たな農業補助金の創出

 特に、米国では、地球温暖化抑止に貢献し、エネルギーの海外(中東)依存度も低められるバイオ燃料の増産を大々的に進めるという大きな大義名分の下に、農務省予算ではなく、エネルギー安全保障の予算としてエネルギー省からの支出によって、新たに農業補助金を手当てできる方向を見出したのである。これによって、WTO(世界貿易機関)交渉等で批判されている「復活不足払い制度」等の従来の農業補助金を、かりに引き下げても、より国家的な大義名分の下に、実質的な農業保護が可能になるようになってきたことにも注目する必要がある。

◆中長期的には冷静な見方も必要

 ただし、世界の食料需給の逼迫については、以前から悲観論、楽観論が共存している。どちらか一方が強調される傾向があり、日本の農業関係者は、悲観論を強調しがちだが、両論を示した上で、総合的に判断するとこうだという形で整理しないと信頼性が損なわれることになる。
 供給が不足すれば価格は上昇し、価格が上昇すれば、供給が増えて需要は減るという動きが起こり、価格シグナルで調整が行われてきたと見ることができる。長期的に見ると、国際穀物価格は上昇・下降を繰り返しながらも、趨勢的な上昇を示しているとはいえない。むしろ、歴史的には、予想以上に、価格に反応した需給の調整機能が発揮され、近年までは、一般物価水準の上昇を割り引けば、国際穀物価格の実質値は、趨勢的には低下してきた。したがって、近年の価格上昇局面も慎重に吟味する必要がある。
 エネルギー需要が加わっても、やはり、価格に応じた反応は、発揮されるであろう。つまり、やや長期的にみれば、エタノール供給が増加すれば、エネルギー需給が緩み、石油価格が下がり、とうもろこし価格も下がるであろう。したがって、「高止まり」するという見込みも出しにくいように思われる。
 投機マネーへの影響も考えると、相場が下がるというのは言いにくい面もあろうが、逆に、だからといって、高値が永続するかのような見方は、特に、個人投資家に大きな損害をもたらしかねないので、注意が必要であろう。
 飼料用穀物需要の逼迫についても、バイオエタノールの副産物であるDDGS(ソリュブル添加のトウモロコシ蒸留カス)は、飼料として十分に使えるという見方と使えないという見方が専門家の間でも交錯している。この普及が進むかどうかで、飼料需給への影響は大幅に変わってくる。よく見極める必要がある。
 さらには、現在、実用化されている糖質やデンプン質からのバイオ燃料生産(第一世代)に対して、稲藁、スイッチグラス(牧草の一種)や木からのセルロース系のエタノール(第二世代)の実用化が早まれば、現在の食料・エサと燃料需要の競合問題は、大幅に緩和することになる。

◆単収は価格に反応する

 しばしば、単収の伸びが年々鈍化してきていることが指摘されるが、近年の単収の伸びの鈍化は、穀物価格の実質的低迷を反映していた側面もある。したがって、穀物価格が高騰しても、耕地面積の制約は強く、単収の伸びもあまり見込めないから、需給は逼迫するという見方があるが、特に、耕地面積の制約が大きくなるほど、穀物価格の上昇は、生産要素投入の増加等を通じて、単収の増加に反映されるので、その点を考慮する必要がある。多くの場合、将来の単収は、トレンドのみで近似されるので、価格上昇の単収引き上げ効果が反映されない。単収の説明変数に穀物価格を導入したモデルが必要である。
 また、単収の水準が技術的な限界に近づいているとの見方もあるが、単収の各国比較をすると、非常に大きな格差がある。例えば、とうもろこしについても、中国は米国の半分の水準である。その格差が縮まる可能性は十分あると考えた方が妥当であり、そうなれば、それだけでも、大きな増産の余地といえる。

◆アジアはどこまで洋風化するか

 一般に欧米人は、世界の食生活は経済発展とともに着実に「洋風化」=「欧米化」すると信じているふしがある。レスター・ブラウンが「誰が中国を養うのか?」と問題提起したのも、基本的には、世界全体の「欧米化」思想がベースにあろう。中国の食肉需要が際限なく欧米水準に近づくと見込むから、大きな穀物不足が心配されることになる。食肉需要が予想ほど増加しないとしたら、国際穀物需給の展望は大きく異なるかもしれない。
 我々が、世界100ヶ国以上の食生活パターンを類型化したところ、中国の食生活は、過去数十年間に、確かに、途上国型(穀類・いも類中心)から先進国型(肉・乳製品中心)に向けて転換しているが、その方向は、米国のような肉・乳製品のウエイトが高いグループではなく、魚介類のウエイトが相対的に高い韓国、日本、香港等の「東アジア型」先進国グループに向かっていることがわかった。
 また、中国における100種類以上の食品需要の所得弾力性(所得の増加率に対する当該食品の消費の伸び率)を推計した結果、肉類の所得弾力性は都市部では、すでにかなり低く、豚肉と牛肉の1人当たり消費量には近年減少傾向もみられるのに対して、魚介類の所得弾力性は、総じて肉類より大きかった。さらに、既往の推定結果との比較から、1990年代以降、肉類の所得弾力性がかなり低下した可能性も示唆される。ただし、肉類でも、鶏肉の所得弾力性はまだ高い。食料需給の将来展望には、所得と消費水準の上昇に伴う時系列的な所得弾力性の低下を考慮する必要性がある。従来の予測には、この点も十分織り込まれていない。
 今後、牛肉や豚肉よりも鶏肉や魚類が相対的に消費の伸びが大きい可能性があることは、穀物必要量が節約されることを意味する。なぜなら、1kgの食肉を生産するのに要する穀物量は、牛肉で11kg、豚肉で7kgなのに対して、鶏肉で4kg、魚では2kg程度だからである。

◆「都市化」の効果、大きい可能性

 一方、特に、中国等では、都市部と農村部の畜産物や水産物の消費量の格差は極めて大きいので、かりに都市部で需要が頭打ちになっても、農村部の消費が都市部の現在の水準に近づいてくるだけでも、大きな需要増大につながる可能性もある。
 また、都市化の影響についての新たな視点も考慮する必要がある。都市化の効果は所得向上の効果と同義と考えられがちだが、最近の研究では、所得向上を分離した「都市化」そのものによる効果がかなり大きいことが実証されている。価格と所得が同じであっても、「都市化」により食生活が変化し、穀物消費が減少し、肉や魚の消費が増えるという。つまり、従来の所得向上効果だけを考慮した将来展望は過小であり、都市化効果を考慮すると、肉類や魚消費の増加の余地はもっと大きい可能性がある。

◆もう一つの国際価格上昇要因―関税と輸出補助金の削減の行方

 農産物貿易においては、関税と輸出補助金の両面から、国際価格が低く歪曲されている。今後、関税が削減されれば、輸入需要が増加し、輸出補助金が削減されれば、輸出供給が減り、両面から国際価格が押し上げられる。このシナリオをどう組み込むかで、国際価格の上昇が加速される。
 また、WTOやFTAの進展によっては、国際食料貿易において穀物の大輸入国になることが心配される中国が、我々の試算でも示されているように、むしろ、我が国へのコメや生乳の大輸出国として脅威になることもありうる。このように、国際穀物需給の見通しは、政策シナリオにも大きく依存する。

◆自分の立場超え総合的評価

 常にそうだが、我が国では、物事がある方向に進み始めると、いっせいに皆が、もっとそれが進むと言う。いつしか、それが逆の方向に進み始めると、同じ人達が、こんどは、逆の方向にもっと進むと言い始める。
 筆者は、かつて、農林水産省に就職した2年目の1983年に、国際企画課で、米国の熱波によるシカゴの大豆価格への影響を計算し、日米含めて、世の中がこぞって10ドルを超えると言っていたときに、83年10月の価格は1ブッシェル当たり8.47ドルとの予測値を示した。当然、そんなに低いわけがないとの反応がほとんどだったが、結果的には、実際の価格は8.24ドルであった。もちろん、将来には、様々な予期せぬ条件も加わってくるから、結果的に見込みが当たるかどうかは問題ではない。その時点の情報で客観的に言えることを言う姿勢に徹するしかなかろう。自分の置かれている立場をこえて、総合的に評価する必要があろう。

【著者】東京大学教授 鈴木宣弘

(2007.03.23)