◆九州全域に跨る販売網の構築へ
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まつき・みつお 昭和11年7月4日生まれ、72歳。京都市出身。昭和30年大分県立玖珠農業高等学校卒・日米農薬(株)入社、47年(株)大商を設立し代表取締役、平成4年グリーンテック(株)に社名変更し代表取締役
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――現在の会社は、7つの農薬・農業資材卸を統合し設立された。統合の変遷、また、その背景には何があったのか。
「母体会社である(株)大商が設立されたのは、1972年12月のこと。拠点は、もちろんここ熊本の地。その後、ちょうど20年を経た92年に鹿児島、宮崎、熊本をテリトリーとしていた中商事(株)と合併しグリーンテック(株)に商号変更した」
「また、翌年の93年に大分、福岡を主なエリアとしていた瑞長(株)の営業権を譲り受けた」
「さらにサガ植薬(株)との合併、(株)九薬植薬資材部門の営業権(以下、「九薬」)を譲り受けグリーンテック九薬(株)に商号変更したのは98年だった。まだまだ、続く」
「01年には、(株)サン・ダイコーの農薬・農業資材部門の営業権を譲り受け、これがここまでの最終章になるが、06年に熊本、鹿児島、福岡で強力な展開を行っていた(株)アグリサポートと合併し現在のグリーンテック(株)に至っている」
「これまでの変遷を振り返ると、やはり規模の大きさから中商事(株)の存在感は改めて大きかったと思う。また、もう一つの側面として指摘できるのはサガ植薬(株)、九薬までの統合が旧武田薬品工業(株)をメインとした卸であったこと。逆の表現をすれば、旧武田の店内シェアが高かった卸の再編劇だった」
「ここ九州の同じ卸として交流や絆はあったが、特に09年代に入り系統流通(県本部・経済連流通)との競合が激しくなっていった。これを乗り越え生き残って行くには経営の効率化、規模拡大、九州は1つの島との発想を呼び起こし、九州全域に跨る販売網の構築を目指した」
◆顧客の笑顔のために豊かな農業を提案
――事業のアウトラインと企業理念は。
「事業は化学農薬、生物農薬、農業資材、肥料、種子と多岐にわたっているが、本流は農薬だと思っている。この中で、例えば、いまミツバチの確保・調達が問題視されているが、この現象はこの九州についても同じことが言える」
「これに対しても、当社のマルハナバチが十分に対応出来ると思っている。自慢ではないが、生物農薬への展開は当社が九州で一番早かった。リスクも負ったが、様々なニーズに柔軟姿勢で対応できる礎を確かに掴んでいる。ただし、コスト面においては、今後の課題として残っているが」
「企業理念だが、一言でいえば、顧客の笑顔のために豊かな農業をトータルに提案していくこと、を掲げている。戦術としては有益な商品、技術、情報の提供(顧客重視)、誠実なアクション(社会的責任)、誇りの持てる企業(社員)、安定成長(企業責任)の実践だ」
◆今後の農業・食料は満ち溢れる「魅力」が
――現在の農業、食料をどのように捉え、何を提案していくのか。
「確かに、今の日本の農業、食料を取り巻く情勢は大きな岐路に立たされているのかも知れない。しかし、昨年来の世界的な食料危機が叫ばれる中、エネルギー問題も含め課題は多いものの、今が農業、食料を国民的な共通の問題意識として捉え、これまでより1歩踏み込んだ思考が追い風を生むのではないか。楽観視はしていないが、今後の農業、食料には魅力が満ちあふれていると思う」
「このような意味からも、我々は九州発の日本の食料基地を目ざしている。当面、個人的には企業統合など避けて通れない課題を抱えてはいるものの、我々は農家、生産者とともに誇りと自信をもった姿勢で、挑んでいきたい。当社の存在は、顧客から見たもの、メーカーから見たものの2つに大別できるが、根本には経営体質の強化がある。中身がしっかりしていなくては、人に幸せを運ぶことが出来ない」
《記者の目》 4月のはじめ、山口県の萩城を訪ねた。松本川と橋本川に挟まれたこの城は別名・指月城とも呼ばれ、かつて、吉田松陰の「草莽の思想」を育む土壌の1つともなっていた。そして、郷静子の著作『草莽』(まほろば書房)が手もとにある。 順次、7つの農薬・農業資材卸を統合し設立されたグリーンテック。地域農業の活性化に向けた貢献を御旗に掲げているが、その推進には地域から湧き出る「草莽」がある。 けだし、九州における農薬広域卸5社が現在の姿で生き残れるとは思われない。全国域卸の波も九州に押し寄せ、業界再編のその時が、まもなく訪れる。 松木は、「松陰の思想は明治維新に引き継がれて今日があり、『草莽』の主人公・千代は修羅の地から生還した父との再会で初めて人間になれたのではないか」という。 |