◆ひと粒の種子から建設工事まで多彩
――農薬卸と言うよりも、農業資材を中心とした流通商社との印象が強い。
「当社は1924(大正13)年の創業で、今年で85年を迎える。農薬、農業資材をはじめ、施設・包装・暗渠・防除の各資材、さらに植物活力剤などをJAや取次店へ供給していることから、流通商社としての機能を果たしていると言っても過言ではない」
「事業はこのほかに、農業を基軸として農業土木から発展した土木建設業、林業薬剤散布から始まり物資の輸送業務から救急医療現場へのヘリコプター使用事業のサポート業務など、社会貢献を視野に入れた多角的な経営を行っている」
――ひと粒の種子から建設工事に至るまで、多彩な農業支援への展開だ。主な事業部門の横顔は。
「優れた農作物は、優れた種子から生まれてくる。種子事業の発想の原点がここにある。産地間競争と国際間の競争。この2つの競争に立ち向かって行くには、良質の種子選択が不可欠。生産者ニーズに応え、北海道という生活環境に適合した良質の種子の提供に挑んでいる」
「食の安全・安心に対する消費者の関心が高まっている。農薬事業では、農薬の剤の系列や1剤における乱用防止のために薬剤のローテーションにより、効果の持続や防除回数を少なく、または希釈倍数を低くするなど、安全性と適正使用で効果を十分に引き出すための普及展示圃活動を実施しているが、これらのベースにはJAや生産者との情報交換がある」
「異色なのがヘリコプター事業。有人ヘリコプターを使用した車輌の乗り入れが不可能な山岳部への物資および人員の輸送、噴火後の有珠山の緑化事業にも微力ながら貢献した実績がある。最近では、救急医療の分野でもその活躍が期待されている。一方で、無人ヘリコプターへの展開もすすめている。ホーバークラフト事業も」
◆誠実、確実、迅速の信頼の三原則
――85年間、貫き通している企業理念は。
「当社が大切にしているのは誠実、確実、迅速の信頼の三原則。今日の仕事が明日の新しい発見につながることを目指して、各部門がお互いに連携を密にしながら、有機的に機能するよう全社員挙げて日々業務にいそしんでいる」
「日本人がいま、忘れつつあるものに自然の恵みへの感謝が有るのではないか。人は自然のエネルギーを頂戴しながら、その中で知恵を絞り、大地の恵みを手にする。分かり易く言えば衣、食、住の全てが自然からの贈り物。地球の環境にやさしい農業とは、そこに住む人間にも優しいはず。最先端の技術がこれからの農業を変えていく」
◆商圏拡大の引き金は青函トンネルの開通
――北海道には、大地と言う言葉が良く似合う。この環境のもと、農薬事業の市場構造はどのようなものか。
「330億円のマーケットサイズだと思う。内訳は系統60%、商系40%のウエートか」
「系統から見ると、北海三共80億円、北興化学工業30億円、クミアイ化学工業15億円、その他となっている。商系は、サングリン太陽園、小柳協同、日の丸産業、丹波屋、北海道日紅、横浜植木、東栄、コハタの8社が主な卸」
「流通チャネルにおいて、各社の商圏の拡大が進んでいる。大きな引き金になったのが青函トンネルの開通だった。1988年のこと。鉄道軌道長は53・85kmだが、業界では北海道と本州をもっと縮めたものと見ている。開通前には、無用の長物、昭和三大馬鹿査定、泥沼トンネルなどと揶揄されたこともあったが、北海道?本州の貨物輸送に重要な役割を果たしている。天候に左右されない安定した安全輸送を可能とし、北海道の基幹産業である農産物の輸送量が飛躍的に増加した」
「業界に視点を戻すと、商圏は本州から攻められているが、逆に見れば攻めていくことが可能だと言うこと。当社は、農地で生き残りをかけており、東北にも優良な農地がたくさんある」
――今、流通商社に何が求められているのか。
「継続は力なりとよく言われる。まさに信頼の三原則実践の積み重ねが85年として結実した。しかし、これは通過点にしかすぎない。改めて、我々は人間が生きていくために必要な食糧を生産する農業、その農業の発展へと貢献していくことが社会に対する責任と役割だと思っている」
「国内の食糧自給率の向上、食の安全や消費者への理解と信頼確保、また、生産者が意欲的に仕事に従事できるよう農産物の国内消費はもちろん、今後、国際的な食糧不足が深刻になる中、海外へ輸出できる側面支援、近代農業技術の利用・活用によって“感動を与える農業”へ少しでもお役に立ちたいと願っている」
【略歴】
こはた・みつのり 昭和33年8月14日生まれ、50歳。北海道出身。昭和56年拓殖大学政経学部卒・武田薬品工業(株)入社。63年(株)コハタ入社、平成5年取締役、11年常務取締役、17年取締役社長。