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視線「日本農業の活性化と食の安全・安心を目指して」

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(13)コンサルカンパニーとして提案めざす

農業は、ごまかしは利かない

 「創業(1919年)から見ると、ちょうど90年。薬の商売の起源は因島の田熊村で祖父の田中泰輔がはじめた田中大信堂(薬店)にある。会社組織として大信堂薬局を立ち上げた(54年)のが父の田中富造。父は派手なことを潔癖なまでに嫌っていた。一方、実用新案を2つももつアイディアマンでもあり、今、広く普及している配色マルチはその1つ。尾道農薬販売を吸収し、大信産業に社名変更したのは62年だった。

◆おごりなきこころを代々の宝にてつきせぬ・・・

田中康貴 大信産業(株)代表取締役社長 ――大信産業の本社のある尾道といえば、まず文学の町を思い浮かべますが。
 「当地は、古く鎌倉時代から中四国の港町として栄えてきた。確かに林芙美子、志賀直哉、高垣眸、中村憲吉らを思い起こすと文学の町が連想されるが、もうひとつの側面として坂の町、寺の町、そして最近ではサイクリングの町として認識されつつある。
 今年は、瀬戸内しまなみ海道(正式名:西瀬戸自動車道)の開通から10年めにあたる。尾道⇔向島⇔因島⇔生口島⇔大三島⇔伯方島⇔大島⇔今治が7つの橋で結ばれ、この海道はこれからも文化や経済の中四国のパイプとして果たす役割は計り知れないと思う。」
 ――田中家には家訓がありますね。愛媛大、旧三共(現三井化学アグロ)での活動もあわせてお聞かせください。
 「家訓は『おごりなきこころを代々の宝にてつきせぬ家の守りとも見る』で、照れ臭い思いもあるが、おごりのない行動を心がけている。少しだけだが、学んだのは愛媛大の農学部農芸化学科で、農薬化学を専攻した。卒論はニコチン誘導体の合成で、学生時代から既に農薬屋だった(笑い)。」
 「旧三共では農薬部に入り、主に普及部、営業部に在籍させて頂いた。あの有名な、鈴木万平さんの頃(当時の農薬部長は、桑田五郎さん)だ。人への接し方、人を思いやること、そして命の尊さ。この教えが今、生きること、会社運営で大切な糧となっている。」

◆生命(いのち)産業という自負緑を育て、食料生産に奉仕

 ――今年で創立55周年となります。会社の沿革とともに企業理念をお話しください。
 「創業(1919年)から見ると、ちょうど90年。薬の商売の起源は因島の田熊村で祖父の田中泰輔がはじめた田中大信堂(薬店)にある。会社組織として大信堂薬局を立ち上げた(54年)のが父の田中富造。父は派手なことを潔癖なまでに嫌っていた。一方、実用新案を2つももつアイディアマンでもあり、今、広く普及している配色マルチはその1つ。尾道農薬販売を吸収し、大信産業に社名変更したのは62年だった。
 創立55年。大きな信用をモットーに地道な営業を展開し、十分ではないが業績も順調に推移してきた。これもひとえにお得意様の温かいご支援の賜物だとつくづく思っている。」
 ――会社運営にあたり「生命(いのち)産業」との自負をもっとも大切にされているとお聞きしました。
 「我々の果たすべき役割は、食料生産への支援を通じ、人びとの生命を支える仕事だと全社員に根付かせている。そして、誇りをもって仕事をしなさいと。かつて食の安全・安心は、あたりまえのこととして大きな存在感があった。これが今、例えば偽装表示などで揺らいでいる。安全で安心な食料の生産と、緑化分野では緑あふれる環境の創造維持が当社の使命だと痛感している。
 当社の緑化事業は中四国の取り引きある120のゴルフ場を中心に、緑地のメンテナンスも行っている。最近では屋上緑化、壁面緑化、校庭緑化に力を注いでいる。
 世界に視野を拡げると、食べるものがなく、飢餓により毎日多くの人びとが亡くなっている。人の生命を支えるという使命を思う時、我々の仕事がめざしている意義が何よりにも優る高貴なものに見えてくる。」

◆地域密着型を推進グリーンドクター制度で人材育成

 ――農業が曲がり角を迎えています。どのようなビジネスモデルで今後の展開にのぞまれますか。
 「地域密着型の事業展開につきる。農薬肥料、農業資材、緑化事業を3つの柱とし、地域に密着した技術をベースにした普及と営業に徹していく。化学農薬のパワーは信頼でき、使用基準の遵守を啓発していく。
 一方で、より自然を活用した先進技術の生物農薬などへの展開も大切だと思っている。天敵昆虫や物理的耕種的防除を組み合わせて、効率的に病害虫を管理する方法だ。当社ではいち早くIPM(総合的病害虫・雑草管理)を導入した。授粉用のマルハナバチをはじめ、天敵昆虫や微生物などの生物農薬も品揃えが進んでいる。ツヤコバチやカブリダニなど有益昆虫の導入も増加してきた。」
 当社では500件を超える農薬や肥料の展示試験を行ってデータを蓄積し、これを元に地域や作目・作型に適合した防除暦を作成し、JAなどに防除体系をアドバイスするなど、農家に対する徹底した技術サービスを実践している。この蓄積が大きな信用に繋がっていく。人材育成も大切で、社内グリーンドクター制度を設け、社員の資格取得にも積極的に挑んでいる。
 泣いたり笑ったり、農業は正直だ。人が手をかけた分だけ品質の良い、美味しい農産物になる。ごまかしはきかない。しっかりと地域に根ざし、誠心誠意で農家と目線を同じくし、膝と膝をつき合わせた事業展開をはかっていく。」

【略歴】
(たなか・やすたか)
昭和20年3月23日生まれ、64歳。広島県因島市田熊町(現・尾道市因島田熊町)出身。昭和43年愛媛大学農学部農芸化学科卒・旧三共農薬部入社(約5年間在籍)、47年大信産業入社、平成元年代表取締役社長(〜現在)、20年全国農薬安全指導者協議会会長

 

記  者  の  目

 01年、大信産業は農薬卸業界初のISO9001(品質管理)の認証を本社と9カ所の営業所で一括取得した。「大きな信用」を得るために努力を惜しまない。本社のある広島はもとより愛媛と、そしてJAとも強い連携を構築している。
 この地域は「しまなみ海道」「山陽自動車道」「中国縦貫道」を擁するが、いま尾道と松江を結ぶ中国横断道の工事が進んでおり、四国と山陰が近くなる。日本の農業、人びとの生命、緑あふれる環境の創造と維持、さらに新たな物流拠点として地域密着型の経営を強めていく。

           田中康貴 大信産業(株)代表取締役社長

(2009.11.20)