◆縦と横の『くみおり』が組織『思想』を吹き込み、力を発揮
鯨井武明氏 (写真提供:(社)家の光協会) |
噂どおり、鯨井武明(くじらい・たけあき)組合長は、俳優の丹波哲郎にそっくりの人だった。容貌だけではない。迫力と説得力があって、名言がポンポンと飛び出す歯切れよい話しぶりも、よく似ている。
「組織は『くみおり』と書く。縦糸、横糸を組み合わせて織るという意味だ。縦の流れだけで仕事をするのではなく、横の連携があって初めて、組織としての力を発揮できる」
「田んぼの心と書いて『思う』。これは自分のこと。相手の心と書けば『想う』。JAの仕事には『思想』が絶対必要だ」
極め付きは「組合長理念」である。組合長に就任した朝、トイレの中でひらめき、すぐにメモをとったという。後日、理事会に諮ってから、書家に頼んで清書してもらい、JAの全支店に貼り出した。
「自然界の恵みを糧にするJA埼玉ひびきのの向かう先。理想と現実。現実と打開。打開と会話。会話と協調。協調と理想。合併後十年に向かって信念を持って!」
自分たちの向かう先には、農業協同組合の理想がある。しかし、その前に立ちはだかっている厳しい現実。この現実を打開しなくてはならない。打開するために必要なのは、お互いの会話だ。だが、会話だけではなく、協調して行動しなくてはならない。協調こそが理想の実現につながる道である、という意味である。
◆農と調和した新しい街づくりめざして
埼玉県の北の玄関口に位置するJA埼玉ひびきの。組合員数が約1万6000で、農業粗生産高は約190億円。県内生産高の約1割のシェアを占めている。農畜産物をバランスよく生産している農業地帯だ。
鯨井氏は、昭和17年に、米麦と養蚕を営む農家の長男として生まれた。熊谷農業高校2年の時に、友人と2人で北海道から乳牛を導入。これからの日本人の食生活には動物性タンパク質が必要になるから、牛乳が出なければ牛肉で売れるという一石二鳥の酪農をやろうと考えたのである。平成元年に野菜作に切り換えるまで、酪農家だった。
JAとの関わりは、平成8年にJA埼玉本庄の理事になってから。翌年の合併を経て、平成17年に組合長になった。
若い頃は青年団で活躍したが、地域社会でのホームグラウンドは消防団。45年間続け、その間に、地域の消防団長を12年間務めた。異業種の人たちと交流して、社会人としてのマナーやモラルを学び、組織を動かすリーダーシップを身につけたという。
JAの組合長に就任するや、持ち前のすばやい行動力を発揮して、さまざまな改革を実行してきた。
合併10周年を機に、支店の統廃合を完了し、487戸の麦作農家による農業生産法人「ひびきの農産株式会社」を設立。
高齢化による人手不足解消の一助として、中国からの農業研修生も受け入れている。
また、管内にある新幹線の本庄早稲田駅周辺では、いま、大規模な区画整理事業が進行中。管内の人口は、現在の14万から20万になると予測されている。
地権者の代表でもある鯨井氏は、関係機関と密に連携しながら、農と調和した新しい街づくりに奔走している。
地域農業やJAをめぐる環境変化は激しい。
そのなかで、農家の暮らしを預かるJAの組合長として、鯨井氏は重責を担っているのだ。
◆屋台骨のしっかりしたJAは職員自らの意識改革から
「改革は誰にとっても辛い。しかし、先人が農協をつくってくれたから、我々は安心して農業をやってこられたのだ。今度は、我々が頑張って、屋台骨のしっかりしたJAをつくり、次の世代に引き継いでいく番なのだ」
そのために、まず、やらねばならないこと。それは、職員の意識改革である。
「組合員のJA離れは、JAの組合員離れだ。組合員にJAを好きになってもらう前に、我々役職員が、組合員を好きにならなくちゃいけない」
「JAのリーダーは、常に動き回って、情報提供者になれ。机の前に座って指図するだけでは、仕事をしていることにはならない」
「すぐに文句を言う人間はだめな職員ではない。これからは、黙って過ごそうとする人間がだめな職員だ」
こうした鯨井語録はすべて、自分自身の体験と実践に裏打ちされている。
「組合長、体に気をつけて頑張ってくれよ」
と、組合員に挨拶されたら、鯨井組合長は、必ず、こう答えるそうだ。
「おかげさまで。最近は、みんなが農協を利用してくれるようになったんで、非常にありがたいと思っているんだ」。
そのように言えば、JAを利用していないと自覚している人でも、自然に利用してくれるようになるものだという。
JA埼玉ひびきのの「組合長理念」は、こうした日常活動から生まれたのである。