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JAリーダーの肖像 ―協同の力を信じて

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農協運動一筋で掴んだ「実践哲学」

JA愛知北(愛知県)代表理事組合長 石田祥二氏

◆JAの経営基盤強化策は組合員とJAを繋ぐロープの数 石田 祥二氏(写真提供:(...

◆JAの経営基盤強化策は組合員とJAを繋ぐロープの数

JA愛知北(愛知県)代表理事組合長 石田祥二氏
石田 祥二氏
(写真提供:(社)家の光協会)

 名古屋まで電車で約二十分。管内に、国宝の犬山城をはじめ、桃太郎神社や明治村などの観光地のあるJA愛知北は、典型的な都市近郊型JAである。
 安定した信用・共済事業。特産の「守口大根」「宮重大根」「越津ねぎ」、桃などのほか、大消費地に近いメリットを生かして、新鮮な農産物を供給できる営農事業。
 悩みは、高齢化と農地の遊休化である。そこで、昨年から、団塊の世代を対象にした「農業塾」を始めた。女性部を中心とする生活文化活動や食農教育、高齢者福祉活動にも熱心に取り組んでいる。
 「JAは、人と人をつなぐ組織だから、組合員とJAをつなぐロープは何本あってもいい。ロープが多ければ多いほど経営基盤を強化できる」
 と言う石田祥二(いしだ・しょうじ)組合長。
ざっくばらんな話しぶりだが、穏やかで、学究的な雰囲気の人である。
 石田氏は、昭和21年の生まれ。早稲田大学法学部に学んだが、学生時代は、法律の勉強のほか、心理学専攻の友人の影響もあって、フロイトなどの深層心理学の本を読み漁っていたという。
 卒業後は就職せず、東京に残って司法試験の受験勉強をしていた。だが、数か月後に、母が病に倒れたとの知らせで帰郷。
 「農家の長男だから、少しは親孝行しなければと思った」
 郷里の犬山市に帰ってから、受験勉強を続けていたものの、自分は法曹関係の仕事には向かないと考えるようになった。そこで、当時、農協の副組合長だった父親の影響もあり、思い切って農協マンに転進。

◆組合員・職員・JAを結ぶ 「心のロープ」はリーダーしだい

 農協での最初の仕事は豚の飼料の配達だった。仕事を覚えるためにノートを持ち歩き、「〇〇さんの家の犬に吠えられた」と書いたついでに、犬の名前も覚えたそうだ。
 2年目からは、参事から命じられて、宅建や衛生管理者などの資格試験を片っぱしから受験。まるで資格試験要員のようだったが、民法をしっかり勉強してあったので、どれも楽に合格できた。
 職員時代の忘れられない思い出がある。31歳で支店長として赴任したが、そこは部下のほとんどが50代という職場だった。
 父親と同じ世代の人たちの前では、煙草を吸うことも憚れ、緊張の日々だった。とにかく真面目に仕事をするしかないと考えて、一生懸命働いていた。
 ある朝、「店長、下水が詰まった」と、職員が報告に来た。石田氏は、すぐにバケツと棒を持って行き、マンホールを棒で突ついてみた。すると、50代後半の職員が、大声で「店長、私がやりますよ」と言いながら駆け寄ってきた。上着を脱いで、腕まくりをし、汚物を取り出し始めたのである。
 その職員は、戦時中、陸軍幼年学校を出た人で、世が世なら、エリート将校の道を歩んでいたはずだった。その人が素手で、糞尿を掴んでいるのだ。石田氏は胸がいっぱいになった。
 「一生懸命仕事をしていれば、自分のような若輩であっても、人はついてきてくれるのだ」と、その時思ったという。
 また、格別にうれしかった出来事がある。2年間勤めた支店を去る日に、地域の組合員たちが、自発的に送別会を開いてくれたのだ。支店長の石田氏が農家組合員の税務相談を一人でこなし、3月の申告時期には、代筆をしてあげたことに対する感謝の宴だった。農協人となった喜びを実感した一夜であった。

◆若きJAマンへのメッセージ「心のありよう」を仕事にどう生かすか

 ところで、若い頃から尊敬していたのが、農協に入った当時の参事だった。後に組合長になった人だが、常に感情を表に出さず、穏やかで、けっして怒らなかった。いつも慎重で冷静沈着。叱責されたことは一度もない。
 しかし、だからこそ、絶対に怒られるようなことをしてはならないと肝に銘じて仕事に励んだ。自分も参事のような人間になりたいと、憧れていた。
 そして、仕事上のさまざまな悩みを抱えていた38歳の頃。石田氏は中村天風の著作に出会い、大きな感銘を受けた。
 「怒らない、怖れない、悲しまない」は天風の有名な言葉だが、それは、あの参事の生き方そのもののように思えた。
 数奇な運命をたどった天風が説く人生の実践哲学は、今も石田氏の生き方の指針になっている。若い頃、心理学を学んだ延長線上に、中村天風の存在があるのかもしれない。
 石田組合長は、若い職員に向かって、よく「心のありよう」を話す。農協運動一筋に歩んできた体験に基づくメッセージだ。
 「仕事に悩み、落ち込むことは誰にもある。私も経験した。だが、JAの仕事をとおして、いつも明るく生き生きとし、世のため、人のために役立てるのは、すばらしいことではないか」

【著者】(文) 山崎 誠

(2007.09.03)