◆農協マンとして組合員の信頼を絶対に裏切ってはならない
杉本義衛氏 (写真提供:(社)家の光協会) |
「時代はめまぐるしく変化している。このスピードに遅れないよう、JAは、目に見えるように変わらなくてはならない」
と、エネルギッシュに話すJAならけんの杉本義衛(すぎもと・よしえ)理事長。
JAならけんは、平成11年に、奈良県内の42JAが合併して全国初の県全域単一JAとなり、経済連と信連を包括承継した。組合員数約8万3千を擁する超大型JAである。
「柿食へば 鐘が鳴るなり 法隆寺」と、正岡子規の俳句にも出てくる柿は、奈良県を代表する農産物で、露地柿は全国2位、ハウス柿は1位の生産量。このほか、イチゴ、トマト、ホウレンソウ、ナス、菊や大和茶など、多品目の農産物が生産されている。小規模農家が多いが、栽培技術の水準は高い。
杉本氏は、昭和22年、桜井市の農家の長男として生まれた。進学先の東京農業大学では農業工学を専攻。
学生時代は農村調査部というサークルに属し、夏休みになると、新潟の米どころや愛媛のミカン地帯に長期滞在して、調査活動をした。大学紛争で揺れるキャンパスを離れ、もっぱら農家の暮らしの現場へと足を運ぶ学生生活だった。
「農業基本法の下で、儲かる農業への期待から、当時の農村には活気があった」
調査が終わると、リュックを背負って、東北地方をヒッチハイクしたり、四国一周の旅をしたという。
大学卒業と同時に奈良県経済連に入会。3年間、農機修理を担当した後は、一貫して農住事業に従事し、街づくりのプロとして生きてきた。
「デペロッパーに任しといたんではあかん。自分らの土地は自分らで何とかしようよ」
と話しながら、一軒一軒の農家を回った。
200戸ほどの農家で農住組合を結成し、土地区画事業による街づくりをしたこともある。駅を誘致し、232戸(15棟)の賃貸住宅を建設した。
「民間の不動産業者が10回通っても契約できないのに、農協は数回行けば話がまとまった。業者にはだまされるかもしれないが、農協なら信用できると、農家の人たちは言ってくれた」
そのたびに、杉本氏は、「農協マンとして、組合員の信頼を絶対に裏切ってはならない」と、身の引き締まる思いがしたという。
◆JA合併で組織活動の進め方地域の合意形成のノウハウ学ぶ
JA合併の話が持ち上がった頃、経済部長として郷里のJA桜井市へ出向。合併を推進する役割を与えられたのだった。その時出会ったのが、後にJAならけんの初代会長となる故・高田昌彦組合長。
それまで、相対での交渉が多い不動産業に携わってきた杉本氏は、組織活動の進め方、地域のなかでの合意形成のノウハウを、高田組合長から学んだ。
常に組合員本位に行動する高田組合長の指導は非常に厳しかった。
「目配りせい、気配りせい」が口癖で、JAのリーダーとして、どのように組合員に接するべきか、具体的に身をもって教えてくれた。
「あの方のスピーチには、人を吸い込むような魅力があった。集落座談会で合併の話をされる。すると、自然に、組合員の皆さんがこの組合長ならば任せてもよいという気になるような雰囲気を持っておられた」
JAへの出向時代には、それまであまり縁のなかった女性部の人たちとも交流した。菊の品評会や寄せ植え講習会などをとおして、地域に根ざして活動する女性パワーの大きさを知ったという。
◆消費者との交流を広げ食と農の情報を共有すべき
杉本氏は、今後ますます重要になってくるJAの活動として、子どもたちへの食農教育を上げる。
「米の一粒が分げつして千六百粒になり、実りの秋を迎えるのだということや、昔から、農家は米の一粒一粒を大事にして生きてきたのだということを、子どもたちにしっかりと教えたい。JAに携わる私たちは、もっと地域に向かって、情報を発信していかなくてはならないと思う」
消費者との交流を広げて、食と農の情報を共有すべきだと、杉本氏は力を込める。
さらに、合併によって、職員数は大幅に減ったが、専門知識を持った職員の育成など、職員教育を重視したいと考えている。地域内での人間関係が希薄になった今、組合員や利用者に親しまれるJAにしなければならない。
JAならけんでは、今年から21ヶ所の経済センターと5ヶ所のローン営業センターで、土日営業を開始した。
「いま、JAに求められているのは、多様化する利用者のニーズを先取りし、スピーディーに対応していくことだ」
常に一生懸命に取り組むことをモットーにしている杉本理事長。明るくて、何事に対しても前向きな人物である。