志村善一氏 写真提供:(社)家の光協会 |
横浜北農協の支所長として6年間働いた後、志村氏は経済部長や組織部長、参事を務め、平成8年に定年退職した。
そして、1年後には、地域から推されて非常勤理事になり、専務、副組合長を経て、平成16年にJA横浜の組合長に就任。
日本を代表する国際港をはじめ、横浜ランドマークタワーやベイブリッジなどの人気スポットがある横浜市は、都会的なイメージが強い。
だが、神奈川県内の市町村のなかで、最も広い農地を有するのが横浜市である。そこでは「農業のショーウインドウ」といわれるほど、多様な農業が営まれている。
生産額の約7割は野菜で、JAの「ハマッ子」ブランドの野菜は100品目以上もある。
また、食の安全を守り、安らぎや癒しの場を提供してくれる農業への市民の関心は高い。
JA横浜がめざすのは、市民と共有し、分かち合い、ともに育てる農業である。
そのために、幅広い農業の担い手を確保し、総力戦で地域農業を支えることを農業戦略の基本にしている。
「規模の大小、専業、兼業、高齢者、女性を問わず、農業生産に携わる人はみな担い手と考えている」
JA横浜には「一括販売」という独自の集荷・販売システムがある。これは、組合員のなかで、「農業生産をする者なら誰でも」「生産した物なら何でも」「生産した時は何時でも」「どんなに少ない量でも」JAに出荷でき、それをJAが責任をもって販売するというもの。
1ケース、2ケースは当たり前で、出荷者は気軽に出荷できる。JAでは、量販店への直販流通を重視しており、一括販売の総販売高は、JAの野菜販売高の半分に当たる約7億円である。
畑のすぐ隣に消費者がいる横浜では、昔から農家直売が盛んに行われてきた。
「生産者と消費者の顔が見える直売所をネットワーク化して、地産地消をもっと広げていきたい」。
◆市民の支持と信頼を得る農業へ
また、食農教育にも積極的だ。横浜の特産であるキャベツなどを、市内すべての小学校へ供給している。市内には360余の小学校があり、給食数は約20万食。
JAの制作による「横浜農業の紹介DVD」も全小学校へ配布した。
「市民に支持され、信頼される地域農業を構築していくことがJAの生きる道だ」と考える志村氏は、JAの今後の課題についてこう話す。
「銀行やメーカーなど他の業態にないのが、協同の理念に基づく“組織”と“農業”。農業協同組合としての最大の強みであるこの2つを強化し、育てていかねばならない」
平成17年10月、JA横浜では合併3周年を記念して、大規模な「ふれあいフェスタ」を開催した。
会場のパシフィコ横浜に集まったのは、5000人を超す組合員。48支店を8つのブロックに分け、大運動会を行ったのである。
この日のハイライトは、3周年を記念して制作した『横浜農協音頭』を、2880人の参加者が踊り、ギネスブックの記録に挑戦することだった。
◆地域のため 組織のため 人のため
会場は熱気に包まれ、たいへんな盛り上がりを見せた。残念ながら、この記録はすぐにイギリスの記録に破られ、世界一の認定までには至らなかった。
しかし、JAの総力を挙げて、支部・部会組織の結成とJA全体の一体感を醸成するという目的は果たした。
イベントの後、志村氏は、年配の組合員から、こう言われたという。
「金をかけて、なぜ運動会なんだと、組合長に文句を言おうと思って来たが、久しぶりで楽しい思いをした。また、やってくれよ」
ところで、「地域のため、組織のため、人のため」をモットーとする志村氏が重視しているのは、JAの社会貢献活動である。
横浜市とは、防災に関する協定を結び、避難場所や仮設住宅の建設用地となる防災協力農地を指定している。
さらに、県外で地震などの災害が発生した場合、JAが独自で、すぐに義援金や救援物資を送れるように、JAの収益の一部を、社会貢献のための基金として積み立てる計画もすすめている。
「苦しむ仲間がいれば、みんなで助け合う。みんながよくならなければ、自分もよくならない」
という父親譲りの相互扶助の精神こそ、志村氏がもっとも大切にしている農協人としての行動原理である。
志村氏は、毎朝4時に起床し、JAに出勤するまでの時間を野菜づくりに費やしている。
「私は、今までもこれからも、農家組合員の仲間の一人。だから、畑で働いている時がいちばん楽しい」
6月27日には、JA神奈川県中央会副会長に就任。新しいステージでの活躍が期待される志村氏である。