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「農薬の安全性を考える」

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第5回 天然なら安全といえるのか

 「農薬は毒だ」とか「化学合成農薬は人間が作ったものだから怖い」と思っている人は多い。そして反語として「天然のものは安全」とか、農薬を使わずに栽培された野菜は安全だといわれ、減農薬栽培とか有機栽培さらには「自然農法」を唱える人までいる。
 今回は「天然」なら本当に安全なのかを安部浩東京農工大教授の話を中心にまとめてみた。

ほとんど解明されていない天然毒

◆自然な農業はありえない

 「自然農法」とか「天然は安全」という人たちに安部浩教授は、まず生態系についてきちんと理解すべきだという。生態系には「自然生態系」とそれを開墾して農地とした「農耕地生態系」の2つがある。自然生態系には動植物から微生物まで多様な生物が棲んでいるが、農耕地生態系はどうか。
 麦畑とかキャベツ畑というように、特定の植物(作物)を栽培しているので、その作物に特有の生態系が生まれ、土中の微生物を含めて生物種が少ないのが特徴だ。特有の生態系とはその作物の生育にとって必要なものもあるが、その作物をターゲット・好みとする病害虫が多く存在するということだ。だから連作障害が起こったり、人が農薬散布などで手をかけてやらないと食料としてその作物を確保できないわけだ。
 さらに付け加えれば、農耕地で収穫される農作物は自然に芽がでて生育しているわけではない。人が種を蒔いたり、苗を育て移植し手をかけて生育させ、人の手で収穫している。野生の植物なら実を地面に落とし、自身の力で次世代へ生命を継承していくところを、人が手をかけて生育させているのだから、農薬を使わなくても「自然」とはいえない。

◆天然毒は生物体内で合成する有機合成物の一種

 さて話を本題に戻そう。「毒」とは何か。安倍教授は「毒とは、生命活動に悪影響をおよぼす物質の総称で、そういう性質を“毒性”とよび、そういう性質がある物質を“毒性物質”とか“有害物質”と呼ぶ。特に微生物や動植物など生物起源の毒性物質を“毒素”(トキシンToxin)と呼ぶ」のだという。
 生物由来または生物起源の毒素(以下、生物毒または天然毒という)は、生物体内で合成する「天然有機合成物の一種」だ。誰でもよく知っている天然毒を並べてみると、マムシやコブラのヘビ毒、フグの毒、ハチやアリなど昆虫類、クモやサソリ、イソメなど節足動物の毒。キノコ類やカビ、細菌類、アメーバのような原生生物、赤潮を形成するプランクトンなどがある。
 植物は大丈夫と安心してはいけない。タバコのニコチンは神経毒、ケシ(モルヒネ)やコカイン(コカ)は麻薬であり神経毒だ。キナの皮から出るキニーネ・ストリキニーネも神経毒だ。
 身近なところではジャガイモの新芽や緑色皮には神経伝達を阻害するソラニンがある。トマトには心拍異常や血液疾患を起こすトマチンが、山菜として人気のワラビには発がん性のプタキロシドが、そしてトウガラシの辛味成分であるカプサイシンのLD50(半数致死量、後に詳述)は60〜70mg/kgと農薬よりかなり危険な天然毒だ。

◆キャベツには49種の化合物が

 もっと身近な普通の野菜で話をすると、キャベツには49種の天然有機合成物が含まれていることが分かっている。そのなかにはシアン化合物やイソチオシアネート類なども含まれている。だが、これらの物質の毒性については調べられておらずまったく不明だ。
 ジャガイモのソラニンは新芽や緑色皮に含まれているが、成長すると少なくなる。植物によって違いはあるが、植物が発芽して生育し花を咲かせ実をつけその実を土に落とすという「ライフサイクル(生活環)の中で濃度が高まる時期がある」と想定されると安倍教授。

◆カビ毒「アフラトキシンのない食物はない」

 ここまでは植物(作物)が本来もっている天然毒だが、作物を加工したり貯蔵中に生成する天然毒もある。主として穀類や豆類のカビ毒であるアフラトキシンは発がん性の強いものだが、さまざまな食物を汚染する能力をもっていて、「アフラトキシンのない食物はない」と言い切る研究者もいるという。
 梅津憲治博士は「ダイオキシンを除くと現存するいかなる化学物質よりも人に対して有毒である」とし、もしこれが合成農薬であれば「どんな微量であろうと、食べ物の中に含まれることは許されず、使用禁止になる」が「天然物であるがゆえに規制を受けていない」とその著書「農薬と食:安全と安心」で述べている。
 カビ毒にはこのほか腎臓障害などを起こすバツリン(リンゴ、濃縮リンゴジュース)や内出血や皮膚疾患を発症させるT−2トキシン(穀類)などもある。
 そして食中毒の原因菌として名高いサルモネラ菌が産生する毒素、もっと恐ろしいのが1gで数百万人を致死させるといわれるボツリヌス菌毒素だ。
 それだけではない。調理したり食べたりその後の消化過程で生成するものまであるのだ。ヘテロサイクリックアミンはアミノ酸を加熱することで生成するもの、つまり肉や魚などのおこげで発がん性がある。発がん性のあるニトロソアミンは胃や口内で生成するが、アミノ酸の一種のアミンと無農薬で有機栽培された野菜などに多く含まれる場合がある亜硝酸の食べ合わせによるものだ。アクリルアミドという遺伝子変異や神経組織損傷を起こすものもある。これはポテトを焼いたりやポテトチップスを揚げることで生成される。

◆カフェインより毒性の弱い農薬

 は生物毒と農薬などの毒性の強さを比較したものだ。この表は半数致死量といって、ある量を一度に摂取した場合に半数が死ぬというLD50で表示されている。身近な食材である食塩(塩化ナトリウム)の場合、体重50kgの人であれば150g(=3000mg×50)の塩を一度に摂取すれば、100人のうち、50人が死んでしまうということだ。
 そしてLD50値が30mg/kg以下のものを「毒物」、30mg/kgを超え300mg/kg以下のものを「劇物」、300mg/kgを超えるものを「普通物」という。
 したがって数字が小さいほど毒性が強いということだ。農薬のうちフェニトロチオンより下が現在も使われている農薬だが、生物毒はもとより、食品のカフェインや辛味成分のカプサイシンより毒性が弱いことが分かる。

生物毒と農薬などの強さの比較

◆植物の7〜8割が未知の世界

 生物毒は何らかの形でほとんどの生物にあるのだから「あるか、ないか」ではなく、「強いか弱いか」が問題なのだと安倍教授は指摘する。そして「人類は古来より生物の代謝機能を巧みに利用し、その恩恵にあずかってきた。しかし、微生物の約90%は未知であり、植物の代謝物数十万種のうち構造決定がされたのは5万種に過ぎない」。つまり7〜8割は未知の世界なのだ。
 一方農薬は世界で約750種の化合物が登録されているが、毒性のみならず発がん性や環境への影響など厳しい条件をクリアしたものであり、これほど安全な化合物はないといえる。

(2008.04.25)