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村田武の『現代の「論争書」で読み解くキーワード』

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「バイオエタノール」

柴田明夫著 『食糧争奪・日本の食が世界から取り残される日』

◆トウモロコシ原料のバイオエタノール  化石燃料を代表する石油の高騰のもとで、そ...

◆トウモロコシ原料のバイオエタノール

 化石燃料を代表する石油の高騰のもとで、それに替わる「バイオエネルギー」、そして「バイオエタノール」がにわかに注目されています。エタノール(エチル・アルコール)には化石燃料からの合成による「合成エタノール」があります。バイオエタノールとは、トウモロコシのようなでん粉質原料やサトウキビのような糖質原料を発酵・蒸留して製造されるものをいいます。植物を原料にしているので、(1)再生可能エネルギーであり、(2)燃焼によってCO2を放出しても、それは植物が成長過程で大気中から吸収したCO2を排出したことになるので「カーボンニュートラル」であること、さらにガソリンに加えると自動車エンジン内の完全燃焼を促し、一酸化炭素の排出を抑えることができることなどから、環境にやさしいとされています。
 ブッシュ政権が05年に成立させた新エネルギー法では、2012年までにエタノールの使用を現在の年間40万ガロン(1ガロンは約3.8リットル)から最低75万ガロンにまで増やすという目標が設定され、これがアメリカにおけるトウモロコシ原料のバイオエタノール製造を一挙に刺激しました。エタノール生産原料に仕向けられるトウモロコシは06年度には5500万トンに達し、総需要量約3億トンの18%強を占めるまでになりました。アメリカ産トウモロコシの輸出量は5000万トン台(うち日本の輸入が1500万トン)に増加してきましたが、エタノール生産向け需要はすでにこの輸出量を上回るまでになったのです。最近のエタノール製造工場建設競争は、ADM社を筆頭にアグリビジネス多国籍企業を巻き込んだものだけに、アメリカでのエタノール製造用トウモロコシ需要は増加の一途とみるべきでしょう。

◆エネルギー原料か食糧か

 シカゴ穀物相場が、1997年のアジア諸国の経済危機いらい長期に続いてきた深刻な低迷を脱して、昨年2006年秋から急騰に転じました。小麦は1ブッシェル5ドル台、トウモロコシは4ドル前後、大豆は10ドルもの高水準になっています(小麦・大豆の1ブッシェルは27.2kg、トウモロコシは25.4kg)。そして、この穀物国際市況の活況に短期的な逆転はないものと予測されているのは、急成長を続ける中国、さらにインドの穀物輸入が今後ハイテンポで増加しそうなことに加えて、長期化しそうな原油高を背景にしたアメリカのエタノール製造向けのトウモロコシ需要増が、穀物需要の世界的な構造変化を生み出しているとみられるからです。
 穀物需給のひっ迫が、食糧需要の増大とともに、自動車燃料としてのエタノール製造需要によるところから、にわかに食糧とエネルギーの間で穀物の争奪が始まったという議論がメディアを賑わせています。「中国を誰が養うのか」で有名なレスター・ブラウン(アメリカ・アースポリシー研究所所長)も登場し、世界の8億にのぼる飢餓人口にとって新たな危機だとして、エタノールブームに警鐘を鳴らしています(『日本経済新聞』07年4月14日)。
 私自身は、世界的な穀物価格の回復なり高騰が、さまざまな要因で飢餓から抜け出せない低開発アフリカ諸国をさらに苦境に追い込み、緊急食糧援助の必要性が高まるだろうことは否定しませんが、アジア途上国では、輸出企業だけでなく稲作農民にも収益性アップのチャンスをもたらすものと期待しています。そして食糧に黄信号が灯る心配をすべきは、何よりもわが国でしょう。
 そこで注目されるのが、タイムリーかつ刺激的なタイトルで今年7月に出版された『食糧争奪・日本の食が世界から取り残される日』(日本経済新聞社)です。丸紅経済研究所所長である柴田昭夫氏の著作です。第1章「マルサスの悪魔がやってくる」での、穀物市場のひっ迫が世界の食料市場の不安定構造を顕在化させていること、そして第2章での中国の「爆食」が世界市場に幾何級数的なインパクトを与えることなどの明快な説明は、なるほど総合商社マンとしての実績をもつ著者ならばこそでしょう。

◆わが国の戦略についての提案はいただけない

 問題は、第5章「立ち遅れるニッポン―争奪戦から取り残されないために」です。柴田氏は、日本農業の今後について、まず国内戦略としては、食品産業との提携や団塊世代の就農優遇策の採用を提案しつつ、とくに耕作放棄などもってのほかで、「農地を徹底的に利用し尽すことのできるものに、耕作を任せるべきである」とします。氏のいうところの「農地を徹底的に利用し尽す」には、農地の利用権を強めて、プロの担い手農家の経営規模拡大とともに、脱サラや団塊世代、あるいは株式会社にまで農地を開放すべきであろうということになります。耕作放棄が広がるのは、農地の所有権が利用権より強いことにあるとする思い込みはいただけません。わが国の「食料・農業・農村問題」の解決のポイントは農地にあるとするのは、日本の農業を活性化させるには農地制度改革が突破口だとする高木勇樹氏(元農水省事務次官、現農林漁業金融公庫総裁)の受売りかもしれません。
 しかし、まともな農業所得を保証せず、農業を継ごうにも継ぎようのない低農産物価格こそが耕作放棄の元凶であること、それは農地の利用権を強化するだけでは逆転できないことは、過疎化と耕作放棄が深刻な農山村の現場をみればただちにわかることです。
 日本農業の対外戦略では、「アジアのなかの日本」を見据えたコメ戦略と「東アジア共同体」形成への糸口としての共通農業政策が提案されています。アジアのコメを飼料用穀物としても見直すべきだとする氏の提案はよしとしましょう。問題は、将来の共同体構築のための日本の役割として氏があげる「東アジア、中国農産物に対する日本市場のアブソーバー(吸収する)機能の提供」です。氏は「世界の食糧市場をめぐってはエネルギー市場との争奪戦が強まる公算が強い」と主張し、第2章では、「爆食」中国は農産物輸入依存を高めるとしていたはずです。すなわち、氏の「食糧争奪」論の論理的帰結からすれば、「日本市場のアブソーバー機能の充実」、したがって中国への輸入依存は食糧安全保障を危うくするということになるのではないでしょうか。
 「東アジア、中国農産物に対する日本市場のアブソーバー(吸収する)機能の提供」で東アジア共通農業政策をというのは、優れた商社マンならばこその提案だとわかるような気もするのですが、これから続くであろう「食糧争奪」時代にはまったく時代錯誤として否定されないことには論理が一貫しません。

【著者】村田武

(2007.12.06)