また、同日発足した美しい森林づくり全国推進会議が進めている「美しい森林づくり推進国民運動」も都市住民・企業など幅広い人びとによる森林づくりへの参画をうたっているが、これも里山という場を中心として展開されるであろう。 このように里山は多様な生き物を育む場、あるいは人びとの協働の場として注目されているだけでなく、里地里山システムを基盤とする農耕社会は持続可能な社会のモデルとさえ見られている節がある。 一方で、里山を含めて「森林が荒廃している」と言われて久しい。確かにかつての“かや場”は消滅し、広葉樹や竹類が繁茂し、里山を彩った多くの生物が絶滅危惧種に指定されている。現実の里山は一体どんな状態にあるのだろうか。里山の再生は可能なのだろうか。 本シリーズでは森林の視点から里山の歴史や現状を紹介し、将来のあり方を考えるとともに、中山間地の問題、さらには現代における森林のあり方についても考えていく。 |
幕末の錦絵 「将軍家茂御上洛図」の うちの大井川の図。 やはり山にはマツしか 描かれていない。 |
まず第1回は、ここに示した写真と絵をじっくりご覧いただきたい。全て江戸時代から明治時代を経て昭和時代前期までの里山の姿を描き、写したものである。いわゆる「はげ山」が全国各地に見られた。はげていなくても森林はきわめて貧弱であった。すなわち、この頃、醜い里山が全国に広がっていたのである。そして里山の荒廃はいまから40〜50年前まで続いていた。
しかし今、全国どこへ行ってもはげ山はない。実は、日本の森林は今300〜400年ぶりの“豊かな”みどりに包まれているのである。里山や森林の問題を考える際、100年前、いやほんの40〜50年前まではこのようなはげ山が日本中に広がっていたことを確認する必要がある。
「昔は豊かな森があった。戦後、高度経済成長の時代に山地や森林が開発されて、森がなくなっていった」と思っているとしたら、里山や森林の問題を考えるための基本認識から誤っていることになる。
このような「里山の真実」を正しく認識することからスタートして、現代の里山や森林の問題、中山間地の問題を考えていくことにする。
現愛知県瀬戸市における100年前の里山の状況。2005年に開催されたみどりの万博会場一体はかつて荒廃したはげ山であった。黒く見える植生はマツである。マツは、土壌の養分が少なく他の植生が育たないところでも育つ。海岸の砂浜にはマツしか生えないことを思い出して欲しい | 岡山県北部地方の里山の状況。はげ山ではないが、樹木はきわめて貧弱であり、山崩れも発生している。江戸時代後期から昭和時代前期まで、全国の里山はおおむねこのような状況であった。 | 1950年ごろの青森県十和田市の状況である。人々が集団で植林をしている。背景の山に樹木はほとんどない。 |
おなじみの安藤広重作東海道五十三次の日坂の図版。樹木はマツしか描かれておらず、下層植生も貧弱である。 白須賀、亀山の図版も同様。平塚、丸子、金谷に描かれている遠景の山々も樹木はまばらである | 幕末の画家平尾魯仙が描いた白神山地周辺の里山の状況。白神山地の周辺でさえ、里山に森はなかった。森林が破壊され草地となったタイの奥地の荒廃地の状況とそっくりである。 |