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「里山の真実」

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第5回 日本人の心を育てた里山

太田猛彦東京農大教授

 里山の機能の第一は、前々回に述べた農業および農民の日々の暮らしを支えた機能であ...

 里山の機能の第一は、前々回に述べた農業および農民の日々の暮らしを支えた機能である。それは里地里山一体の「システム」として機能したものである。その農民の営みの結果として成立した里山生態系は、前回述べた生物多様性豊かな生態系であり、それは農民の営みが続く限り維持され続けることができ、里山の「生物多様性保全機能」あるいは貴重な動植物の保護機能、「鳥獣保護機能」などと呼ばれるのである。自然保護運動に始まった現代の里山ブームはともすれば後者の価値に重点を置きがちであり、本来の価値が稲作農耕民族である日本人の生活基盤を支えることであった点が次第に忘れ去られようとしている。
 しかし、里山の働きはそれだけではない。日本人の精神面、文化面に及ぼした影響を忘れてはならない。
 森林の文化機能は奥山の森が持つ文化機能と里山のそれが持つ文化機能に大別できるようである。奥山の森は「異界の森」、「怖れの森」が持つ文化機能であり、宗教的要素を多く含んでいる。
 一方、里山の森、あるいは里山それ自体は農民の生活基盤の重要な一部であり、農民は里山をそれと意識していないほど身近な存在であった。それはおじいさんが毎日柴刈りに行く場所、子供たちが兎を追う場所である。すなわち、大人は労働の場として自然との共生や人々との協働の精神を学び、子供たちは遊びの場として自然との付き合い方や自然の怖さを学んだのである。そのような里山との日常的交流が日本人の自然観や精神性を形成したことは疑いない。また、春には梅や桜の開花をめで、秋にはもみじを楽しむことにより日本人の文学、絵画、音楽の芸術性を高めていったのも里山の風物に負うところが大きい。
 ところで、農民の営みの結果として成立した里山は、春植物の生育地である一方で、はげ山や荒廃山地、植生の貧弱な山地であったことを思い出してほしい。それは洪水や土砂災害、さらには渇水を激化させた。人々はそれらと闘うため、治山治水を進め、入会や水利権のルールを確立していった。日本人の持つ「協働」の精神はむしろ里山の負の部分の克服の過程で培われたものとみることもできる。
 以上のように里山は、里地里山システムが維持されてはじめて、里山生態系の持つ生物多様性の保全と伝統的な日本人の精神性・文化性の維持・育成を可能にしてきたのである。後者は日本人の心を育てた機能と言えるだろう。

【著者】太田猛彦東京農大教授

(2008.04.22)