シリーズ

「里山の真実」

一覧に戻る

第6回 竹林に覆われ荒廃する里山

太田猛彦東京農大教授

 「里山が荒廃している」と言われて久しい。今回はその現状を紹介する。 まず、里...

shir164s0808111201.jpg

 「里山が荒廃している」と言われて久しい。今回はその現状を紹介する。
 まず、里山の象徴だったコナラやクヌギが大木になり、林内は薄暗い。林床にはその薄暗さを好むアズマネザサ(関東地方)やネザサ(関西地方)がはびこり、人の背丈を越すほどで歩行も困難である。低木のアオキやヒサカキが目立つようになり、シラカシなどシイやカシの類も成長し始めている。道端などの林縁には「パイオニア植物」と呼ばれる光を好む草本や木本のイバラ類、クズなどのつる性植物が密生して「マント群落」を形成し、人の入り込みを阻んでいる。
 アカマツ林の里山でも広葉樹が成長し、マツはかつての勢いを失っている。弱り目に祟り目とはよく言ったもので、いわゆる松くい虫(マツノザイセンチュウ、マツノマダラカミキリによって運搬される)による松枯れが全国に広がり、マツは受難続きである。当然、かつての秋の味覚の王様だったマツタケの収穫は期待できない。
 実は明治の後期から昭和にかけて、かつての入会山(いりあいやま)が市町村有林化したところを中心に里山でもスギやヒノキを植えたところがある。さらに太平洋戦争後、例の奥山の「拡大造林」期には多くの里山でもスギやヒノキが植えられた。その後、木材の輸入が自由化され、安い外材が市場を席巻し、林業の採算が取れなくなると、里山であっても人工林は次第に手入れがなされなくなった。
 一方で、あちこちで竹林がはびこりだし、里山を登り始めた。農家の脇に植えられていたモウソウチクは江戸時代に中国から移入された外来種であるが、食用や竹細工の原料として私たちに馴染み深い。たとえば、タケノコを採るときは竹林内の竹の密度を、傘を差して歩けるほどに管理するのが通例であった。その管理を放棄すると竹林内は過密になり、土壌は貧栄養状態になる。そのため地下茎は竹林の外側に伸張し、その速度は1年間に10m近くになることもあるという。スギの造林地に侵入する竹林をあちこちで見ることができる。近年、九州地方から東北地方南部まで、竹林の繁茂は特に著しい。そのうち日本の里山は竹林で覆われてしまうかもしれない。
 こうして、かつての明るいコナラ、クヌギの二次林、アカマツの二次林はうっそうとした密林に変化し、林内は見通しが利かない。落葉を採集するためではあったが“必死で”掃き清めたかに見え、すがすがしささえも感じられた林床の景観も春植物とともに姿を消した。「マント群落」も間伐遅れの人工林も密生した竹林も人を寄せ付けず、かつての里山の景観は見る影もない。多くの人々が「里山は荒廃している」と感じている。
 この現状を見るに見かねて人のぬくもりの感じられる往時の里山を復活させようと立ち上った人々がいる。絶滅危惧種を救おうと立ち上がった人々もいる。現在、多くのNPOが里山の保全を目的として設立されている。行政も里地里山システムを動かした「協働」の精神に目をつけ、持続可能な自然共生社会を実現するモデルとしてSATOYAMAシステムを世界に売り込もうとしている。
 しかし、里山はどうしてこのように「荒廃した」のだろうか。そして、里山は復活するだろうか。

【著者】太田猛彦東京農大教授

(2008.06.03)