シリーズ

「里山の真実」

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第7回 里山は本当に荒廃しているか

―転機は1960年代―
太田猛彦東京農大教授

人手が入らず鬱蒼とした里山。しかし、見方を変えれば旺盛な成長を示す森林 とも言...

片岡健一さん
人手が入らず鬱蒼とした里山。
しかし、見方を変えれば
旺盛な成長を示す森林 とも言える

 数百年、あるいは千年以上の伝統を持つ日本の里山が大きな転機を迎えたのは、いわゆる肥料革命・燃料革命がもたらされた1960年代だといわれている。すなわち、農業に化学肥料が投入されるようになり、初夏に刈り敷き用の若葉を採ることも晩秋に堆肥用の落ち葉を掃き集めることも必要なくなった。また、燃料が石油や石炭に替わったことにより、薪や粗朶を集めることも炭を焼くことも必要なくなった。つまり、営農のためにも生活のためにも、里山を必要としなくなった。言い換えれば、長く稲作農耕日本人の暮らしを支えてきた「里地・里山システム」が崩壊したといえるのである。
 さらに、追い討ちをかけるように木材貿易の自由化によって安い外国産材が流入し始め、1970年代には林業も衰退し始めた。そのため、生活のために里山や森に入る人々の数は急速に減少した。里山は人々の生活圏から消え去ったのである。
 それは里山の植物、特に木本植物にとっては朗報であった。すなわち、人と隔絶した里山では、植物は生態学の法則に従っていっせいに成長し始めるとともに、日本人の長い里地里山生活の歴史の結末として残された1960年代の植生状態を出発点として、いわゆる二次遷移(生態遷移)をスタートさせたのである。それから50年。いま里山の植物はその成長を謳歌している。コナラやクヌギは成長し、竹林はさらに勢いを増し、人工林の一部も自然林化し始めた。照葉樹も勢いを増しつつある(前回参照)。
 その結果、里山には400年ぶりに豊かな森が復活し(第2回の図参照)、表面侵食は消滅し、山崩れも激減した。洪水緩和機能も向上している。したがって、里山は少しも荒れていないのである(もちろん森林は山崩れを100%止めることはできない。洪水緩和を含め、森林の機能には限界がある)。
 しかるに、昔の里山の記憶を残す人々は現在の里山の生態系や景観になじめないのである。すなわち、日本人好みのマツは広葉樹の成長に負けて衰退し、落葉広葉樹下の可憐な春植物も消滅しつつある。実際、前回述べたように、繁茂したササ類やマント群落、密生した竹林は人を寄せ付けない。かくして里山に森は復活し、森林の機能も回復しているのに、人々は「里山は荒れている」と叫ぶのである。
 以上もまとめると、里山には2つの危機があったと言うことができる。1つは里山の酷使による危機、すなわち生物資源の使いすぎによる危機であり、その結果が「はげ山」であった。もう一つは1960年代以降に始まり現代も続いている危機、すなわち里地里山システムの崩壊による危機である。後者において森林は人々の干渉を受けずのびのびと成長し、山地災害を防止し、水源を涵養し、二酸化炭素を盛んに吸収している。「なんで自分たちは非難されるのだろう」と不思議がっているに違いない。
 治山・砂防・緑化を専門としてきた筆者は、はげ山時代の土砂災害や洪水氾濫が人々の生活に与えた深刻な影響を重視するがゆえに、現在の里山は荒廃していないといっているのである。
 そして、以上のように考えるとき、往時の里山の復活はありうるだろうか。それはきわめて難しいといわざるを得ないだろう。

【著者】太田猛彦東京農大教授

(2008.06.23)