人びとが里山に入らなくなって少なくとも40年近くが経った。この間、日本は太陽と降水に恵まれているので、樹木は成長し、林床植生も繁茂し、里山はその植物量を増してきた。人を寄せつけないうっそうとした森林の成立である。要するに、里山は奥山化し始めたのである。かつての里山の種が減少するのは当然である。
最近山沿いの住宅地にシカやサルなどが出没する話をよく聞く。シカやサルの生息数が増加したことにもよるが、クマも含めて、人びとの居住地と奥山が接するようになったのだから、本来奥山にいた動物が里地に現れるのもまた当然といえる(かつて里山は奥山と里地の緩衝地帯であったのだ)。
里山の動植物は奥山の原生林や水辺の自然生態系とともに、日本の生物多様性を豊かにしている重要な要素のひとつである。とりわけ里山生態系は、里地里山システムに基づく「人と自然とのバランス」が持続的に維持されることによって保全されてきた。
したがって里地里山システムが崩壊すれば、特に希少種は絶滅に瀕する。そこで生物多様性保全の観点から里山の動植物を守れという運動が1980年代ころから始まった。やがて日本人の協働の精神や文化を育んだ里地里山そのものが見直されて、それらの保全の声はいっそう大きくなった。そのためには、これまでの話からわかるように、里地里山システムそのものの復活が理想的なことは言うまでもない。
しかしながら農業や生活が近代化し、ともに地下資源に依存するようになった現在、農用林や採草地、薪炭林を利用する農業を復活させることは不可能に近い。現代の言葉で言えば、自然の水循環のみを利用して潅漑し、地域内でバイオマス循環が完結する有機農法である。生活に必要なエネルギーもバイオマスエネルギーや水力を用いる営みである。今さらそのような生活を農山村の人びとに求めることはできない。
そこで里山生態系を維持し得る擬似的生息場所を確保する必要が出てきた。そのためには、落ち葉を採取し、潅木を搬出し、ときには樹木を伐採しなければならない。しかも繰り返し行う必要がある。その作業量は膨大であり、人件費は巨額になる。とても里山の所有者に負担させることはできない。仮に一部でそれが可能であったとしても、食糧生産の衰退のなかで、国土の4割ともいわれる里山地域の大部分はどうなるのだろうか。
一方でボランティアの助けを借りて里山を保全する取り組みが盛んになってきた。なかには竹林を整備するグループ、里山人工林を整備するグループも活動を始めた。さらに環境教育やエコツーリズムの場として利用するグループも現れた。しかしそれらを含めても、とても里山地域全体をカバーすることはできない。その意味で環境省などが、特に保存したい里地里山を300程度選定して里山の生態系や景観を保全しようとしているのは当然である。
しかしながらこのような施策がほどこされても、里地里山の文化は残すことは難しいだろう(最近、過疎の進む集落では、里帰りの人たちの手も借りて祭りなどの保存に努力している姿をよく見かける)。筆者は里地里山の生態系や景観ばかりでなく、生活文化を含めた少なくとも数十ヘクタールの本当の明治“村”、江戸“村”あるいは昭和前期“村”を復活させることを提案する。どこかに挑戦する県はないだろうか。
筆者は20年ほど前、カナダのハドソン川沿いのアッパーカナダビレッジを訪問したことがある。そこでは職員やボランテイアが住み込んで往時の生活を再現し、多くの小中学生が訪れていたことを思い出す。今なら上述の“村”の営みに本物のエコツーリズムを組み込むことができるだろう。
ところで多くの市民・企業が里山の保全に協力しても、実際には多くの里山が放置されたまま残る。そこはまぎれもなく森林である。そこをどう管理すればよいのか。この問題は、里山の管理の問題としてとらえるのではなく、私たちの身近なところに立地する森林の管理と利用の問題としてとらえなければならない。それを検討するためには、「現代の人々と森林との関係」を整理しなければならない。
参考:行政による具体的な里地里山保全の施策 * 里地里山保全再生モデル事業(平成16年度〜)を通じて、行政、専門家、住民、NPOなどの多様な主体が協働して里地里山の保全・利用を図るための実践的手法や体制、里地里山での環境学習のあり方について検討し、その結果を全国に発信・普及します。(環境省、農林水産省、国土交通省)* 生物多様性、景観、文化、資源利用、国土保全、地域活動などのさまざまな観点から将来に引き継ぎたい重要里地里山を300か所程度を目標として選定するとともに、その地域における具体的な取組を広く国民に周知します。(環境省、文部科学省、農林水産省、国土交通省) |
(「第三次生物多様性国家戦略2007.11.27.」より抜粋) |