第6回で明治後期以降、里山の一部が人工林化されたと書いたが、昭和期に入ると奥山の森林の伐採が本格化し、特に戦後は資源小国日本の唯一の自前の資源ともいえる天然林が大規模に伐採されて、跡地にはスギ、ヒノキが植林された。いわゆる「拡大造林」である。この頃、奥山以外でも人工林の造成が盛んに奨励された。
しかしその後、木材に替わる材料物質(鉄、石油製品、コンクリートなど)が安価に得られるようになるとともに安い外国産材の輸入が増加して次第に国産材の利用が減少した。いま人工林は伐期齢(木材が収穫できる林齢)を迎えているにもかかわらず伐採されず、林業は不振を極めている。その結果、日本の木材自給率は20%以下にまで落ち込んでしまった(近年、ロシア材などの需給が逼迫して、自給率は多少増加している)。さらに、その影響で森林の手入れに回す経費が捻出できず、よく知られているように、間伐遅れの人工林が増加している。
こうして、里山から奥山にかけて森林面積の40%を占めるに至った人工林も、第7回、第8回で見てきた里山の自然林も今盛んに成長し、日本の森林はその蓄積(体積)を増加させている(図)。
一方で日本の状況とは対照的に、世界の森林は途上国を中心に依然として減少し続けており、有史以前に比べてその面積は半分に、蓄積は3分の1になっているという。森林の減少はそれが二酸化炭素の排出源となって地球温暖化を促進するとともに、第9回の森林の原理で見てきたように地域の環境を悪化させる。そのような中で木材の使用量の8割を外国に頼る構図は食料輸入の場合以上に問題である。
つまり持続可能な循環型社会の骨格をなす「低炭素社会」では、第10回の「新しい森林の原理」で説明したように、森林面積を減らさずに木材を利用することが不可欠である。その場合、ウッドマイル(フードマイルの林業版)が小さい、すなわち、輸送エネルギーの少ない国産材を使うことが合理的であり、人工林を中心に森林を伐採して利用することが必要である。
実は、木を伐ることが必要な理由は他にもある。第7回でもふれたように、過去50年ほどの森林の成長は山地災害を大幅に減少させた。しかし、森林がはびこりすぎると地表に光が入らなくなってヒノキの森などで表面侵食が起こる。これによる土砂災害はかつての森林荒廃時代の土砂災害とは比較にならないほど小さいが、渓流への土砂流出や濁水の発生を防ぐためには間伐の実施など木を伐る必要がある。
また、森林の成長により洪水防止や水質浄化などいわゆる森林の「水源涵養機能」が高まったが、成長した森林は大量の水を使うので、川の水が減る傾向が出てきた。したがって、水資源確保のためには木を伐る必要があり、しかも林地を荒らさない限り雨水は全て土壌内に浸透させることができ、木を伐っても水源涵養機能は低下しないことが分かってきた。つまり、森林が繁茂する時代には、木を伐って森が使う水を私たちに分けてもらう新しい水源涵養の考え方が必要なのである(これは木材生産と水源涵養が両立することを意味している)。この面からも森林管理のために木を伐る必要があることを理解すべきである。木材生産の場合も、かつての大面積皆伐のような乱伐ではなく、小面積の慎重な皆伐であれば特に問題は起こらない。
このように、これからの森林管理は適切に木を伐ることを前提に質的にも豊かな森に造り替えていく必要がある。もちろん、バイオマス資源として伐った木をすべて利用しながら管理していくことが重要である。
里山においてこれからどのような森を創るにしても、森づくりは木を伐ることから始まると思われる。