◇日本の農業は何故こんな姿になってしまったのか
「新基本法」は、ガットウルグアイ・ラウンド協定締結(1993年)後の“国際化時代”に対応するわが国の農政展開の新しい枠組み構築を目指して制定された(1999年)。しかし、その後の農政展開は、「新基本法」が明快に提示した農業の多面的機能の発揮等“農政の基本理念”とは程遠い、“日本農業の国際競争力の強化”を旗印に、しゃにむに農業の構造改革に突っ走ってきた、と言っても過言ではない。そこには、“財界農政論”が、大きな影を落としていると筆者は見ている。
その結果、日本農業はどうなったのか。もとより国際競争力の強化が進んだわけでも何でもない。生じたのは、農業生産額と農業所得の減退であり、担い手の量的、質的脆弱化であり、農業後継者確保の困難化であり、全国各地での目に余る耕作放棄地の出現である。
このような深刻な事態をもたらした決定的要因は、農業所得形成条件の著しい悪化の進行であった、と言わねばならない。
日本の農政の対極をなすのがEUである。EU諸国は、WTO協定によって実施できなくなった“黄の政策”に替る、堂々と実施できる“緑の政策”の多様な開発に努め、多面的な直接支払い制度を整備して、農業者の農業経営を支える努力を行って来たのである。
日本の国は、農業・農政の国際化対応の方向を見誤ったのではないか、と思われて仕方がない。その背景には、小泉内閣時代に形成された小泉・竹中路線(市場原理至上主義、構造改革主義)があり、経済財政諮問会議等への財界の影響力が高まる中で、農政に関しても、農業の構造改革を強く求める”財界農政論”の攻勢が強まって行った。
◇大転換した農協大会決議の中身
農協の主人公である農業者の立場からも、安全・安心な国産農産物の供給と食料自給率の向上を願う大多数の国民・消費者の立場からも、農協陣営に寄せられる熱い思いは、日本農業の再生と活性化に向けて、本腰を入れて取り組んでほしい、ということだと考える。それは、農協が農業改革の邪魔立てをしている、という悪意に満ちた誹謗中傷の対極にある、農協への期待感である。
その役割発揮をどう考えるか。その点で注目したいのは、先般の農協全国大会の農業・農政に関する決議内容の大転換である。当初の「組織協議案」では、「新たな「生産・販売戦略による農業所得の増大」という表題で〈新たな「食料・農業・農村計画」の策定にあわせて、JAグループの生産・販売戦略の構築と政策の確立を通じて、農業所得の増大に取り組んでいきます〉と書かれており、“これは何だ”と疑問を感じた。一つは、“「計画」の策定にあわせて”という文言であり、「計画」の中身への要求はしないのか、と訝った次第である。もう一つは、「政策の確立を通じて」という文言は入っているものの、表題が端的に示しているように、“JAグループの……「戦略」で農業所得を増大します”と読めてしまう。
ところが、9月の全中理事会で決定された「大会最終議案」では、「農業生産額と農業所得の増大」という表題の下に、〈JAグループは、農業生産額と農業所得を増大し、農業・農村に元気を取り戻します。そのため、JAは「地域農業戦略」を見直し、策定するとともに、その実践のために……生産から流通・販売を通じた戦略を構築します〉とされ、〈また、国民の合意形成をはかり、……農業の多面的機能を発揮する支援対策や新たな直接支払い制度の創設を働きかけます〉と明言している。農協グループが政策要求をかかげて本格的な農政活動に取り組む姿勢を明確にした意義は大きい、と考えるべきである。
自民党農政にも変化の兆しが見え始めていたとは言え、遅きに失したことが、農業者の自民党離れを誘発したことは間違いない。民主党農政の全貌はまだ見えて来ないが、これまでの政府・与党と農協グループとの親密さというか、癒着というか、そういう状況の下で、”予算を伴うような政策要求は全くできない”(ある県中会長の言)という農協グループの自縛的状況からの脱却を可能にする政治状況が生まれて来ていることは間違いないのではないか。
◇大会決議をどう具体化し、どう実践するのか
大転換だったと言ってよい今回の農業・農政に関する「大会決議」のポイントは、次の3点だと理解すべきであろう。一つは、各農協による「地域農業戦略」の策定・実践であり、二つは、農業の再生・活性化を可能にし、食料自給率向上に繋がる“農政の確立”に向けての本格的農政活動の展開であり、三つは、“農政の確立”のための絶対的条件である国民合意形成に向けての取り組みである。これらの対応方向について所見を述べておきたい。
第1は、各農協の「地域農業戦略」の策定・実践にどう取り組むべきか、である。率直に言って“全中は本気ですか”と問いたい。何故なら、これまで、各農協が「地域農業振興計画」を策定し、それを踏まえて地域農業への本格的対応を進めることを、全国大会で何度決議して来たことか。しかしこれまで、実践の糧となり、羅針盤になりうる「計画」づくりの取り組みに成功した農協が全国に幾つあるというのか。全中が、その前提となる「計画」策定の手法の開発や「計画」策定担当者の育成に乗り出したことがあるのか。筆者は寡聞して知らない。学界における計画手法の開発は必ずしも十分ではないが、実践家と研究者とが協力し合えれば、必ずしも難しいことではない。しかし今のところ簡易で有効な手法は開発・定型化されていないことに留意すべきである。
第2は、政策要求活動のあり方である。問われるのは、要求実現力であるが、その基本は、国民・消費者の支持・支援力であり、その意味で第3の、日本農業と農政のあり方に関する国民合意形成に向けての地道な取り組みが、きわめて重要であることを強調しておきたい。
政策要求活動の中で外してはならないポイントは、“財界農政論”殊に、日本農業の”構造改革大幅可能論”とそれを踏まえた“国際競争力強化可能論”に基づく農政路線の全面修正である。日本農業の基礎条件の質・量を的確に踏まえた(記念出版B参照※)、かつ農業者の営農意欲を助長できる政策要求こそ大切にすべきである。
※記念出版B=藤谷編著『日本農業と農政の新しい展開方向』(昭和堂)
京都大学名誉教授