シリーズ

「農協改革の課題と方向―将来展望を切り拓くために」

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第12回・最終回 農協運動の再生・発展を願って

・〈農協〉から〈JA〉への愛称変更は何だったのか
・農協運動の再生・発展は可能か
・決め手となる農業の復権と再生

 いよいよ最終回を迎えた。書きたいことが幾つも残ったが、別の機会を期したい。ただし、一つだけ永年心に引っ掛って来たことを書き留めておきたい。それは、本連載を通して、筆者ができるだけ〈JA〉という表現を避け〈農協〉という表現にこだわってきたことと係る。

◆〈農協〉から〈JA〉への愛称変更は何だったのか

 いよいよ最終回を迎えた。書きたいことが幾つも残ったが、別の機会を期したい。ただし、一つだけ永年心に引っ掛って来たことを書き留めておきたい。それは、本連載を通して、筆者ができるだけ〈JA〉という表現を避け〈農協〉という表現にこだわってきたことと係る。
 〈農協〉から〈JA〉へのニックネームの変更は、農協グループが、1990年代初めに取り組んだ、当時流行のCI(コーポレート・アイデンティティ)戦略の重要な一環として実施されたのだが、筆者は当初から違和感を抱いて来た。殊に、生協の方々から質問攻めに合った苦い経験がある。“何故「C」(協同組合)抜きのニックネームになったのか”、“農協は協同組合をやめます、と宣言したのか”、というわけである。筆者は、アルファベット表示なら、〈JAC〉以外にはあり得ないと思っていたし、二文字なら〈JA〉ではなく〈AC〉だろうと考えていた。ところが、〈AC〉は“交流電流、への連想が強い”という理由で〈JA〉に決まったそうである。大手広告会社の強力な助言・指導の下で、「C」を入れ込もうという思いは意外に弱かったのではないか、と邪推せざるを得ない。
 農協のCI戦略は、農協の独自性の明確化への取り組みに他ならない。当時、「農協改革八カ条」が提起されるなど、農協の独自性に関する立論への取り組みが全くなされなかったわけではないが、CI戦略のバックボーンが明確化されることなく、新しいニックネームやロゴが一人歩きして今日に至っている、と思えてならない。
 “名は体を表す”という言葉もある。筆者は、農協が協同組合らしさを失って来たのは、〈農協〉が〈JA〉に変ったことと無関係だとは思えないのである。

◆農協運動の再生・発展は可能か

 本連載のまとめに代えて、改めて農協運動再生・発展の可能性と条件を考えてみたい。
 第一に、筆者は、農協グループが、協同組合としての本道を歩もうとする姿勢と意欲を保持する限り、農協運動の将来展望は明るい、と考えている。何故なら、経済至上主義、市場原理重視主義の風潮に対する国民大衆の懐疑と反発は、人間性を尊重し、人と人との協同や相互扶助の大切さを見直そうとする力強い社会潮流を形成しつつある、と見てよいのではないか。協同組合運動はこの新しい潮流を形成し、棹さす好機を迎えつつある、と考えることはできないか。農協運動もその重要な一翼を担ってほしいと切望する一人である。
 第二に大切なのは、それを可能にする農協グループの主体的条件づくりへの一層の取り組みである。本連載の中心主題はこの点にあった、とご理解いただきたい。わが国の農協運動は、最高度に発展した経済社会の中で展開されてゆくのであり、農協の存立意義と存立条件の確保が厳しく問われているのである。筆者が無遠慮に、赤裸裸に提起したかったのはこの点であり、特に後者の、存立条件の基本をなす高度なトップマネジメント機能の確保の重要性であり、それを可能にする常勤役員体制の本格的整備である。これこそが農協運動再生・発展の起爆剤だと言っても過言ではない。

◆決め手となる農業の復権と再生

 第三は、農協の存立意義を明確に確保するための条件づくりの重要性である。本連載でも、もはや農協を“農業者の協同組合”と狭くとらえる必要はない、地域協同組合としての幅広い可能性を追求すべきだ、という筆者の見解を積極的に披瀝したつもりである。
 とは言え、農協の存立意義は、その本来的存立基盤との関係でこそ、極めて端的に明確化されうるし、明確化が容易である。地域農業=日本農業の復権・再生なしには、農協運動の再生・発展は容易でないことを、農協役職員は肝に銘じてほしい。
 しかも、農業の復権・再生の可能性は、決して小さくはないのである。何故なら、国民・消費者の食料問題や環境問題への関心と認識は、まだまだ底の浅い面はあるのだが、農村と都市との多様な交流活動や産直運動等の積み重ねによって、これらの問題への市民と農業者の共通認識を深め、さらに農業の果たしている多面的役割への理解・認識へと誘うことができる可能性は大きくなって来ているからである。
 “国際競争力の強化ができないのなら、日本農業は要らない”と言わぬばかりの、財界を主軸とする農政論の影響力は依然として大きい。それに対峙し、それを克服できる、右のような立論を基本とする国民世論の高まりなしには、農業の復権・再生はあり得ない。筆者は、農業サイドの、この点を見据えた農政活動によって、農業の復権・再生の地平を切り開くことはできる、と確信している。そのことなしには、農協の組織基盤・事業基盤を維持し、存在意義を主張することは、容易ではないのである。
結びに代えて
 筆者は、率直に言って、現状を踏まえる限り、農協運動の将来を悲観せざるを得ない。理由は二つ。一つは、様々な面で合理化・効率化への取り組みがなされて来ているが、組合員の視点が曖昧になって来ていることであり、協同組合本来のあり方からの乖離が進んで来ているように見受けられることである。現状における事業的、経営的行き詰まり打開の途を、組織運動体としては成立しがたい一県一農協に求めるなど、筆者の理解の遠く及ぶところではない。
 もう一つは、農協運動の改革・前進に不可欠な戦略的課題への取り組みを、いささかないがしろにしている、と思われて仕方がないのである。“トップマネジメント機能の確立”しかり、“国民合意形成を基本とする農政確立に向けての取り組み”しかり、である。
 筆者は今、島内義行氏(家の光協会OB)が、渾身の力を込めてまとめられ、筆者も若干のお手伝いをさせていただいた『星かげ凍るとも―農協運動あすへの証言―』(創森社、2005年刊)を手に取っている。戦後の農協運動を切り開いてきた戦士達の“闘い”の記録である。書名は、戦士のお一人である若月俊一氏(当時の佐久病院長)作詞の病院歌の一句である。戦後の農協運動を築き上げて来た戦士達は、協同組合の本筋にあくまでも依拠し、それぞれの分野で全力投球で改革を実現されて来た。そのことを、今の農協役職員に訴えたい。そして、先の一句に続く「明日の希望はわが胸に」を信じたい。
 拙い連載にお目通しいただいた読者諸兄姉と、ご迷惑ばかりお掛けした編集者に心より感謝し、筆を置くこととする。

【著者】藤谷築次
           京都大学名誉教授

(2009.12.24)