◆WHY?は重要な食の視点
あさの・じゅんじ 1940年生まれ。1958年浦和高校、1962年横浜国立大学経済学部卒業、同年(株)東洋経済新報社入社。編集局で主として産業、企業を担当。「会社四季報」「週刊東洋経済」各編集長を歴任した後、1989年取締役、常務取締役を経て、1995年社長、2001年会長に就任。2004年から経済倶楽部理事長。この間、2002年4月から2年間、日本雑誌協会理事長。著書に「食は医力」(教育評論社)。 |
食への関心が深まっています。食をめぐる不祥事の続出、経済危機による生活不安、健康志向の高まり、高齢化の進行、低い食糧自給率と国際的な食糧争奪戦。そうしたさまざまな背景があります。
食によって病気を防ぐ。あるいは健康を取り戻す。そのための知恵が昔からたくさん蓄積されてきているのに、近年の日本では安くて簡便な食物ばかりが喜ばれ、食はないがしろにされてきた感があります。
病気になったら医者に行けばいい、薬を飲めばいい、という考えがまかり通っているようです。しかし、病気とは体や心の不調である以上、体や心を作っている大本の食物が多くの病気を引き起こし、あるいは逆に自然治癒力を強めることは否定のしようがないでしょう。
というわけで、どこで(WHERE)取れた、どんな(WHAT)食物を、どのように(HOW)調理して、いつ(WHEN)、誰が誰と(WHO)、食べるかが大事な意味をもってきます。私はそれを食の5W1H(ニュースに欠かせない要件として中学の社会科で出てきた・・・)と呼んでいるのですが、もうひとつWHY(なぜ)こそ、実はいちばん重要な視点ではないかとひそかに思っています。
なぜそれを食べるのか、なぜ今、食べるのか、なぜその組み合わせなのか。そして、なぜおいしいのか。食には「なぜ」が不可欠なのに、「なぜ」を考えもせず、ひたすら本能のままに食べる。受験勉強で「なぜ」と考えるひまもなく、暗記ばかり迫られたおかげかもしれません。しかし何事においても「なぜ」は常に最も重要です。
本題へ戻りましょう。食における「なぜ」は、食の本質を考え、常に疑問をもって農業生産から食の流通、売買、調理、食事へと進んでいくことにつながっていると思います。
昔の人は「三里四方の食によれば病(やまい)知らず」と言っていたそうです。この格言は何を物語っているのでしょうか。三里といえば12キロ四方で、端から端まで歩いても3時間ほどの広さしかありませんが、昔はその範囲で取れた地元の食材で生活するのが健康に良い、と考えられていたのでしょう。自動車もコールドチェーンもない時代に新鮮な魚介類や野菜が手に入るのはその範囲だったかもしれません。しかし同時に、季節はずれの食、異国の食は敬遠しようとする知恵もそこにはあったはずです。
◆地産地消は地域の文化をまもること
同じように「身土(しんど)不二(ふじ)」という言葉もあります。体と土地は密接にかかわっているということで、やはり地元の食にこだわることが健康の秘訣だというのです。もちろん今どき12キロというわけにもいきませんから、わが家は原則的に「日本の」食材に限ることにしていますけれども。
実際、中国野菜のみならず、赤道近くの果物、夏冬逆の南半球からの野菜、チリ産のレモン、米国産の大豆、東南アジアの養殖魚介類。みんな敬遠します。納豆や豆腐も国産大豆かどうか確認を怠りません。
それというのも、外国産の食材はそもそも生産者の顔も見えず安全の見極めが難しい。船倉での燻蒸(くんじょう)も心配です。さらに長距離輸送による環境負荷(フードマイレージと呼ばれている)が大きい。といったわけで、わが家は食に関しては国産主義者なのです。ワインもたまにフランスやチリ産を飲むほかは日常的には北海道や長野産です。そしてビール、日本酒、焼酎は国産を楽しんでいます(当たり前ですね)。
「三里四方の食」は言ってみれば昨今、話題の「地産地消」です。地元の農産物や加工食品を地元で消費するという行為は、地域文化を守ることでもあります。地元の食品を家族や給食でいただくことは、健康にも環境にもいいし、地元愛にもつながるでしょう。農業や食品産業としての地域が元気になる何よりの方策となるはずです。
ヨーロッパで感心するのは、グローバル経済などと言われながら、食に関してはどこでも地元の産物を大事にしていることです。大都会でも地方の町でもマルクトとかマルシェなどと呼ばれる市場(いちば)があって、量り売りの野菜や果物が山と積まれています。
そして地元の野菜や畜産物をうまく使った伝統の味を家々で大事にしている。今からでも日本も大いに見習いたいものです。ついでにいうと、ヨーロッパの町々は地元のサッカークラブを熱狂的に応援していて、それが地元愛につながっていると感じさせられます(これも脇道ですが)。
◆和食を軽んじて無国籍化した日本の食
それに比べ、日本の食は多国籍化の極みです。時には地球の裏側からでも食材を買い集め、さまざまな調理法が取り込まれ、ありとあらゆるレトルト食品が店頭に溢れています。その実態は無国籍化と言ったほうが正しいかもしれません。
しかし、日本固有の食材と食がおろそかにされるのは寂しいことです。お正月にお雑煮どころかお餅さえ食べない若い世代が増えているのはなぜなのか。こんなに簡便でおいしい主食はないのに、もっと若者向けのイベントPRをしてはどうかと思うのですが。
和食は世界に冠たる健康食であるのに、足元で軽んじられています。年々増え続ける世界の日本食愛好者からみたら理解に苦しむ現象でしょう。日本の医療費が増え続けて健康保険制度が危機に瀕しているのも、食の改善、特に和食回帰で解決できる、というのが私の持論です。
そこで、わが家における「食は医力」をご紹介しようと思います。まず食卓の風景はこんな具合です。
《朝》オートミール(燕麦)のおかゆ、海草と野菜たっぷりの味噌汁、納豆、漬物、ヨーグルト。
《昼》外食だと蕎麦またはご飯の定食風。
《夜》野菜・海草料理、枝豆、豆腐、魚介類(アジ、サンマ、イワシなど)、アルコール少々(のつもり)、ご飯か蕎麦。
わが家の食卓には肉は現れません。チーズは食べますが、肉、ベーコン、ハムは食べない緩やかな菜食主義なのです。35年くらい前に、子どもをしょっちゅう医者に連れて行っているうちに、医薬品より食事で体質を良くするのが先決ではないかと思ったのが始まりです。家族そろって玄米、胚芽米にしているうちに、肉をあまり食べたいと思わなくなったのでした。
そして素材を昆布、鰹節か煮干、椎茸、醤油、酒、甘塩を用いて上品に(たぶん)調理するのがわが家の調理人たる奥方の仕事です。一方の私は「おいしいねぇ」を連発しながらいただくばかりなのですが。もちろん、ほとんどの料理を素材から調理していくのが大変な仕事であることは、そばにいればよくわかります。
しかし、次の世代に小さいときから母親の味をしっかり体験させることは、食文化の継承という意味でも極めて重要です。専業主婦でも大変なのに、農業の担い手でありつつ厨房で調理に手間ひまかけることは負担として大変なことであっても、ここは手を抜くわけにはいかないのではないか。勝手ながらそう感じざるをえないのですが、どうでしょうか。
◆健康を保つための食の10か条
それでは次に私の考える「健康を保つための食の10ヵ条」をご紹介しましょう。
(1)食物繊維を十分に取る。便秘を防ぎ、排毒作用があります。昔から「こんにゃくは胃腸の掃除人」と言ったくらいです。戦後、大腸がんや乳がんが急増したのは肉食過多、食物繊維不足と深くかかわっています。
(2)微少ミネラルを大事にする。カルシウム、鉄分、亜鉛、セレン、銅、マグネシウムなど多様な微少ミネラルは健康に極めて貴重です。これらは多く野菜や海産物に含まれていますが、原因不明の体調不良の多くはこの不足によるところが大きいと考えられています。
(3)腹八分目を守る。
(4)油に気をつける。魚の油(健康に良いDHAが多い)は結構ですが、牛肉や豚肉の脂、揚げ物、マーガリンの取りすぎは危険です。
(5)糖分は控えめに。
(6)バラエティよく食べる。
(7)和食の良さを見直す。低脂肪、低カロリー、食物繊維が多い、発酵食品が多い、など良いことづくめです。
(8)免疫力を強める食生活に。
(9)よく噛む。
(10)楽しく食べる。
これらを心掛ければ、医者知らずになれそうな気がしませんか。病気から回復するための食事療法(食餌療法ともいう)はもちろん大切です。医者は病人に食べてはいけないものを指示はしても、これをぜひ食べなさいという指導はあまりしません。もったいないことです。
◆量だけではなく質を厳しく問わねば
それはともかく、病気になって医者へ行く以前に、病気にならないための食生活がまず肝心です(病気の前段階のうちに治してしまおうという「未病」が注目されています)。
このように国産の農産物、加工食品を手掛かりに健康を守ろうとするためには(わが家もそうですが)、安全でおいしくかつほどほどの価格で農作物、畜産品を供給する農業、牧畜業が国内に欠かせません(漁業も)。
食糧自給率が世界の先進国の中でもずば抜けて低いことはもちろん大問題ですが、食糧自給率はほとんどが量的な視点で語られています。しかし、実は食品の質も厳しく問われなければならないはずです。飽食の時代の国民の健康は、量よりもむしろ質、そして食の5W1Hによって決まっていくのではないでしょうか。
農の生産者、流通者は、同時に消費者でもあります。生産者、流通者、消費者互いに共通の視点に立って、農と食と健康を融合していければ、という思いが、食の崩壊を目の当たりにして今日も強まってくるのです。
経済倶楽部理事長