◆かみ合わない「粗食」の議論
最近、気のせいか「粗食」をやり玉にあげた本が目につきます。『50歳を過ぎたら粗食はやめなさい!』というのもありました。
私が働いていた出版社から出た『粗食のすすめ』という本がベストセラーになって以来、「粗食」をめぐる議論が盛んになったのは結構ですが、議論がかみ合っていないような気がしています。
当時、「粗食して長生きするくらいなら、旨いものを食べて適当に死んだほうがいい」と何人かの友人から嫌味(?)を言われて、それは「粗食」の誤解だよ、と感じたものでした。
『新明解国語辞典』を見ると、「粗末な食事(をすること)」とあり「美食」が反意語となっています。
では美食とは?と いうと「庶民が毎日食べるわけにはいかない、うまい食べ物」だとか。これなら誰だって美食がいいに決まっています。そこで今日は粗食と美食について考えてみましょう。
◆外食はおいしいけれど「粗末な食事」
結論からいうと粗食には二種類あります。まず「悪い粗食」は手抜きした「粗末」な食事、栄養的にバランスの悪い食事で、インスタント食品や菓子のようなもの、清涼飲料で済ませている食事がこれに当たります。
外食も、栄養のバランスを考えて提供する店はまれですから、本能のままにメニューから選んでいれば、おいしい「粗末な食事」になってしまうでしょう。
炭水化物ばかりで良質の蛋白質、ビタミン、ミネラルが非常に少ない低栄養の食事では、頭は回転せず、体力もつきません。
冒頭の本の副題には「低栄養が老化を早める」とありましたが、まさか高蛋白の美食がいいというわけでもないでしょう。
そこで「低栄養」を栄養のバランスが悪いことだとすれば、「悪い粗食」の人だけでなく、美食家にも低栄養の危険は大きいものがあります。
◆栄養価も高い旬の素材で「良い粗食」を
そこで私のお勧めは愛情のこもった「良い粗食」です。手に入りやすい普通の素材を使ったバランスの良い食事。旬の素材を使えば安くて、おいしくて、栄養価も高い。一石三鳥です。
ただし「良い粗食」は良質の素材を得るためにおカネがかかることもあります。手をかけた安全で味わい深い野菜や各種の調味料が促成、速成のものより多少高くなるのは、やむをえないことです。
ところで美食の条件というと、(1)珍しい高価な素材、(2)熟達した料理人による上品な調理、(3)高級な食器と洗練された食事の場、でしょうか。自宅でも?だけで美食を楽しむことはできますし、昨今は持ち帰りやネット販売で?を手に入れることも可能です。
美食ならキャビア、トリュフ、フォアグラ(脂たっぷりの鴨のレバー)、世界の三大珍味でしょう(でもフォアグラは我慢したほうがいいと思いますよ)。
日本では霜降りのサーロインステーキ、大トロの刺身、松茸料理、バフンウニ、タラバガニ、天然の鯛など山海の珍味が並んだ会食でしょうか。しかしそれも一生に一回でも食べられるかどうか、庶民には非現実的な話かもしれません。
◆良質な蛋白質を十分に補給する
粗食が批判されるのは「栄養不足になる」という理由ですが、要するに肉や魚を十分食べないので蛋白質が不足するというのです。
しかし肉、魚、卵、チーズ、ヨーグルトを適量食べることは粗食とはなんら矛盾しません。
私は肉を食べない緩やかな菜食ですが、粗食と思ったことは一度もありません。蛋白質も豆腐、納豆、味噌、枝豆、きな粉などを常食して十分摂っていますし、魚介類や乳製品からも補給しています。
「良い粗食」なら良質の蛋白質は十分に補給できるのです。「悪い粗食」の粗末な食事こそが、食の乱れからいってよほど大問題でしょう。
最後に一言。肉類は脂身が少ないほうが体に良いので、霜降りのおいしい美食は控え目にされることをお勧めします。
経済倶楽部理事長