◆丁寧につくればコストはかかる
「安くて良い食品を提供するのが生産者や流通業者の務めだ」と学者や評論家は言い、「そうだ」とうなずく消費者も少なくないでしょう。
でも世の中、そんなにうまくは行きません。売り場が「安くて良い品」だらけになるはずもなく、「安くてそこそこの品」か「安くはないが良い品」が多いのが当然の姿です。
350グラムの豆腐一丁を、国産大豆100グラムと海水由来のにがりを使って丁寧に作るとすれば150円から200円になってしまうのが当然なのに、その半値の品が店頭を占拠しています。
原料を極安の輸入大豆にし、それも100グラムのところを80グラムにし、70グラムにし、にがりも少しでも安いものを使って原価を下げていかなければこの値段は実現しないはずです。
卵も大半が一個25円前後ですが、これでは養鶏業者も飼料代がやっとでしょう。倍近いけれども平飼いのものや有精卵は味がまるで違う感じです。
わが家は世間の半分の消費量なので、単価が倍でも出費総額は世間並みでしょう。高いだけ大事にいただいています。
◆安さだけの追求は食文化を壊す
味噌も醤油も時間をかけて熟成させたものは高くならざるをえません。考えてみれば清酒、ビール、焼酎、ワインでも、原料の違いと熟成度によって品質や値段が極端に違ってくるのは、誰でもわかることです。
もちろん安い酒を楽しむのもよし、高い酒をじっくり味わうもよし、好みはさまざまでいいのですが、安さだけが売り物のお酒や発酵食品しか売れないのでは、食の文化は崩壊しかねないでしょう。
味噌、醤油、酢、豆腐、納豆をはじめ多様な調味料や食材の伝統を守る作り手が生き抜いていくことは、日本の食文化にとってとても大事なことです。
消費者の何人に一人かでも、それを支えようという気持ちを持ち続けることが求められているのだと思います。
10回に1回でも、少し高めの良い食材を使ってみる。それによって味の微妙な違いが家族の中で話題になることも、だんらんの一助にもなるし、食を考える良い機会になるのではないでしょうか。
外食では、調味料や料理そのものを余したりするムダをよく見かけます。余すくらいならその分だけ良質のものを少なめにしたらと思ってしまいますが、家庭でもそのようなことはないかどうか。
わが家では高めの調味料を少なめに使い(当然、薄味になる)素材の味を活かすような料理を作っています(「作る」の主語は女房です)。
◆産地を見極め旬の食材を食べる
ところで主婦が野菜や果物を選ぶ基準は価格に鮮度だと言いますが、むしろ「見た目」と言ったほうがいいのでしょう。しかし本当においしくて健康にいい野菜や果物や魚介かどうかが、結果的に軽視されているのではないかという感じがしてなりません。
そのためにはそれらの産地を見極め(基本的には国産が望ましい)、旬を意識することが大事です。旬のものは安くて栄養価も高いのですから、食のスタイルをちょっと変えてみることで一石二鳥になるはずです。
何よりも消費者は品物を選ぶ権利を持っているのに、その権利を間違って行使しているかもしれない。賢明な選択をすることで、優れた食材が育てられ、結果として消費者にプラスとして返ってくるはずなのに、見た目と価格にばかりこだわることがないかどうか。
消費者がこのまま安い食材、安い弁当や惣菜ばかりを求め続ければ、安い輸入品のウェイトが一層高まって、安全でおいしい農水産物や加工品は市場からどんどん姿を消していきかねません。
ということで、「なにがなんでも安いものを一辺倒」の消費者から抜け出して、安全でおいしい食も同時に追求すべきではないか、それが私の言いたいことです。
経済倶楽部理事長