地産地消の4本柱は
「直売、加工、食材供給、食育教育」
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10月17、18日に行われたJA「食」と「農」のまつりから。
◆学校給食の7割以上は岩手県産品
JAシンセラは2005年3月、当時は生活部の直轄だった直売部と葬祭部を分離して発足したJAいわて中央の子会社である。シンセラとはラテン語で「誠実な、正直な」などを意味するsinceraに由来している。
矢巾町の学校給食共同調理場(給食センター)との取引はJAの推進する地産地消、食農教育の一例だ。
町では04年、町内の3小学校(現在は1増えて4)と2中学校の給食を自校式からセンター式へと変えたが、その際、地元の食材を優先的に使いたいという行政とJAの思いが一致し、やるならすべてJAが引き受けようと、全量取り扱いが決まった。
生産者13人による食材納入組合を立ち上げ、前年度に各校が使った野菜の一覧表などをもとにした作付け計画や出荷時期の調整を行ったほか、地元の加工業者や漁協とも連携して、穀物、野菜、加工品から調味料にいたるまですべてJAが出荷することとなった。
農畜産物の内訳では、当初1割強しかなかった町内産品を5年で5割以上に、県産品も5割ほどだったものを7割に増やすなど、着実に地産地消が進んでいる。
JAシンセラの年間取扱高8億2000万円ほど(2008年実績)のうち、1億円が学校給食と経営的な貢献度も大きい。また学校側にとっても、経理や取引にかかる人件費や作業量が軽減されるため、メリットも大きいという。
もちろん子どもたちにとっては、給食でおいしいものが食べられるだけではなく、地元農家とのふれあいや食と農の大切さを学ぶ機会なども含めた食農教育の場にもなっている。学校給食で町産の一等品「ひとめぼれ」が食べられるという環境であれば、食べ残しが年々減少傾向にあるというのも充分うなずける話だ。
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地産地消の学校給食。岩手県産が8割、地元矢巾産品も5割以上だ。お米も牛肉も地元産。
◆JAシンセラには加工品がいっぱい
JAシンセラの農産物直売所のサンフレッシュ都南、葬祭部門内にある中央仕出しセンターはこれまで多くのヒット商品を開発・販売してきた。
タラノメ、フキノトウなどを使った「山菜ジェラート」、もち米で育てた「もちモチ牛」、管内のナンブコムギ100%の「南部小麦生めん」「納豆」「ふ」など・・・。
「もちモチ酒」「もちモチ焼酎」は地元の酒蔵、「カリント・せんべい」は知的障害者施設との連携でつくるなど、商品の大半は外注し、地域活性化にも貢献している。
一部商品は同社ホームページでも購入できる。
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地元さんのブルーベリーを使ったジャムやジュース(左)と、もち米を地元の酒造メーカーに出して作ったもちモチ酒。
◆6次産業支援アドバイザーを設置
JAシンセラの立ち上げ以前から、JAでの販売・流通を担当していた佐々木廣常務はこれまで100種類以上の加工品をつくり、昨年は農水省の「第1回地産地消の仕事人」にも選ばれた。同氏は地産地消の推進のためには「旬と完熟を徹底した産地直売所、地域活性化にもつながる加工品の開発、学校給食のような食材供給、一般の人に豊かな食を提案する食育教育」の4本柱が必要だという。
この運営方針は地域全体を盛り上げることを目標にしているが、地域だけでなく生産者個人の売り上げものばそうと、年間1000万円を販売する生産者の育成をめざしている。
今年から新たに「6次産業支援アドバイザー」を置き、作付け作物の提案や計画づくり、加工品をやりたい生産者からの聞き取り調査と企画立案、パッケージ・包装などの提案まで、あらゆる販売戦略の企画を生産者とともに行っている。現在は女性1人でその任に就いているが、将来的には人数を増やしたいという。
35年間、唱え続けたスローガン
一.良質米の産地であること
一.一定の量を生産している産地であること
一.相場に左右されない産地であること
一.相手に利益を与える産地であること
◆結成当初から変わらぬ理想「もち米部会」
加工品にもよく使われるもち米。JAいわて中央は、日本有数のもち米生産地である。
9400haほどある水稲作付面積のうち3割以上がもち米だ。主産のヒメノモチは紫波矢巾地域が発祥で、今でも全国に流通している種もみはすべてここ、JAいわて中央から出荷している。
その生産の歴史は古く、1974年に旧赤石農協でもち米生産部会を設立した(当時104人)ことに始まる。当時のもち米は自家用がほとんどで、余った分を農協に出荷する程度だったが、生産調整の始まりをきっかけに、うるち米より高価だったもち米を作ろうと、もち米団地をつくり一大産地を形成した。
今は1600人超の大きな部会に成長したが、今でも35年前に掲げたスローガンのもと、魅力ある強い産地づくりをめざしている(上記)。
「相場に左右されない産地」をめざし、現在は生産量の7割が播種米複数年契約(3年)だ。しかしなにより注目されるのは「相手に利益を与える産地」をめざすということだ。実需者・消費者に心から喜ばれるもち米をつくることが、産地全体の活性化につながる。
初代部会長の故・鎌田三郎さんは「農家は自分だけよくなろうとしてもだめだ。みんなとよくなっていかなければいけない」という信念を徹底していたという。今でもその想いは引き継がれ、集荷率99%以上という高い数字を毎年出している。
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もち米生産部会生産者大会から。今でも、35年間変わらずにスローガンを唱和している。
◆988戸 890ha 日本最大級の集落営農組織
JAいわて中央は2003年から本格的に集落営農の組織づくりに取り組んでいる。
このまま米価下落が続けば水稲の個人経営は行き詰まる。同JAが5年前に出した試算では、収量10aあたり9俵の場合、1俵1万2000円になると3ha以下の経営は成り立たない。30haまで規模拡大しても、10aあたりの経費は最大限に削って8万8698円かかるので、1俵1万円では赤字になってしまう。
そこで03年、管内の全205農家組合で集落水田農業ビジョンを策定。05年にはレタス、キャベツ、麦、大豆など土地利用型園芸作物の導入支援を始めた。翌06年には、担い手対策課を設置し、総勢117人の集落コーディネーターを選任した。
現在は株式会社・法人化した7組織を含む、66の組合組織が存在する。中でも06年11月に結成した都南地域営農組合は、設立当時988戸、890haという国内でも類を見ない超大型の集落営農組織だ。現在、戸数は減少したが、面積はさらに拡大しており、若い生産者も加入してきた。JAとしても専属職員を配置し、運営を支援している。
今後の課題では、高齢化がすすみ委託希望者が増えても受託者がいない、園芸作物も3?5年しなければ成果が出ない、などがあげられている。
わがJAの挑戦
JAいわて中央代表理事組合長 藤尾東泉氏
「組合員との対話が運動の原点」
◆子会社化で職員の意識改革を徹底
――子会社のJAシンセラは葬祭、仕出し、産直などいくつかの事業を1つの子会社で集約しています。こういう形態は珍しいですね。
はじめに子会社化しようとなった時、仕出しは赤字だったし、直売も一度失敗していたので先行きが読めませんでした。だから経営がよかった葬祭事業を一緒にして安定化を図ろう、ということになりました。今では、葬祭で産直品を使った仕出しを出すなど、事業同士の相乗効果と合理化が評価されて、多くの方に喜んでもらえています。
しかし子会社化した一番の効果は、職員の徹底した意識改革です。思いっきり働ける環境をつくって、働いた分はしっかり給与やボーナスで還元していくと。若い職員が多いので、職員教育にもお金をかけています。今年は2人の女性職員が葬祭ディレクター1級の資格を取得しました。ほかにも野菜ソムリエとか、調理師とか、いろいろな資格を取るようにしています。
――今、JAいわて中央として、もっとも力を入れている取り組みはなんでしょうか。
今、最大の課題としているのは集落営農への取り組みです。
今のまま米価が下がっていけば、いずれ水田経営はできなくなります。そのためにも集落営農組織をつくって、コスト削減をしていくと同時に、転作や園芸作物の導入をしていかなければなりません。現在21の組織で経営安定対策として、カボチャ、ナス、キャベツ、加工トマトなどを作付けするようにしました。これらはすべて契約栽培です。また、これまで集落営農のなかった盛岡市内でも、組織を立ち上げる計画が動いています。集落営農にして所得をあげようと呼びかけていますが、今計画している組織をなんとか成功させて、周りも一緒になってやっていこうという波及効果をつくっていきたいですね。
ただひとつ心配なのは、民主党の掲げる戸別所得補償制度があることで、集落営農から抜けるという担い手が出かねせん。具体的な数字や制度を早く出してもらいたいですね。
――契約栽培や、高い集荷率など、JAと組合員との信頼関係が非常に強いと感じましたが・・・
この志和地域で昭和30年代後半に、志和型複合経営が始まりました。当時は春と秋が農作業のピークでしたがこれを機械化で山をくずし時間的余裕のある夏と冬に、夏秋キュウリと原木シイタケを導入し労働力を完全燃焼しよう、というものです。農業をやっていく上では土づくりが重要ということで、家畜の堆肥を使って有畜複合経営という形になり、全国的にも注目されました。このことで地域全体での農業に対する理解度が深まったと感じています。
また当時、旧志和農協の組合長に熊谷久さんという方がいました。組合員と農協との関係をとても大事に考えていた方で、組合員との対話を大変に重視しました。私はその思いをとても大事に思っております。
現在、組合員懇談会は年2回8支所で開催し、総代会前の説明は13の全出張所で行い、また営農座談会、稲作技術指導会はそれぞれ年2回と4回、255全集落で開いております。このとき出された意見は集約して理事会に報告されるので、組合員の考え方が分かります。やはり組合員との対話は協同組合運動の原点ですから、今後とも大事にしていこうと思っています。
◆農協運動もとりこんだ担い手育成を
―来年から始まる第4次3カ年計画の中で、JAいわて中央のめざす方向性をどうお考えですか。
大きくわけて基本目標は5つです。
担い手支援の充実と地域農業の振興をはかり「あんしん産地JAいわて中央」そして「食農立国JAいわて中央」ブランドの確立です。担い手支援は集落営農、個別担い手と同時に後継者対策が急務です。特に新規就農者に対しては、JAと普及センター、行政が協力をして一体となった対策を考えていますが、農協運動もカリキュラムの中に入れた担い手育成をめざしています。
2つめとして、環境保全型農業を推進し、消費者に信頼される農畜産物を提供するとともに、農業所得の向上をはかっていきます。
3つめとして、食育や食農教育を通じて次世代の育成に取り組むとともに、地域社会で喜ばれるJAづくりをめざします。特に食育では女性部、青年部が中心となって各地域で子どもの農作業体験や野菜栽培などを展開しています。JAとしても田植え、ナンブコムギを使ったピザづくり、稲刈りとキノコの収穫など「味覚ツアー」を年3回開いていて大変好評です。このときは朝ごはんの大切さを説いたり、国産農畜産物のよさを訴えたりしながら、子どもだけでなく父兄も巻き込んだ活動となるよう心がけています。
4つめとして、JA運動を通じて組合員の共同活動への参加と参画を促進し、JAを取り巻く環境変化に対応できる職員の人材育成を図っています。さらには人を育てる職場風土をめざします。
5つめとして、JAいわて中央の信頼を高めるために経営の健全化をはかります。3年前のJA盛岡市との合併で自己資本比率が減少しました。これを立て直し、コンプライアンスの徹底などもはかりながら、力強いJAづくりをめざしていきます。
しかしなによりも、組合員に根ざして、組合員との関係を密にしていくことを考えていきたいですね。2007年にJA盛岡市と合併したことで県都盛岡市を包含することになり、管内の人口も大幅に増え、共済信用事業も重要視した中でJAのシェアを高めていきたいと思います。
今村奈良臣のここがポイント
「人を活かす 地域を興す ネットワークを作る」
40年前、紫波町を訪ねたことがあった。水稲単作型農業を脱却すべく紫波型複合経営の推進から、さらに畜産を入れた有畜複合経営へと新しい展開を見せていた。その後、何度かお訪ねするたびに、この時代に作られた原点が基盤となって、集落営農組織の形成・発展、多彩な農産物加工に基盤を置く農業の6次産業化の推進、学校給食への全量食材供給のシステムの確立、直売所の開設・発展などへと展開してきていると、私なりにその発展の歴史をとらえている。
その基盤には、JAによる徹底した集落座談会の開催があるように思う。JAは40年前から合併、統合してきたが、その中で連綿として集落座談会を基盤に新しい時代にふさわしい路線が決定されてきているように思う。地域農業の新たなネットワークの形成、次代を担う子どもたちとの給食を通じるネットワークの形成、消費者と地域農業を結ぶ拠点としての直売所サンフレッシュ都南、実需者との確実な契約取引をめざす(株)シンセラ、等々である。
かねてより私の説いていた「人を活かす、地域を興す、ネットワークを作る」ということが、JAの果たすべき機能と役割の原点だと考えてきたが、その路線をJAいわて中央は着実に実践しているように思う。
とりわけ、その基盤にある集落営農組織の実態とその果たしている役割、将来展望について機会をみてつぶさに教えてもらいたいと思っている。経営の実態はもちろんであるが、老・中・青の結合の姿、意思決定の姿、高齢技能者や女性の活動の様子、多彩な農産物加工や集約的作物と土地利用型作物との調整の姿、需要の動向と作物選択・決定の姿など、その実態と展望を調査・研究して、全国にその優れた経験を広めたいと考えている。