(写真)セブンファーム富里ほ場前で(左から)取締役の津田博明さん、津田壮一郎さん、戸田秀光さん
◆JAが間に入りリスク負う
ごく普通の農村風景の中、ひときわ目立つ白い柵と都心でも見慣れた緑色に「7」の文字が見える。セブン&アイ・ホールディングス(7&I)が設立した農業法人「セブンファーム富里」のほ場である。
食べ残しや売れ残りなどの食品廃棄物の有効利用を促進しようと2007年12月、食品リサイクル法が改正された。12年までに食品廃棄物のリサイクル率を45%に引き上げなければならない。そこでイトーヨーカ堂は、食品残さを使った堆肥で農作物を育てる農場経営を企画。古くから契約栽培などに取り組み、企業との取り引き実績が豊富なJA富里市で、生産者などとの協議を経て08年8月に法人を設立した。
イトーヨーカ堂の店舗から出た野菜くずなどを堆肥化し、それを使って野菜などを生産。農作物は全量イトーヨーカ堂が買い取り、野菜くずを出した店舗で販売するのが基本的なシステムだ。生産計画やスケジュールなどは生産者とJAに一任されている。現在、2つのほ場で計3.8haほどを経営しているほか、その堆肥を積極的に使用する「協力農家」が12件ほどいる。
セブンファーム富里の設立に協力したのは、JA富里市で地場野菜部会の部会長も務める津田博明さんだ。自身の2haほどの農地をセブンファーム富里として法人化し、現在は息子の壮一郎さん、社員の戸田秀光さんらと3人で運営を担っている。設立の経緯について「農業は先細りしてしまって、もはやすごい未来は開けないと思っていた。もうやめてしまいたいと思ったが、土地をどう活かそうかと考えていたところへ農協から話が来た。最初は怖かったし、将来性があるかどうかは分からなかったが、とにかくやってみて見本になればよいと思って踏み出した」と話す。
◆「企業とこんなに仲良くなるとは思わなかった」
契約栽培や加工・業務用農産物など企業との取り引きでの最大のネックは、信頼関係をどう築くかだ。富里で仲介役として力を発揮したのはJAだった。
JA富里市は1995年に始めた加工用トマトの栽培を皮切りに、外食チェーンとの提携や大手小売店との契約栽培など、市場流通とは異なる販売戦略を数多く打ち出し、ノウハウと信頼を培ってきた。津田さんは「農家と企業との間にJAが入って、JAがリスクを負ってGOを出すということならやりますよ、と。要するに、JAが一生懸命やるなら信用してついていきます、ということだね」と話す。企業との取り引きでの不安についても「得体の知れない堆肥を使うということで怖かった。産廃を捨てにくるんじゃないかとか、どうせ安く買い叩くんじゃないかとか、不安はいっぱいあったが、JAが間に入ってくれてうまくやっている。今では、こんなに企業と仲良くなるとは思わなかったと驚いている」と、生産者・JA・企業が一体になって取り組むことでその不安を克服しているという。
7&Iは現在、埼玉と神奈川でもそれぞれ1件ずつ同様の農業法人設立を企画している。当初は3年で全国10カ所を予定していたが、なかなか地元の生産者やJAとの折り合いがつかないのが現状だという。セブンファーム富里は、先駆的で稀有なビジネス・モデルとして益々注目が高まるだろう。
津田さんは現状の不満や課題をこう語った。「儲かる、儲からないというのは確かに重要だが、それ以上にわれわれ農家は一生懸命つくったものを喜んで食べてくれる顔が見たいんです。いかにコストを下げて大量生産するかという企業のやり方と、いかに手間ヒマかけていいものを作るかという農家の想いは元々正反対。贅沢な悩みだが、農家の想いを実現できる経営をやっていきたい」。
◆後継者が就農しやすい環境を
比較的後継者が多いのは、富里農業の特徴のひとつである。富里市の統計によると1993年以降、毎年欠かすことなく後継者が就農し、1000戸ほどの農家戸数に対してじつに17年間で180人以上の後継者が就農した。
後継者が多い要因として大消費地が近く中小規模でもやっていけるという地理的条件や、スイカなどブランド化された作物がすでにあるということもあるが、それに加えてJA富里市が多彩な販売戦略を用意しているということも大きい。
JA富里市の販売額は全体で67億円(08年度)。内訳は市場流通39億円、直販24億円、企業取引4億円だ。従来の市場流通だけにとどまらないさまざまな販売方法を用意し、組合員も全量JA出荷する人から契約栽培一本でやっている人まで、実需者からの希望にも柔軟に対応しながら、多彩な販売戦略をサポートしている。
3年前に地元の国立大学を卒業し、すぐ実家に就農した井上享さんは今年25歳。両親、祖父母を交えた5人が3haで夏はスイカ、冬はニンジンを栽培している。「会社員の道も少し考えたが、やはり自然と就農した」という。「一番の理由は見通しがあったこと。やはりJAに出しておけば安心というのが一番大きい」。
周りに同年代の若い農業者が多くいるのも就農した大きな理由のひとつだ。20代で経営を任されている仲間もいて、仲間づくりや情報交換などもよく行っている。「将来、経営を担うようになったらもっと自分たちで販売とか流通とかを考えなければいけないと思うが、なによりも生産技術を磨いて生産性向上をめざしている。JAへの出荷に信頼があるので、今は生産現場でできることを一生懸命やっていきたい」。
(写真)毎年6月第4日曜日にある「富里スイカロードレース」(左)・地元産スイカをPR(右)
わがJAの挑戦
JA富里市代表理事組合長 根本 実 氏
「富里には思い切りのよさがある」
根本実組合長は「落花生生産は他の作物のヒントになる」という持論を持つ。地元産スイカをPR
国内の落花生年間消費量は12万tほどだが、加工品も含めて9割が輸入品だ。国産の7割以上が千葉県産で富里市では25haほどの作付けがある。県産の平均的収穫量は10aあたり約250kg。昭和40年代は国内の総作付面積が1万ha以上あったが、今では8000haを割る。「消費拡大をどうするか、輸入品にどう対抗するかなど、古くから栽培されてきた落花生生産が復興できれば、それが一つのモデルになって他の国産農畜産物復興のヒントになるのでは、と期待している」という。
「落花生は農商工連携のさきがけだ」と、根本組合長は力説する。まず生では食べられないので、むしろさまざまな業者と連携しなくては生産も販売もできない。そのため古くから契約栽培など加工業者と一体になった産地づくり、販売戦略などに取り組んできた。
15年ほど前から品種改良に取り組んだ超大粒の「おおまさり」は今年市販を始めたところ、非常に大きくまた茹でるとおいしいということでホテルなどとも取り引きしている。落花生のカラを住宅の壁材に使用する業者もいて連携は多岐にわたる。産学連携にも積極的で、5月の種まきから10月の収穫まで手作業が多く、特に収穫して乾燥させるために反転する作業はかなりの重労働のため、千葉大工学部と協力して負荷軽減のための専用機を開発中だ。
JA富里市の事業に先駆的取り組みが多いのはなぜだろうか。「もともと開拓地だから、いいものはすぐにやる、ダメなものはすぐに変える、といった思いきりの良さがある」と話す。
例えば1982年に始まったスイカロードレースは毎年1万人以上が参加する夏の一大イベントに成長し、2005年からは地産地消給食のモデル事業をはじめた。
「どんな事業でも組合員の方からよく動いてくれる。だからこそJAも全面的にバックアップして組合員の生活や収入の向上をめざそう、ということになる。農協との取り引きは一般企業と違って駆け引きの必要がないから、農家は一生懸命生産をする、農協はそれに役立つ情報収集と発信をしてしっかり販売する、というのをずっとやってきたので信頼関係も厚い。富里に農業後継者が多いのも、こういったやり取りを子どもの頃から見て、若い人たちがJAを信用してくれているからだ」と、胸を張る。
なにより大切なのは職員の質である。「農協職員は現場を知らなければいけない。だから大型合併が進めばそれだけ現場や組合員からは離れていくだろう。JA富里市では朝礼だけなく夕礼もやるなど、職員の質を高める取り組みをしている」。
(写真)
上:根本実組合長
中:大粒の新品種「おおまさり」
下:ピーナッツ販促イベントに参加した根本実組合長(左)と、ちばピーナッツ大使