みんなでつくる
だれもが安心して暮らせる里を
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くらしの助け合いネットワーク“あんしん”が運営する月に1度の寄合所「あんしん広場」、12月28日の開催から参加者とお世話係のみなさん
◆年間6000人以上が参加する「あんしん広場」
農協としては全国的にも珍しい「福祉課」がJAあづみに設置されたのは、1998年3月だった。
その以前から女性部活動の「助け合い制度」があったが、これからの時代は女性部としてではなく老若男女分け隔てなくみんなが集まって、安心して暮らせる地域づくりをしなければならないと、女性部の括りを越えたJAを拠り所とする助け合い組織として同年7月「JAあづみ・くらしの助け合いネットワーク“あんしん”」(以下、あんしん)へと再構築。事務局を福祉課内に置き、有償在宅介護サービス(訪問介護)を始動した。
3年後の2001年2月には寄合所「あんしん広場」を創設した。月に1度地域・集落の公民館などに元気なお年寄りが集まって料理をしたり、歌を歌ったり、農作業をしたりと、さまざまな交流をする活動だ。開設当初は6カ所で始めたが、評判が評判を呼び今では25カ所で年間300回以上、のべ6000人以上が集まるようになった。
あんしんの代表を務める宮島宏枝さんは93年、ホームヘルパーの資格をとらないかと打診されたことからJAとの関係が始まった。「地域には介護の必要がない高齢者がたくさんいる。そういう人たちと一緒に地域を元気付けたいと思った」のが、あんしん広場にお世話係として参加するきっかけだった。「あんしん広場では食や体操だけでなく、必ず知的活動も取り入れている。体だけでなく精神的な健康がないと本当に心からは安心できないから」という宮島さんは「集まってくる人がみんないきいきしている」と、あんしんに携わったことが誇りだと胸を張る。
あんしん広場を回り紙芝居や朗読ボランティアをしている曽根原由美子さんは、JAに3人いる女性理事の内の1人だ。年老いた義母の介護でつきっきりだったが、外に出て活動を始めると精神的に参っていた自分に気付いたという。「朗読ボランティアでいきいきとした高齢者のみなさんと触れ合っていると、家にいた時にはわからなかった喜びを感じる。現代は隣近所に行くことすらも気兼ねする世の中になって地域の付き合いが薄らいでいる。あんしんの活動は重要だと心から感じている」。
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左:デイサービス施設「楡の里」のクリスマス会から
右:09年12月に始まった「介護予防教室」
◆小さくても笑顔が集まる五づくり畑
「あんしん」は常に新しいことにチャレンジしている。
2002年には国道沿いのドライブイン「信州安曇野スイス村」内に農産物直売所「JAあづみふれあい市 安曇野五づくり畑」を開設した。04年には「菜の花プロジェクト安曇野」が始まった。安曇野を菜の花できれいに黄色く彩ろうと菜の花を咲かせるとともに、菜種油を絞って販売している。08年からは安曇野の伝統文化である籾殻を燃料にしてコメを炊く"ぬか竈"を地域の子どもたちに伝える「ぬかくど隊」も立ち上がった。
「五づくり」とは80年代につくった?家庭菜園をつくろう?家庭果木をつくろう?大豆・雑穀をつくろう?ニワトリを飼おう?手作り加工しよう、というスローガンからとった。その名の通り、会員の家庭で採れた野菜・豆や手づくりの漬け物などを持ち寄って販売している。
毎週土曜日、朝8時〜10時までの"開業"なので年間販売額はわずか500万円ほどである。しかし五づくり畑は儲けよう・売ろうという目的ではなく、みんなで集まって何かをやろうという想いの結集だ。だから小さくても多くの人が集まり、心からの笑顔があふれる。
買い物した人たちだけでなく、ふらっと訪れた人たちにもお茶や自慢の郷土料理などを振舞うその雰囲気は、もはや直売所ではなくお祭や縁日を思わせるような活況だ。
その温かさに感動して安曇野に移住した人もいる。神戸在住だった丸山寛治さんは新春に安曇野に旅行で訪れ「水張りした田んぼにきれいに青空と山が映る絶景を観て惚れた。それ以上に五づくり畑のみなさんの幸せそうな笑顔に触れて、住むならここしかない」と決めた。今は安曇野でペンション「和寛の里」を経営している。夫婦そろって五づくり畑の常連だ。
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JAあづみふれあい市 安曇野五づくり畑から
安曇野を黄色く彩る
「菜の花プロジェクト」
◆リーダー育てる「生き活き塾」
五づくり畑会長の小口輔貴子(ふきこ)さんは、開設当初の思い出をこう語る。
「地域貢献したいということで活動に参加したが、最初はテント1つストーブ1つにベニヤ板で風除けをつくったりして本当に大変だった。冬は売り物がなかったので、みんなでビニールハウスをつくり寒じめ野菜をつくったり、玄米パンをつくったりする呼びかけもしながら少しずつ改善していった」。簡素なテントは、永年の活動からの積み立て金で09年春に立派なガレージへと変貌を遂げた。
あんしん広場や五づくり畑に集まる人びとの多くは「生き活き塾」に今学び、また、また学んだ人たちだ。
以前から女性大学(その前身は若妻大学)はあったが、組合員をはじめ地域の方々、多くの人が学べる場を作ろうと99年に再編し第1期がスタートした。2年間全20回の講義には、毎期150人以上の参加者がいる。内容も一般的な女性大学にある料理教室や、ダンス教室などではなく、真に学ぶ場として全国各地の大学や研究所から講師を招いている。
この生き活き塾から生まれたのが「菜の花プロジェクト安曇野」である。代表の小林あや子さんは、第3期生き活き塾の修学旅行で宮崎県の循環型農業を視察してすぐさま菜種の栽培と油の生産をやろうと動き始めた。
スイス村前の休耕田60aに菜の花を植え、初年度は60リットルの油を搾った。油ぎれがよく、これで揚げたテンプラは美味しいなどと評判になり4年目の08年には250aで700リットルを生産した。小林さんは「自分達でつくるようになる前に油についてもしっかり勉強した。そうして市販されているサラダ油の原料などを見ると、とてもじゃないけどそれを食べようという気にならなくなってしまった。いつも買ってくれるファンも増えて、毎年売り切れるほどの特産品になった」。
2年目からは菜の花だけでなくヒマワリ油の生産もはじめた。地元小学校の学校給食への提供や早稲田大学学生との定期的な交流などの環も広がっている。今後もさらに安曇野が黄色く彩られていくことだろう。
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五づくり畑では、お客さんとメンバーの交流も盛ん。
◆「できる人が、できる時、できることを…」
冒頭の詩「あしたへのあんしん」をつくった池田陽子さんは、JAの福祉事業への想いをこう語る。
「誰だって必ず年をとっていくわけだから、その時に安心して健康のまま暮らせる里づくりをしたかった。何より高齢者がいきいきと暮らせる場所こそ、子どもたちも輝いて生きていけると思った。私自身、老いてもこの地域で安心して暮らしたい。だからこの活動は組合員や地域のためでもあるけど、自分自身のためでもある。自分が年をとった時、どういうサービスがほしいかをいつも考えている。だからまずは自分が楽しむことが肝心。自分が楽しくなくっちゃ、地域は後押ししてくれないから」。
なぜ農協が福祉事業をやる必要があるのか? 当初はJA内からの反対意見もあり、順調な滑り出しとはいかなかったから不安も大きかった。「タネまきはしたが、それが大きく育つかどうかはわからなかった。だけど身の丈にあった活動を細々と10年間積み上げてきて、ようやく形になってきたと感じる」。
成功の秘訣はまさに協同組合の基本的な理念の実践にある。農協の福祉事業はお年寄りや要介護者への手助けではない。地域みんなで"老いへの道"を創り、みんなで"幸せ"になることをめざすのが農協の生活福祉活動だと、池田さんは位置づけている。
その活動はひたすら「できる人が、できる時に、できることをやっていく」という連続だ。その中で池田さんがまいたタネは、それぞれあんしん代表の宮島さん、五づくり畑代表の小口さんなどが活動する姿で結実していった。次はその実が新たなリーダーを育てること、タネまきの連鎖が求められている。
09年秋には「さらに次の10年に向けて歩みだそう」と、生き活き塾やあんしんのメンバーと学識経験者からなる「あんしんビジョン委員会」を発足させた。今春決定するJAあづみの長期計画の中に委員会での意見を反映させようと奮闘している。
スローガンは「100才まで農作業で達者がいちばん!」。JAあづみの安心と幸せを拡げる運動はさらなる“明日づくり”へ向かって邁進している。
(写真)池田陽子さん
わがJAの挑戦
JAあづみ 鈴木章文代表理事組合長
「大切なのは女性の意見をしっかり反映させること」
――JAあづみの福祉事業は農協の経営的な貢献度も高いようですね。
年々、福祉事業の実績は高いです。昨年度の実績は1億6500万円あまりのご利用を頂きました。今年度はさらに増えるのが予想されています。ただし福祉事業での収益性は考えていません。地域貢献事業ですから黒字になる必要はなく、せいぜいプラスマイナスゼロ収支になってくれればいい、ということでやってきましたが、組合員をはじめ地域の方々に大変喜ばれていて、おかげさまで少しの収益がでるようになりました。
――全国的に福祉事業に取り組むJAは数多くありますが、赤字でも地域のために、というJAが大半なのが現状です。
JAあづみの福祉事業が収益を出している理由は主に2つだと思います。1つは、次から次へと時代や地域のニーズにあった取り組みをしているから。そしてもう1つは人材でしょう。
福祉を本格的に始めたのは1998年の福祉課設立からです。訪問介護から始まって今までの12年間、あんしん広場、生き活き塾、ふれあい市など常に新しいことに取り組んできました。また2002年に設立したデイサービス施設「楡の里」には、JAの施設ならでは、ということで畑を併設しました。施設を利用するお年寄りの中にも非常に高い農の知恵や技術を持つ人もいて、大変喜ばれています。現在、2つ目の施設を建てる計画が進んでいます。
そしてやはり、最終的に大事なのは人。農協のヘルパーは非常に評判がよくて助かっています。普通こういう事業をしていますと、何らかのクレームや苦情などが必ずあるものですが、ありがたいことに農協ヘルパーにはほとんどそういうもの寄せられません。これは一重に、がんばって研修や指導をしてくれる職員の質の高さだと誇りに思っています。
――JA内での女性の活躍についてはどう思いますか。
女性部は現在510人ほどです。いつも各種イベントに参加してくれているので、女性部のウェイトは人数以上に高いと思います。JAあづみ管内では兼業農家が多く実際に農作業しているのはほとんどが女性でもあるので、しっかりと女性の意見を聞き、JA運営に反映していくことが大事でしょう。昨今"協同"の意識が薄れていくなか、組織強化のためにも女性の力は不可欠です。組合員の加入推進活動は最重要課題として、次期3カ年計画にも盛り込んでいます。
今、女性総代を20%以上にしましょうということでやってきて、現在は総代644人の内122人が女性です。理事も24人中3人の女性理事がいます。ただし世界的にみるとだいたい管理職の50%は女性ですから、まだまだ非常に低い。もっともっと女性のみなさんにがんばってもらうと同時に、自らJAに来てしっかり意見を出してくれるような女性のリーダーを育てていかなければいけないと思います。
――今、JAに求められていることはなんだとお考えですか。
今の子どもたちや、その孫の世代が農業に魅力を持ってくれるようになるために何をしなければいけないか、というのが大事だと思います。例えば20年ほど前は農業生産が180億円ありましたが、今では100億円にまで落ち込んでいます。これを再び180億円以上にまでV字回復させようという、高い目標を据えて経済事業をやっています。
またJAのアピールも重要です。一般の報道だけ見ている人にはなかなか伝わりませんが、JAは本当に色々な活動をしています。福祉だって利用してはじめて、農協がやっていることを知った人も多い。生産資材の値段が高いなどの批判も、単に値段だけを大手販売店と見比べたらそう思うかもしれませんが、JAは良いものを揃えて適切な施肥と営農指導を行っているわけだし、そういう点をしっかり評価してもらいたい。そして昔のように、自然と農協に人が集まってくるようになってくれれば嬉しいですね。