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"千年の連作"守れ コメと「泥の文明」(下)

どうする? グローバル化への対応

 前号では、アメリカ一極主導のグローバル経済が破たんしたことなどをみたあと、論点をコメ問題に移した。今号では松本氏の独創的な『泥の文明』論が語られた。「日本人のコメ作りはいわば民族の築いた『生き方』であり『暮らし』であり、それをつぶしたら民族の誇りもなくなる」と説いた。

◆コメ38%増産迫られる

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 ――先生の『泥の文明』論についてお話下さい。
 松本 私は文明を宗教によってではなく風土(と文化)にもとづいて「砂の文明」「石の文明」「泥の文明」というカテゴリーに分類しました。
ここでは「泥の文明」に絞りますと、その範囲は(イラスト参照)マレーシアのカリマンタン島にあるキナバル山を中心として東西30度の間です。
 東西25度には東京とカルカッタがあり、この地帯を生物学では「アジア・グリーン・ベルト」と呼びます。温暖湿潤で1年中、緑が絶えない地域だからです。
 この一帯は国連報告で深刻な食糧危機が予想された東南・南東アジア地域と重なります。コメ作りに最適な風土でありながら見通しは深刻だというのです。
 04年は「国際コメ年」で、東京では「世界イネ研究会議」が開かれ、私はそこで「コメ=定住の力」のテーマで基調講演をしましたが、国連報告というのは、その会議でなされた報告です。
 概略は▽世界の人口は今64億人だが、25年には80億人になると予測される▽80億人の過半数は東南・南東アジアのコメを主食とする人々である▽だから世界の食糧危機を回避するためには同地域でのコメ生産量を38%増やさなければいけない―というものでした。
 ――しかしコメのことだけでなく、食生活の多様化に対応した穀物生産の拡大なども考える必要がありますが。

◆自給」「循環」の文明を

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バリ島の棚田。インドネシアでもコメ自給率が低下した

 松本 経済発展しているアジアの国はだいたいがコメ不足です。コメ輸出国はタイと…
 ――ベトナムです。

 松本 インドネシアは国が奨励して水田を広げ、1997年にコメ自給率が100%になりました。しかし、経済発展とともに工業製品の購買意欲が高まり、農家はコメよりも高く売れるものを作りたいと考え、水田をエビの養殖プールに転用しました。今は自給率が90%に落ち込んで、コメはタイから輸入しています。
 中国も毎年7%ずつ耕地が減っています。そこで中国の経済計画について論文をまとめた中国人の経済学者(国家政策担当官)に対策を聞いたところ「中国よりもコメや穀物が作りやすい広大な農地を持っているブラジルとウクライナに食糧生産を任せ、中国に代わって作ってもらう」というので「そんな発想は現実的でない」と反論したことがあります。
 例えば「バイオエタノールの原料になるトウモロコシの値段は上がっているし、両国に任せても中国を養うだけの食糧は作ってくれない」「工業化で中国の13億人を養っていけるものじゃない」と諭しました。
 今後も工業化、都市化が進みますから自国の食糧は自国で作らないといけない状況になってきます。自給と循環システムの文明を作り直さないといけません。
 ――日本のコメ作りの特徴は『泥の文明』の中にどう位置づけられますか。

◆日本の工業技術の基底

 松本 「田んぼは親から受け継いだ」と農家はいいますが、実は極端にいえば1000年も前からの引き継ぎなのです。棚田の風景が象徴的ですが、長い年月をかけて水田は整備されてきました。
 水平であり、水持ちが良くて水はけも良いという矛盾した性質を持ち、水は整然と隣の田に流れていく、イネが根を張るのに邪魔な石などはきれいに取り除かれている……
 日本の優れた工業技術の基底には、こうした精緻な田づくりなどを含む泥の文明があります。ソフト面でも地域に最適な品種改良や品質管理が行われ、知識集約型で農法が蓄積されました。だから日本のコメ作りは定住を可能にします。
 ――今も先祖代々の言い伝えで農作業が行われています。農業は長いスパンで考えないといけません。
 松本 ムギはコメの代替食糧ともされますが、同じイネ科でありながらムギは3年しか連作ができません。
 ムギやトウモロコシは地中深くに根を下ろし、水を吸い上げて成育するため乾燥地帯に適しています。
 ところが塩分も一緒に吸い上げるため、3年ほど連作すると塩分が地表に残り、それ以上の連作ができなくなります。オーストラリアなんかのムギ畑は真っ白になっています。
 これに比べてコメは山からの水、地表を流れてくる水を主養分とするので1000年でも連作ができます。
 ――泥の文明からすれば、自国の食料を自分で守ることは農業保護ではなく、自国の持続的な繁栄をはかるということになります。だから、もっと自由化を進めて安いものを買えるようにしようといった世界貿易機関(WTO)の国際ルールなども見直す必要があると思いますが。

◆民族の「生き方」考える

 
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松本健一氏

 松本 日本のコメ生産は貿易のためではありません。第一、コメは貧困国への救援米は別として、国際社会に出回ってはいません。
 日本人のコメ作りはいわば民族の築いた「生き方」であり「暮らし」であり、それをつぶしたら民族の誇りもなくなる、という文化的意味を主張すべきではないかと思います。もちろん貿易のための共通ルールは必要ですが、世界各国は経済によって「接続」されるのではない。
 ――「生き方」などをルールとして国際的に認めてもらうということですか。
 松本 グローバル化によるマイナス面を抱えた企業とか農業までを共通ルールで括ってしまうと、その国は成り立たなくなる。タンザニアの基幹産業であるキリマンジャロコーヒーみたいにです(前号参照)
 そういう場合はグローバル企業を規制しないといけません。でないと、みんなが移民となって出て行ってタンザニアという国がなくなってしまいます。
 日本の農業についてはキリマンジャロコーヒーとよく似た状況が見られます。国からの補助金がなくなってきてミニマムアクセス米も入っています。
 ――農業をどうするか、国づくりの根幹としてとらえ直さないといけません。
 松本 待ったなしでそれを迫られています。振り返れば橋本竜太郎政権の行政改革の時に、農村を票田としている議員でありながら農水省をなくそうと主張した自民党議員がいました。
 農業生産は国内総生産(GDP)の中で3%に過ぎないから農水省はいらないという論理です。私はそのころ、たまたま中曽根康弘元総理と対談の機会があったので同省廃止はナショナル・アイデンティティ(国の成り立ち)に関わると、反論を述べました。

◆雇用創出の公共事業へ

 しかし現実は私の主張とは反対に進みました。私は昨年、大分県竹田市の九重野を訪れましたが「限界集落」問題が深刻でした。
 数人からなる農業生産法人で協同のコメ作りをしていますが、最も若い働き手が65歳でした。また小泉・竹中の新自由主義路線で、小学校も郵便局も駐在所もみんななくなっていました。
 そして農業者や農協職員の中には最低所得保障を求める声がありました。しかし私はそういう発想は減反補償金や補助金を求めることと同じではないかと思います。誇りを持って農業を続けられる施策が必要です。
 ――将来にわたる定住策も必要です。
 松本 そうです。農村での子育ての社会形態も考える。対策としては公共事業があります。
 ここでちょっといいたいのは定額給付金ですが、あれは消費のためのばらまきに過ぎません。2兆円を使うなら雇用創出の公共事業に振り向けるべきでした。

◆国土守る誇りを持って

 政府は古い計画にもとづいてムダな公共工事をたくさんやってきました。そういうことはきっぱりやめて、例えば小学校舎の耐震補強工事を起こすのはどうでしょうか。
 ――地方に仕事が回ってきますね。
 松本 それから山林の整備です。今、山は間伐もされずに荒れ放題です。だから地崩れや鉄砲水で災害が多発しています。昔は山村の人が無償で山を整備していました。その知恵を活かす公共事業を起こすべきです。
 ――昔は地元の資源を最大限に活かす知恵が機能していました。
 松本 それを復活させて、間伐や下刈りや植樹や河川補修などをやってもらうのです。これなら、じぶんたちが国土を守っているのだ、森林の美を生き返らせていくのだという誇りが持てるし、都市住民のほうもその公共事業に賛成するでしょう。日本人はそういう税金の使い方に賛成する感性を持っています。
 ――では最後に締め括りの言葉を。
 松本 哲学者の西田幾多郎は「永遠の今」という言葉を使っています。今の中に永遠があるという考えです。
 私はそれをコメ作りで考え、「今年のコメの命の中には去年の、千年前のコメの命がある」、「今年のコメの命の中には来年の、千年後のコメの命がある」と。
 つまり、「今の中に永遠がある」と捉えるのです。これが、日本民族の「持続」の根源です。(終わり)

インタビューを終えて

 「第三の開国」と言う言葉に魅せられて、松本先生とのインタビューを試みました。
 先生は、グローバル化が世界標準の押し付けという形で表れた中で、『その国の領土、産業、通貨、文化などを守らなくて良いのかという問題点が出てきた』と指摘しています。グローバル化でコーヒー産業を守れなくなったアフリカの例を話されましたが、一つ間違えば明日はわが身という思いで聞きました。東西冷戦下ではどちらかについていれば自分を守れたけれども、多極化ないし無極化といわれる時代に入ると自国を自分自身で守らなければならないし、自分の生存をかけた主張を国際的な共感を得る形で主張していかなければなりません。こうしたアプローチから、アジアと共通性を持ちながらも独自の文化を育んだ水田稲作を基本とする農業や農村が健全であることがきわめて重要との指摘に共感。
 先生の今後のご活躍に期待します。

【著者】松本健一氏
           麗澤大学大学院国際経済研究科教授

(2009.04.22)