しかしながら今と違って、昭和19年生まれの私が子どもの頃は、常に農業が身近にあったことは確かでした。また後年、静岡県の清水に引っ越した時には海が近く、朝、砂浜に出て地引網を引かせてもらったりと、今でいえば地産地消の典型的な生活をしていたことになります。
従って読者のお許しを願えるなら、戦後直ぐの子どもたちがどのように食べ物と接していたかという話や、そのような体験を通して、現在の世界の爆発的な人口増加の影で耕地面積が減少していることなどを照らし合わせながら、日本の農業について私なりの意見を述べさせていただきたいと思います。
◇ ◇
さて昭和19年といえばもちろん太平洋戦争の最中であり、日本は米英列強との消耗戦に疲弊し、敗戦に向って戦局が大きく変わりつつありました。
石川県の七尾(現七尾市相生町)で生まれた私は、母親は大変苦労したと思いますが、海あり山あり平地ありと何かしら食べるものには恵まれていたと思います。
ヤギの乳を飲まされたと聞いていますが、さすがに味も香りも記憶にありません。水力発電所や軍の工廠がなく、つまり爆撃対象がなかったので、空襲を受けず穏やかな田舎の風景が広がっていました。
大人になってからこのときの七尾での生活を思うと、ただただ田舎に居たことに感謝するのみで、都会の同世代の人たちはどう過ごしていたのかとはなはだ気になるのでした。
(その2に続く)
【著者略歴】
こうさか・きよやす 1944年12月17日石川県出身。東京教育大理学卒、外資系数社で農薬ビジネスに携わり、現アリスタライフサイエンス(株)日本事業本部本部長。
アリスタライフサイエンス(株) 日本事業本部本部長