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新年特集号
食料安保への挑戦(3)

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【特別寄稿 新自由主義―WTOの本質】
日本の原点「多様な農業の共存」に立ち戻れ

東京農工大学名誉教授 梶井功

1.国連人権委員会がWTOへ警告 ...

1.国連人権委員会がWTOへ警告

東京農工大学名誉教授 梶井功
東京農工大学名誉教授
梶井功

 国連人権理事会の中間報告書が“「食料への権利」を順守しないWTO合意を拒否すべきだと勧告している”という。08・12・20付「日本農業新聞」の報ずるところによると、報告書は、
  “仮に貿易が経済開発と「食料への権利」に寄与するのであれば、農産物が工業品とは異なる特性を持つことを認識する必要性を指摘。先進国の農業者との競争にさらさないよう、途上国の農業者を保護する必要性も訴えている。
  農産物の輸入自由化については(1)食料の世界貿易への依存度が高まり、市場原理の欠陥にさらされる(2)多国籍企業の市場寡占化につながる(3)農産物の流通が長距離化し、生産体制や気候温暖化などに悪影響を与える――などの問題点を挙げた。”
という内容になっているが、報告書の作成責任者であるドシュッテル氏は、報告書発表の記者会見で“「持続可能な食糧安全保障を目指すためには、各国とも世界貿易に依存すべきではない。これが報告書のメッセージ」だと語った”そうだ。
 国連食糧農業機関(FAO)は1974年、136カ国を集めて世界食糧会議を持ったが、そこで採択した「飢餓及び栄養不良撲滅に関する世界宣言」のなかで、“すべての男性も女性も子供も、自分の肉体的精神的能力を十分発揮できるように、飢餓と栄養不良から逃れる固有の権利がある”ことを宣言している。
 この“固有の権利”は1996年のFAO主催第1回「世界食糧サミット」ローマ宣言でも
  われわれ各国首脳および代表は、FAOの招請によって開催された世界食糧サミットに集い、すべての人は、十分な食料に対する権利および飢餓から解放される基本的な権利に即応して、安全で栄養的な食料を入手する権利を有することを再確認する。
と改めて宣言されている。
 サミットでは、この時点で約8億と推定された栄養不足人口を2015年までに半減させることを目標とし、そのために農産物貿易面でも“公正で市場指向の世界貿易システムを通じて、すべての人のための食糧安全保障の向上に資するように努める”ときめたのだが、その成果も見えず、逆に栄養不足人口は9億6000万人に増えたと昨年暮にFAOが発表せざるを得ない状況のなかで起きたのが、08年の世界的な食糧危機、特にWTO体制下で穀物輸入国になってしまった途上国では食糧暴動にまでなってしまった食糧危機だった。
 この危機への国際的対応を論議すべく、国連は急遽08・6・5食糧サミットを開催、“各国首脳に食料安全保障を恒久的な国家の政策として位置づけることを誓”わせ、“飢餓を撲滅し、現在の、そして明日の食料を確保することを約束”させた。
 が、今は“決裂”状態にあるとはいえ、各国のWTO農業交渉における姿勢、特に農産物貿易自由化の更なる拡大を追求してやまない輸出国の姿勢に、サミットでの“誓”や、“約束”が空語でしかなく、WTO農業合意が“「食料の権利」を順守しない”ことになる危険性を国連人権理事会は読み取ったのであろう。国連人権理事会中間報告の警告を各国は重く受け止める必要がある。
 WTO農業協定も、その前文で、農産物貿易の自由化に向けた“改革計画の下における約束が、食糧安全保障、環境保護の必要、その他の非貿易的関心事項に配慮しつつ…行われるべきことに留意”することを記していた。が、その“留意”がなかったのがこれまでの交渉経過だった。
 日本政府が今次WTO農業交渉に臨むにあたっての方針は、この前文の尊重にあったといっていいだろう。日本政府が交渉開始時点で出した「WTO農業交渉日本提案」の前文は、“多様な農業の共存”が日本提案を貫く“哲学”であることを強調し、“多面的機能への配慮”“食糧安全保障の確立”輸出国・輸入国での“ルールの不均衡是正”“開発途上国への配慮”“消費者・市民社会の関心への配慮”の重視を記していた。
 “多様な農業の共存”の哲学を強調した「提案」はその前文の最後のほうで“効率を重視した画一的な農業のみが生き残り得る貿易ルールは、我が国のみならず各国にとっても拒絶されるものである”“競争力のある一部の輸出国のみが…利益を得るような交渉結果を認めない”ことも強調していた。自由貿易原則の修正も提案していたのである。日本政府も出発点にもどって、自由貿易原則そのものの吟味をWTOに提起すべきだろう。

2.農業に妥当しない自由貿易原則

 互恵平等の立場で貿易を拡大することは、望ましいことではある。しかし、貿易自由化促進論者が言うように、農産物にも工業製品にもひとしく自由貿易原則を適用すること、国際的な物の取引を自由にし、あらゆる分野で交易関係を拡大することが、各国経済を等しく発展させ、各国国民の経済的利益を増大させることになるかというと、WTO体制下で先進国と途上国の経済的格差が拡大しているという現実が示しているように、そうではない。
 貿易自由化命題は、リカードに始まる比較有利性理論に基づいているが、この理論が、非現実的な幾つかの仮定・前提条件を置いた理論だということを、まず問題にする必要がある。
 この命題は経済学の基本的命題の1つになっているといってよく、近代経済学のなかでは“恐らく、いちばん重要な意味を持つ命題”になっている、とするのは、日本の近代経済学を代表する宇沢弘文教授の評価だが、その宇沢教授も、この命題が成立するためには、“いくつかの重要な仮定”があるのに、“政策的な面ではほとんどこの点が取り上げられなくて、あたかも自由化命題が1つの至上命題であって、それに従うことが望ましいという前提で、論議が進められている”ことを問題にしている(「農業と経済」1989年臨時増刊号所収、宇沢弘文「自由化命題と農業問題」)。
 どういう“仮定”が置かれているのか、教授の簡潔な説明を紹介しておこう。
  “第1に、この自由化命題が成立するためには、様々な生産を行うときに必要な様々な生産要素がすべて私有されている、プライベートなものである。市場で取引されているという前提条件です。…私有されないで社会的な共通財産として管理されているようないわゆる社会資本、正確に申しますと社会的共通資本といった性格を持った資源は存在しない、あるいは必要であってもそれは無制限にある、という前提条件です。…農業の場合に特に重要なのは自然資源です。水、土壌、そういったものが私有されていて、各経済主体に分属されていて、自由に市場で取引されているという前提条件が置かれている。(中略)
  それから、第2の前提条件は、生産のために使われている資源が必要に応じて、どのような生産物の生産のためにも自由に使えるという前提条件です。例えば、これまで鉄鋼業に投下されていた様々な費消資源が、鉄の値段が安くなって採算が取れないとなると、牧畜のためにすぐ転化できる。あるいは自動車の生産に向けられる。そしてそのために、追加的な私的ないしは社会的な費用を必要としないという前提条件が置かれているわけです。
  第3の条件としては、生産に関しては規模の経済が存在しないということがあります。そのほか、生産の過程に時間的なコストを考える必要がないという仮定も置かれています。
  …このように、社会的共通資本を必要としない、あるいは前提としない。あるいは生産要素がすべてバリアブルである、いつでも転換できる。あるいは生産に時間がかからない。あるいは生産の規模に関して規模の経済が一定である、といったような前提条件を仮定して、そして貿易自由化によって各国の経済厚生(ウェルフェア)が高まる。したがって望ましいという議論が出てくるわけです。
  ところが、今あげました前提条件のどの1つをとっても、現実には妥当しないわけです。特に、この問題は農業の場合に深刻ではないかと思われます。…私は農業については全くの素人であるわけですが、これらの条件は、いずれも妥当しないということは、自明であるように思います”。

3.金融危機とWTO交渉の責務

 貿易自由化市場主義を産んだリカードの比較有利性理論それ自体、非現実的仮定に立っているという意味では虚構の理論といっていいのだが、もう1つ、作為的な理論だったことにもふれておくべきだろう。リカードが比較有利性理論を導き出した二国間モデルは、に示したようなモデルだが、こので注目しておかなければならないのは、ポルトガルのほうが、ワインにしても毛織物にしても労働生産性が高いと想定されていることである。
 こういう想定からは、スミスなら、ワインも毛織物もポルトガルが競争に勝ち、両方ともポルトガルからイギリスに輸出されると結論したであろう。国内市場と国際市場をスミスは区別せず、資本も労働力も自由に移動することを前提にしていたからである。リカードが注目したのは資本・労働力、なかんずく、労働力の移動が国際間では困難だということだった。そういう条件下では、生産費の絶対的な安さが二国間の取引方向をきめるのではなく、生産性の格差の大きさがものをいうことになる、生産性格差が大きく比較有利性がより高いワインをポルトガルは輸出し、反面として格差が小さく、比較劣位性の低い毛織物をイギリスは輸出する、こうしたほうが両国いずれにもプラスになる、とリカードは説いたのだが、ここにリカードの明らかな作為を読み取ることができよう。この比較有利性理論が世界の工場としてのイギリスの地位を固定化させようとする作為的理論であることを、後進国ドイツの立場から批判し、自由貿易論に対抗する保護貿易論を展開したのがリストだが、彼はその主著「国民経済学の体系」のなかで、
  “イギリスの国民のようにその工業力が他のあらゆる国民を大きく凌駕してしまった国民は、その工業・貿易上の支配権を、できるかぎり自由な貿易によって最もよく維持し拡大する”(小林昇訳、岩波文庫版、62ページ)。
と指摘している。
 比較有利性理論が、前述のように非現実的な前提条件――農業にとって特に非現実的な前提条件を置いており、現実政策論としては本質的に難点を持っているにもかかわらず、なぜこの理論に依拠している貿易自由化命題が近代経済学の諸命題のなかでも、“いちばん重要な意味を持つ命題”とされてきたのか、“なぜ近代経済学の主導的な原理として残っていて、しかも国際的な交渉に関して使われているのか”について、宇沢教授は「前掲稿」のなかで、
  “この自由化命題がライジング・エンパイヤー、つまり帝国主義段階で海外に市場を拡大している段階の経済にとって、非常に望ましい考え方である。したがって例えば、19世紀のイギリスとか、第2次世界大戦後のアメリカとか、いわゆるライジング・エンパイヤーの経済学者たちが、非常に重宝であるという観点からこの命題を押し進めてきたのだ”
というジェーン・ロビンソンの説明を引きながら、“私もなるほどと思う”と記されている。
 貿易自由化至上主義が依拠している比較有利性理論はこういう理論なのである。各国の自然条件が大きく物を言う農産物貿易に特にあてはめてはならない理論なのだということを強調しておこう。
                         ×  ×  ×
  昨年11月の金融サミットが、WTOモダリティの年内合意を求める宣言を出した。アメリカ発の世界金融危機が各国に保護主義を台頭させているのを問題にしてだが、ライジング・エンパイヤーのマネーゲームを含めての過度な“自由貿易”推進が、今日の金融危機の主因にもなっていることを考えればこの宣言は問題である。
 この宣言に力を得てか、WTO事務局は、“決裂”状態にあるドーハ・ラウンド合意を目指して動き出している。この動きについて内橋克人氏は、“危険な論理のすり替えがまかり通っている”として、次のように指摘されている。
  “米国発の金融危機は、世界中に猛威を振るい、恐慌寸前の事態だ。危機の中にあってWTOは「第二次大戦を招いたような保護主義が復活しかねない」などと誤った言説で圧力をかけ、あたかも無原則な世界市場化、そのための自由貿易推進こそが危機からの脱出口でもあるかの如く偽りの世界世論をつくり出そうとしている。
  そもそも今日の危機、破綻(はたん)は震源地・米国発の新自由主義、マネー資本主義がもたらしたものだ。にもかかわらず、WTOは一片の反省もなく、再び同じ轍(てつ)を世界に踏ませようともくろんでいるかのようだ。保護主義を排除する“自由貿易”こそが戦争への危険を回避し、恐慌寸前の世界経済を救うなどというのは、まさに虚妄の論理そのものだ”(08・12・9 「日本農業新聞」)
同感である。
 “各国農業の共存”を求めた出発点にもどるべきことを、再度強調しておきたい。

(2009.01.08)