多様な農業環境に適応した日本の農業技術で国際貢献 |
◆日本で初めての化学肥料メーカー
きのした・こじろう |
谷口 日産化学というとわが国有数の化学肥料メーカーというイメージが強いのですが、最近は、肥料事業部門を分離される一方で、農業関連では農薬事業を拡充していますが、こうした事業展開の背景や意義についてお話しいただけますか。
木下 日産化学は、明治20年にジアスターゼの発見で有名な高峰譲吉と日本近代資本主義の父といわれている渋沢栄一によって設立され、一昨(2007)年に創業120周年を迎えた会社です。創業時の社名は「東京人造肥料」後に「大日本人造肥料」と変遷したように、日本で最初に誕生した化学肥料メーカーです。その後、工業薬品や農薬へと事業展開し、現在の社名に改称したのは昭和12年のことでした。
そして昭和40年には石油化学に進出しますが、最後発で、先への展望を見出せないということもあり、昭和63年に事業分離してこの分野から撤退しました。その後は、ファインケミカル、スペシャリティケミカルへ経営資源を投入し、事業構造の転換をはかって今日に至っています。
谷口 現在の事業の中心は何ですか。
木下 精密有機合成、超微粒子制御、機能性高分子設計、生物評価などの基盤技術を生かしながら、有機材料、無機材料、電子材料などの機能材料をコアの事業領域とする一方で、農薬・医薬のパイプラインの充実をはかり着実に成長していこうと考えています。
谷口 肥料事業を分離したのはなぜですか。
◆農薬と肥料ではポジショニングが違う
木下 肥料事業については平成13年に本体から分離して日産アグリに統合しました。その後、平成19年4月に丸紅、三井物産にも資本参加してもらい、三井東圧肥料と日産アグリが事業統合し、サンアグロという会社を設立しました。その背景には、日本の農業環境が厳しさを強めており、日産化学、三井化学という大きな事業体の中で肥料部門が存在感を持ち続けることは難しいと考えたからです。そこで両社の肥料部門を統合し、本当の意味でのプロ集団をつくり、総合力の発揮できる強い肥料会社を育成しようとしたわけです。生き残りではなく、勝ち残りまでつなげる事業にしていきたいということです。
谷口 農薬についてはどうですか。
木下 世界的な人口増加を背景にして、農業や食料は成長産業ですから、そのなかで農薬の果たす役割や研究開発の投資の大きさを考え、有機化学事業のプラットホームとして育てていきたいと考えています。
谷口 肥料と農薬は同じような事業環境にあると思われますが、実際には違うわけですね。
木下 違いますね。とくに農薬の場合には安全で効果の高い殺虫剤、殺菌剤、三大穀物に有効な除草剤を新規に開発すれば十分に世界で戦えます。そういう意味で農薬と肥料ではポジショニングが違います。
谷口 化学肥料の場合は国内で使う量が絶対的に減っているからですか。
木下 生産調整や海外農産物の輸入増加により、全体としての耕地面積が小さくなっていますから使用量は減少しています。日本の産業は歴史的に振り返ると、資源を持たない中で技術あるいは研究優位で資源コストを吸収して国内外で成長を図ってきました。化学肥料の場合にはほとんどの原料を海外に依存していますが、化学農薬の場合には国内の技術、研究開発力で海外と競争することができるという違いがあります。
谷口 化学肥料の使い方で工夫された日本の高度な技術が途上国でも活きてくると思いますが、どうですか。
木下 サンアグロに期待していることの一つです。肥料は収量アップという本来の機能に加え、少量で効くとか省肥料型のような省力型の農法、施肥技術を日本が開発し、それを海外に展開することも生きる道です。
谷口 そのためには、国内農業がしっかりと発展することが大事ですね。
木下 国内農業がまず基盤ですからね。
◆日本の営農技術を提供しアジアに貢献
谷口 化学肥料や農薬の使用が減ってきた要因の一つに、有機栽培とか特別栽培の進展で風当たりが強くなっていることもあるのではないですか。
木下 基本的に先進国と開発途上国では置かれた状況はまったく違います。先進国では、過剰生産のなかで、消費者の安全、安心志向だけではなく生産者にも肥料や農薬の使用を抑制する気持ちが働いていることは確かです。
その一方で、世界の人口はものすごい勢いで増え続けていますし、これからも増えつづけると予測されていますから、必要とされる食料は増加します。しかし、地球上の耕地面積はほとんど横ばいですし、地球環境の変化などで砂漠化が進行していますから、技術革新つまり生産性の向上がなければ、増加する人口をまかないきれません。
つまり、先進国での風当たりが強くなることとグローバルな経済発展の中で農業に求められる問題は、切り分けて対処しなければならないと思っています。
谷口 私は、日本がアジアに貢献することを考えるときに、科学技術の側面で貢献すること、文化面で貢献することができるのと同じように、さまざまな気象条件や異なる土壌のなかで的確で多様な農業を築き、適切に食料を生産してきた日本の農業技術を提供することが、アジアの人びとに貢献する鍵ではないかと考えています。
木下 日本には多様な農業環境があり、その多様な環境に適応した栽培技術とか営農技術が十分に確立していますから、それを世界およびアジアに持っていくこと、とりわけインドや中国など人口増加地域に敷衍していくことは、日本の国際貢献の一つのあり方ですね。
谷口 除草剤でも畑作型で雨が少ない地域での使い方と、水田を中心にした高温多湿なモンスーン型のところでは除草剤のタイプが違うわけで、そうしたきめ細かい対応は日本が得意ですから…
木下 そうした技術的なサポートは、日本が得意とするところですし、日本の農薬メーカーの果たすべき役割です。
谷口 そういうことを担える次の世代を育てなければいけませんね。
◆耕作放棄地の再生には小手先ではなく抜本的な対策が必要
物質科学研究所(千葉県船橋市) |
木下 日本の食料自給率を考えたときに、日本の農業を所得などの観点からも魅力ある産業にしなければいけないと思います。そのときに肥料、農薬はその安全が科学的にも十分に検証されており、自給率向上のために必須であることをもっともっとアピールする必要があると思います。
谷口 食料自給率とか今後の農業のあり方を考えるときに耕作放棄地の復旧とか再耕地化という問題があります。私は適当な手を使って復旧する程度では自給率が上がるとは思っていません。全部の耕作放棄地を再度土地改良するくらいの気持ちと、農薬や肥料をうまく使って新しい農業体系をつくるような本格的な気持ちで望まない限り難しいと思っています。そもそも耕作放棄された理由があったわけですから…
木下 もっと資本集約的な施策が考えられねばならない…
谷口 そのことを考えずにちょっと努力すればいいというのはおかしいと思いますね。
木下 耕地面積の約1割近くの耕作放棄地を活かすのは日本農業の再生という意味では大事なことです。そのためには、新しい技術、例えば不耕起栽培などを開発、普及し、耕作放棄地の復活を通じて新しい日本農業のモデルをつくっていくようなことをしないと生き返らないと思います。そのためには時間がかかりますし、資本の投入が必要なんです。
谷口 ゴルフ場とか耕作放棄地は山の上の方にあって、肥料とか農薬とかが流れてくるという意見があります。そういうところだからこそ、環境に優しい肥料・農薬の使い方が工夫されるべきだと思います。
木下 少量で効果を発揮する農薬の開発などメーカーの役割も大きくなっています。
谷口 そういう観点で積極的に捉え直すことが大事で、政府が予算をつけて設計していくことが望まれますね。
木下 そうした土地にもっと政策出動することなどで流動化をはかり、モデルとなるような耕作地にしていくことが必要ではないかと思いますね。
◆JAに期待されることは地域を熟知した“老農”の役割
谷口信和教授 |
谷口 日本の農業を再生するためにJAは何をするべきだと思いますか。
木下 かつては地域のことを熟知し知恵を出したり、一般論ではなく、多様化されている農地のなかで、このポイントで何をすればいいかを教えてくれる“老農”がいましたが、その役割を期待しますね。
谷口 もう少し具体的にいうとどういうことですか。
木下 これからは農業再生の基盤となる地域が大事です。地域を大事にしていくときに、どうすれば地域全体の活性化がはかれるのか、レベルアップをはかれるのか考え、生産者やメーカーに提案する役割を誰かが果たさなければならないわけです。いまその役割を果たせるのはJAや全農です。
現状は地域のことを熟知している人つまり“老農”が少なくなっているように思います。
谷口 それは最大の問題の一つですね。民間企業が農業に参入してきていますが、そのときに農産物や資材などものの流れが変わってしまうのではないかという危惧があります。JAもそこに積極的に介入して、場合によっては企業と手を結ぶことも必要ではないかという考えもありますが、どうですか。
木下 それは自然な流れだと思いますね。
谷口 その場合、JAはいらないということには…
木下 だからこそ先ほど申し上げた“老農”の役割を前面にだすべきです。民間企業にはあの耕作地で何を生産するということまでの知見はありませんから、役割を明確にすることではないでしょうか。それがJA第一線の価値を上げていくことにつながると思います。
谷口 技術とか知識とか現場で一目おかれるものをもっていなければいけないということですね。
今日はありがとうございました。
対談を終えて |